Post date: Apr 11, 2016 11:19:17 AM
2月と3月は、議会と、見守りをしている87歳の方の入院、手術が重なりし、結構きつい日々でした。認知症になったら後見契約がスタートしますが、そこに至る前に病気で倒れたのです。身寄りの無い方なので、手術も私が承諾しました。「高齢なので、途中で救命ができない可能性もある」との説明を医師から受け、「分かりました」と答えたものの、議会中もドキドキでした。
医師の同僚議員からは「俺なら手術はしない。死なせてやりなよ」と言われ、「手術をしなければどうなるか」と確認し同意したものの、間違った選択だったのではないかとずいぶん悩みました。無事手術が成功し、口から食事ができるまでに回復しホッとしています。
もうすぐ退院なので、今後は医療から福祉へ移ります。在宅診療医と施設長、ケアマネ、看護師、リハビリ担当者が一堂に集まり、最期まで支える計画ができました。生きて良かったのでしょうか。
同じころ、姉も手足のしびれから手術をし、認知症の父も転んで左手の小指を骨折し入院しました。母も年を取り、父を見る余裕がなくなりましたが、どうやって母から父を離そうかと私たち兄弟は頭を抱えていました。
「骨折による入院」なんと神様はうまい手を使われるものだと感心しています。入院しているんだから…と、母は自分を慰め、寂しさに耐えています。日々、自分のことを忘れる夫に、母は心が楽になり、また悲しくもありでしょう。こうして耐えて生きていくしかありません。
病院のベットに休む父の手を撫でていると、父の手が私とそっくりなのに気づきました。自分の手を見れば、いつも父を思い出すことができる、結構いい気分です。分厚くて、白い手袋は似合いませんが働き者の自慢の手です。
年老いた両親を見ながら、近い将来の自分に重ねています。父の見舞いに帰る新幹線の中で「母の遺産」という新聞小説を読みました。帯に「ママ、いつになったら死んでくれるの?」とあります。病院でも施設でももちろん自宅でも長生きして、老後の資金を計算しながら暮らしているたくさんの高齢者を見ています。簡単には死ねそうにありませんが、読み終えて自分の最期をどうするか考え込んでしまいました。
桜が満開です。また、新しい春です。もう少し頑張りましょうか。