日本三大〇〇
五大など三大以外も含む
2025.09. 26 全国通訳案内士1次筆記試験合格発表(予定)
五大など三大以外も含む
日本三大(Wikitravel) https://wikitravel.org/ja/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%A4%A7
日本三景(にほんさんけい)は、日本の3つの名勝地のことである。
日本三景は以下の3つの名勝地を指す(記載順は全国地方公共団体コードの順番による)。全て海(沿岸)にある風景となっており、各々古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれていた。
日本三景
松島 宮城県宮城郡松島町を中心とした多島海
天橋立 京都府宮津市にある砂嘴
宮島(厳島) 広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした島
江戸時代前期の儒学者・林春斎が、寛永20年8月13日(1643年9月25日)に執筆した著書『日本国事跡考』の陸奥国のくだりにおいて、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立・安藝嚴嶋爲三處奇觀」(句読点等は筆者付記)と書き記した。これを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされる。
その後、元禄2年閏1月28日(1689年3月19日)に天橋立を訪れた儒学者・貝原益軒が、その著書『己巳紀行』(きしきこう)の中の丹波丹後若狭紀行において、天橋立を「日本の三景の一とするも宜也」と記している。これが「日本三景」という言葉の文献上の初出とされ、益軒が訪れる以前から「日本三景」が一般に知られた括りであったと推定されている。
日本三景を雪月花にあてる場合、「雪」は天橋立、「月」は松島、「花」は紅葉を花に見立てて宮島をあてている。実業之日本社
日本三景としての知名度の高さはあれ、各地域では宿泊客数の減少に苦しんでいる。その打開策の1つとして、日本三景が持ち合わせていなかった温泉を開発する動きが近年起こっている。
天橋立では、1999年(平成11年)12月20日に天橋立温泉が開湯した。キャッチコピーは「神々の遊湯(あそびゆ)」。現在は旅館9軒、民宿2軒、外湯1軒で利用されている(一部の旅館は冷泉)。泉質は塩化物泉や単純温泉など。
宮島には、冷泉を加温して給湯する温泉があったが、30年前の公共下水道工事により途絶えた。2004年(平成16年)に新たにボーリングなどを行い、冷泉が復活した。現在は、旅館3軒が加温して給湯している。泉質は放射能泉。
松島では、仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合わせ、2008年(平成20年)8月5日に松島温泉が開湯した。キャッチコピーは「太古天泉」。泉質は単純温泉と塩化物泉。
小倉百人一首には、松島と天橋立を歌枕として読み込んだ和歌がある。
松島:殷富門院大輔 「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」(小倉百人一首90番) … 雄島は松島湾内にある霊場の島
天橋立:小式部内侍 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」(小倉百人一首60番)
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*日本新三景(実業之日本社)*
大沼(ポロトー) 北海道亀田郡七飯町にある堰止湖。北海道駒ヶ岳を借景する。
三保の松原 静岡県静岡市清水区にある砂嘴。富士山および伊豆半島を借景する。三保の松原は、2013年(平成25年)に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の一部として世界文化遺産に登録された。
耶馬渓 大分県中津市にある渓谷
日本三景=松島、宮島、天橋立
新日本三景=大沼(ポロトー)、三保の松原、耶馬渓
日本三大夜景=函館山から望む、掬星台(きくせいだい)から望む(神戸の夜景)、稲佐山から望む(長崎)
◎三保の松原
三保松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。御穂神社の鎮守の杜として守られてきた。その美しさから日本新三景(大沼、三保松原、耶馬溪)、日本三大松原(三保松原、虹の松原、気比の松原)のひとつとされ、国の名勝に指定されている。また、ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている。また、2020年(令和2年)6月19日には、文化庁の「日本遺産」のストーリー『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~』の構成文化財の1つに認定された。
なお、国の名勝としての指定名称および世界文化遺産・構成資産一覧,日本遺産構成文化財一覧では「三保松原」と表記され、表記にゆれが存在する。新聞等ではハンドブックにより「三保の松原」で表記を統一しているところもある。
◎虹の松原
佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる松原。日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、かおり風景100選、日本の道100選にも選ばれている。玄海国定公園の一部。幅約500 m、長さ約4.5 km にわたって弧状に約100万本のクロマツの林が続く。面積は約216 ha である。海水浴場と隣接することでも知られる。
17世紀初頭、唐津藩の藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林、防砂林として植樹を行った。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理された。
◎気比の松原
福井県敦賀市の景勝地。虹の松原、三保の松原に並び、日本三大松原の一つとされ、1934年(昭和9年)に国の名勝に指定されている。また、若狭湾国定公園の一部であり、みなとオアシス敦賀の構成施設の一つでもある。
『万葉集』や『日本書紀』にも詠まれており、古くから知られる敦賀の景勝地である。日本の白砂青松100選、日本の名松100選、日本の自然100選、レクリエーションの森に選定されている。松原の中には散策路がめぐらされている。日本の海岸の松林は黒松が多いが、気比松原では赤松が85パーセントを占めている。
聖武天皇の時代に、外国から異族の大船団が来襲した。そのとき、一夜にして松林が出現し、氣比神宮の神の使いである白鷺が、松の頂に多数とまった。これを見た異族は、大軍勢の旗指し物とみて、恐れをなして、逃げていったという。これに由来し、「一夜の松原」とも呼ばれるようになった。
三大松原=三保松原(静岡市、世界文化遺産・国の名勝)、虹の松原(佐賀県唐津市)、天橋立(京都府宮津市)・気比の松原(福井県敦賀市)
日本三霊山(にほんさんれいざん)とは、古より山岳信仰の盛んな日本において、霊山の三大として富士山・白山・立山を束ねた名数である。略して三霊山とも呼ばれる。
また、これとは別に日本三大霊山(にほんさんだいれいざん)という名数も存在し、こちらでは、富士山に、白山、立山を加えて御嶽山(長野県の御嶽山)のいずれかを挙げて三大としている。他にも栃木県の岩船山を日本三大霊山の1つに入れることもある。さらにはまた別に、日本三大霊山は、恐山・比叡山・高野山の3霊山を束ねた名数とする例も見られる。
[富士山]
静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、小山町)と山梨県(富士吉田市、鳴沢村)に跨る独立峰。標高3,776 mの日本最高峰(cf. 国別の最高地点一覧)。成層火山。浅間信仰の対象であり、山頂には富士山本宮浅間大社の奥宮がある。富士講のある地域では、裾野が富士山に似ている山を富士山に見立てて、山頂に浅間神社が建立されていることが多い。
[白山]
石川県(白山市)と岐阜県(白川村)に跨る山で、両白山地の最高峰。標高2,702 m。白山信仰の対象で、山頂には白山比咩神社の奥宮があり、日本の各地に白山神社がある。
日本三霊山・日本三大霊山・日本七霊山・日本三名山に挙げられる一方、日本四名山には挙げられていない。日本三大霊山では、白山ではなく御嶽山(長野県の御嶽山)を挙げる場合がある。
[立山]
富山県南東部にある飛騨山脈北部の群峰、雄大な山塊(立山連峰、及び、後立山連峰)。立山本峰にて、雄山(主峰:標高3,003 m)、大汝山(最高峰:標高3,015 m)、富士ノ折立(標高2,999 m)等を頂点とした峰を連ね、立山三山(浄土山、同雄山、別山)を中心に連山連峰の群峰が広がる山塊。山塊を立山信仰の対象とし立体的な立山曼荼羅を体現している。須弥山を表す。立山本峰の雄山には雄山神社の峰本社がある。
日本三霊山・日本三大霊山・日本七霊山・日本三名山・日本四名山に挙げられる。日本三大霊山では、立山ではなく御嶽山(長野県の御嶽山)を挙げる場合がある。
三霊山=富士山、白山、立山
三大霊場=比叡山、高野山、恐山
三大渓谷(峡谷)=清津峡(新潟県)、黒部峡谷(富山県)、大杉峡谷(三重県)
那智の滝は131mで日本一の落差、飛滝神社のご神体となっている。華厳の滝は落差97m、袋田の滝は幅74mの水が四段にわたって落下する。
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
各滝については、日本の滝の項を参照。
三名瀑=那智の滝、華厳の滝、袋田の滝
[利根川(坂東太郎)]
利根川は、水系名は利根川水系であり、河川名を利根川と言い、幹川流路延長322㎞、流域面積16,840km2、流域内人口約1,279万人、流域関係都県は茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都。
源流から河口までの様子
利根川は、その源を群馬県利根郡みなかみ町の大水上山(標高1,831m)に発し、赤谷、片品、吾妻川等を合わせ、赤城、榛名両山の中間を南流しながら、前橋市付近から流向を南東に変える。その後、碓氷川、鏑川、神流川等を支川にもつ烏川を合わせ、広瀬川、小山川等を合流し、栗橋付近で思川、巴波川等を支川にもつ渡良瀬川を合わせ、野田市関宿付近において江戸川を分派し、さらに東流して守谷市付近で鬼怒川、取手市付近で小貝等を合わせ、神栖市において霞ヶ浦に連なる常陸利根を合流して、銚子市において太平洋に注ぐ、幹川流路延長322km、流域面積16,840km2 の一級河川である。
その流域は、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県及び東京都(以下「1 都5 県」という。)の1 都5 県にまたがり、首都圏を擁した関東平野を流域として抱え、流域内人口は日本の総人口の約10 分の1 にあたる約1,280 万人に達している。流域の土地利用は、山地等が約68%、水田、畑等の農地が約23%、宅地等の市街地が約8%となっている。
利根川は、古くから日本一の大河という意味を込め、「坂東太郎」と呼ばれて人々に親しまれてきた。利根川は、江戸時代以降の産業、経済、政治の発展の礎となっただけでなく、戦後の急激な人口の増加、産業、資産の集中を受け、高密度に発展した首都圏を氾濫区域として抱えているとともに、その社会・経済活動に必要な多くの都市用水や農業用水を供給しており、首都圏さらには日本の政治・経済・文化を支える重要な河川である。また、流域内には、関越自動車道、東北縦貫自動車道、常磐自動車道等の高速道路及び東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線等があり、現在、東京外かく環状道路、首都圏中央連絡自動車道が建設される等、国土の基幹をなす交通施設の要衝となっている。
参考:『利根川』国土交通省 https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0316_tonegawa/0316_tonegawa_00.html
[筑後川(筑紫次郎)]
筑後川は、熊本・大分・福岡・佐賀の4県を流れる九州最大の1級河川です 筑後川は、その源を熊本県阿蘇郡瀬の本高原に発する筑後川は、高峻な山岳地帯を流下して、日田市において、くじゅう連山から流れ下る玖珠川を合わせ典型的な山間盆地を流下。やがて夜明峡谷を過ぎ、佐田川、小石原川、巨瀬川及び宝満川等多くの支川を合わせながら、肥沃な筑紫平野を貫流し、早津江川を分派して有明海に注ぎます。幹川流路延長は143キロメートル、流域面積は2,860平方キロメートルです。
筑後川の流域は、熊本県、大分県、福岡県、及び佐賀県の4県にまたがり、上流域に日田市、中流域に久留米市及び鳥栖市、下流域に大川市及び佐賀市等の主要都市があり、流域内人口は約109万人を数えます。九州北部における社会、経済及び文化活動の基盤をなし、古くから人々の生活及び文化と深い結びつきを持っています。
参考:『筑後川の概要』国土交通省 https://www.qsr.mlit.go.jp/chikugo/gaiyou/chikugo/
[吉野川(四国三郎)]
日本三大暴れ川の1つとして数えられ「四国三郎」の異名を持ちます。高知県と徳島県を流れ、延長194kmの一級河川です。
本市のほぼ中央を東西に流れ、古より人やモノ、文化を運ぶ「動脈」としての歴史を持ち、「母なる川」の風格を持った四国最大の大河です。
増水時には、水面下に潜ってしまう橋。
高知では「沈下橋」と言いますが、徳島では「潜水橋」と言います。
脇町と穴吹町を繋いでいた「舞中島渡し橋」が廃止された昭和36年に架橋され、
現在の橋は、平成16年の台風で流出後、再び平成18年に架橋されました。
四国八十八景に登録され、潜水橋は夕日のコントラストを多くの写真愛好家が撮影しています。
リバーカヤックに乗り、吉野川流域の雄大な自然を体感できます。
その他、ツリーハウスの体験もできます。
参考:『吉野川』美馬市(観光サイト) https://www.city.mima.lg.jp/kanko/map/list/3982.html
日本三大暴れ川=利根川(坂東太郎)、筑後川(筑後太郎)、吉野川(四国三郎)
三名城=姫路城、名古屋城、大阪(大坂)城
参考:『日本三名園』Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%90%8D%E5%9C%92
三名園=兼六園(石川県金沢市)、後楽園(岡山県岡山市)、偕楽園(茨城県水戸市) いずれも大名庭園かつ池泉回遊式庭園。
江戸初期の儒学者林羅山が霊湯として挙げた三湯。有馬と草津は近世以降に作られた温泉番付で、最上位の「大関」に置かれ、草津温泉は明治時代、ドイツ人医師ベルツによって世界に広く紹介された。
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
[有馬温泉][下呂温泉][草津温泉]の各温泉については→日本の温泉の項へ
[林羅山]
江戸初期の朱子学者。名は忠(ただし),信勝(のぶかつ)。字は子信(ししん)。法名を道春(どうしゅん)。羅山,羅孚子(らふし)と号す。京都の人。初め建仁(けんにん)寺で学んだが,朱子学に自己の立場を見出す。藤原惺窩(せいか)と論争したのち,その門に入る。1605年徳川家康に仕え,以後家綱(いえつな)に至る4代の将軍の侍講として,外交文書・諸法度の草案などに関与し,幕政の整備に貢献。1630年上野忍岡(しのぶがおか)に学寮(のちの昌平坂(しょうへいざか)学問所)を建て,また孔子廟(先聖殿(せんせいでん))をつくる。朱子学を幕府の官学とし,彼の子孫は林家(りんけ)と称し代々幕府の儒官となった。著書《大学抄》《大学解》《論語解》《神道伝授》《本朝神社考》《本朝通鑑(ほんちょうつがん)》など。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア
三名泉
有馬温泉(兵庫県神戸市)・玉造温泉(島根県松江市)・榊原温泉(三重県津市) (枕草子)
草津温泉・有馬温泉・下呂温泉 (林羅山・万里集九)
三古泉=有馬、道後(愛媛)、白浜/湯崎(和歌山)
三大温泉=熱海温泉(静岡県熱海市)、南紀白浜温泉(和歌山県西牟婁郡白浜町)、別府温泉(大分県別府市)
三大美肌の湯=嬉野温泉(佐賀県嬉野市)、斐之上(ひのかみ)温泉(島根県仁多郡奥出雲町)、喜連川温泉(栃木県さくら市) ←藤田聡(温泉評論家)
美肌になる湯=川中温泉(群馬県吾妻郡吾妻町)、龍神温泉(和歌山県田辺市)、湯の川温泉(島根県出雲市)
◎盆踊りとは
盆踊り(ぼんおどり)は、日本において、盆の時期に先祖を供養する行事、またその行事内で行われる踊り。起源については諸説ある。
仏教・神道の影響を受けつつも世俗的な性格を強めていった盆踊りは、江戸時代初頭に絶頂を迎えるが、明治時代期には風紀を乱すとして警察による取締りの対象となった。
21世紀に入り、日本各地の盆踊りが重要無形民俗文化財ならびに選択無形民俗文化財の指定を受けている。その一方で、盆踊りは音楽の一ジャンルとして、ポピュラー音楽のなかで命脈を保っている。
盆踊りは日本国内にとどまらず、南北アメリカ・太平洋地域・東アジア・東南アジアでも行われている。
(『盆踊り』Wikipedia)
◎西馬音内(にしもない)盆踊り 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内に伝わる盆踊りである。国指定の重要無形民俗文化財にしてユネスコ無形文化遺産。毎年8月16日から18日まで西馬音内本町通りにおいて行われる。西馬音内の中心部に囃子場を設置し、道路沿いに焚き火を点け、それを囲うように亡霊に扮した踊り子たちが踊る。盆踊りの開始は通りの中央に作られる矢倉の上にいる囃子方の掛け声による。
踊り子の服装は浴衣や平袖に編み笠、あるいは目だけを出した頭巾となっている。女性は手作りの半月型の編み笠を被り、端縫い(はぬい)衣装と呼ばれる複数の布を継ぎ合わせた衣装をまとう。目のみを露出した頭巾は彦三(ひこさ)頭巾と呼ばれる[8]。これらの顔を隠す様子は死者を表現しているとされる。
◎郡上(ぐじょう)おどり 岐阜県郡上市八幡町(旧・郡上郡八幡町、通称「郡上八幡」)で開催される伝統的な盆踊りである。日本三大盆踊り、三大民謡(郡上節)に数えられる。 毎年7月中旬から9月上旬まで32夜開催され、特に盂蘭盆会の徹夜踊りには、全国から数万人の踊り子が来場する。
中世の「念仏踊り」や「風流踊」の流れを汲むと考えられている。盆踊りとしての体裁が整えられたのは、郡上藩主の奨励によるとされる。
郡上節を演奏する囃子の一団が乗る屋形を中心に、自由に輪を作り時計回り(曲によっては反時計回り)に周回しながら踊る。会場が街路の場合もあるので、輪は円形とは限らない。踊りには曲ごとに定型がある。振り付けの基本は簡素なので、初心者や観光客でも見様見真似で踊ることができるようになる。装束は男女とも浴衣に下駄履きが標準的だが強制ではない。踊りへの参加は完全に自由で、飛び入りや離脱に規制はない。通常、見物人よりも踊り手の方が圧倒的に多数である。
◎阿波踊り 阿波国(現・徳島県)を発祥とする盆踊り。高知のよさこい祭りと愛媛の新居浜太鼓祭りと並ぶ四国三大祭りであり、日本三大盆踊りの一つとしても知られる。
現在は、阿波国以外にも伝播し、東京都などでも大規模に開催されるようになった。日本三大盆踊りや四国三大祭りの代表的な存在であり、約400年の歴史を持つ日本の伝統芸能のひとつである「徳島市阿波おどり」(月遅れの8月12日 - 15日に開催)が踊り子や観客数において国内最大規模である。
三味線、太鼓、鉦鼓、篠笛などの2拍子の伴奏にのって連(れん)と呼ばれる踊り手の集団が踊り歩く。
えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…と唄われるよしこののリズムで知られる。しかし実際には、よしこのは大手の有名連以外ではあまり使われず、主にヤットサーヤットサーという掛け声のほうが多用されている。
◎おわら風の盆 富山県富山市八尾地区で、毎年9月1日から3日にかけて行われている富山県を代表する行事(年中行事)である。
越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。2006年(平成18年)に、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。
石川さゆりの「風の盆恋歌」の他にも、中村美律子の「おんな風の盆」や瀬口侑希の「八尾しぐれ」などといった、おわら風の盆を題材にした歌曲が数多く歌われている。ドラマや歌で取り上げられ、ふだんは人口2万人ほどの山間にある静かな町に、「風の盆」の3日間に30万人ほどの観光客が訪れるようになっている。
◎姫島盆踊り 大分県の姫島(東国東郡姫島村)に伝わる盆踊り。姫島の盆踊りは、鎌倉時代の念仏踊りから発展したものといわれている。毎年8月15日から17日の間に行われる。毎年開催日が異なる。
踊りは、伝統踊りと創作踊りとに大別され、伝統踊りにはアヤ踊り、キツネ踊り、猿丸太夫、銭太鼓等がある。創作踊りは、毎年新しく作られるもので、ほとんどはその年限りである(中には、大海地区のタヌキ踊りのように、毎年踊られるようになるものもある)。1度の祭りで踊られる踊りの種類は50種以上にのぼる。アヤ踊り、キツネ踊り、猿丸太夫、銭太鼓は、姫島村の無形文化財に指定されている。
キツネ踊り(きつねおどり)は、姫島盆踊りの中でも最も有名な踊りである。顔を白く塗ってひげなどを描き、白ずくめの衣装に身を包んで白ギツネに扮した子供が、提灯を吊した傘を持ち、キツネの仕草をまねたユーモラスな踊りを踊る。古くから伝わる踊りで、本来は成年男子が踊る激しい踊りであったが、戦後、子供が踊るようになった。踊りの先頭はキツネ姿ではなく浴衣、羽織に編笠姿であることから、この踊りは、キツネが庄屋をからかう様を表したもので、横暴な庄屋への風刺であったとする説もある。これも北浦地区に伝わる踊りである。
「西馬音内盆踊り」(秋田県羽後町)・「郡上おどり」(岐阜県郡上市)・「阿波踊り」(徳島県徳島市) 。
「姫島の盆踊り」(大分県姫島村)・「おわら風の盆」(富山県八尾町)を入れる場合もある。
三大歓楽街=すすきの(札幌市)、歌舞伎町(新宿区)、中洲(福岡市)
三大朝市=勝浦朝市(千葉県勝浦市)、輪島朝市(石川県)、飛騨高山宮川朝市(岐阜県高山市)
輪島朝市は2024年1月1日の石川地震で焼失。復興まで出張朝市として石川県内を中心に各地を回っている。
三大祭=祇園祭(京都・八坂神社)、天神祭り(大阪府・大坂天満宮)、神田祭(東京都・神田明神)
京都三大祭り=葵祭、祇園祭、時代祭
東北三大祭り=青森ねぶた、秋田竿灯まつり、仙台七夕まつり(華北新聞)(集客数上位3位) ←いずれも「七夕」や七夕における睡魔を払う行事「ねむり流し」「ねぶり流し」に由来する。
他に山形花笠まつり(山形市)を入れて四大祭り、青森ねぶた・弘前ねぷた・五所川原立佞武多をひとまとめにして「ねぶた」として竿灯まつり、七夕祭りと併せて三大祭、四大祭り+相馬野馬追+北上みちのく芸能まつりを加えて六大祭りとするなど東北の祭は8月に集中しているため華やかである。
京都五山=南禅寺は別格。天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺 ←あくまで足利氏の格付け
鎌倉五山=建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺
南都六宗=三論宗・成実宗・法相宗・俱舎宗・華厳宗・律宗 ←仏教の教理研究集団
三大稲荷=14社寺が候補に挙げられている。 一般的には、伏見稲荷大社、豊川稲荷、笠間稲荷神社、祐徳稲荷神社が候補に挙げられることが多い。
三大八幡宮=宇佐八幡宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)に
筥崎宮(福岡県福岡市)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
三大酒処=灘’(神戸市)、伏見(京都市)、西条(広島県広島市)
三大杜氏=南部杜氏、越後杜氏、丹波杜氏
瓦の三大産地=三州瓦(愛知県)、石州瓦(島根県)、淡路瓦(兵庫県)
三奇橋=錦帯橋(山口県岩国市・錦川)、猿橋(山梨県大月市/桂川)に
愛本橋(富山県黒部川)、木曽の桟(かけはし)(長野県)、かずら橋(徳島県三好市)