投稿日: Dec 10, 2012 8:3:36 AM
12月4日 三回目になる抗がん剤注入の為の入院である。
今回は最終日の6日は合唱の練習の為、早く( といっても7時前だが)家を出た。が、いかんせん乗り継ぎが二つもある為、JR船橋駅からは、最も混む時間帯になってしまった。
おまけにその船橋駅で、バックがドアに挟まり数分の遅れ。その為に最悪のラッシュになってしまった。
やっと楽になったのは、四ツ谷駅を過ぎてからであった。
病院に着いたのは、前回よりも2時間早かった。これなら午前中に終わるな、と考えたが思惑は外れた。
同じ七階ではあるが、今までは東病棟だったが、今回は西病棟だという。東病棟は外科が中心。西病棟は内科を中心としている。
最初の入院から初めての西病棟である。同じ作りではあるが、大きく違ったのは風呂だった。
男性の日、女性の日と区別されている。東病棟は男女関係なく、予約時間を入れて入れるようになっている。
その為にだろうか、シャワー室があって予約を入れれば誰でも入れるようになっている。
数メートル場所が変われば方法も変わる、と納得した。
東病棟では、左脚の付け根の傷は随分関心を持たれたが、西病棟では余り関心を持ったようには感じなかった。
これも内科という関係だからだろうか。大したことはない、と思ったのかも知れない。
成る程、大したことではない、と考えれば、これからの生活はそれほど苦にならないかも知れない。
ともあれ私は、看護婦さんからみたら、手の掛からない患者かも知れない。抗がん剤をセットしてしまえば後は何もない。たまに機械が正常に作動しているか見に来ることや、通常の仕事、血圧や検温、尿量や食事を運んだりベッド清掃などをするくらいだ。
私は今まで文句を言ったことがない。食事のことについて苦言を堤したい。何故決める前に患者に聞かないのだろうか。入院窓口で、ご飯は普通で、と言ったら、病棟で言ってください。とのことだった。
病棟ですぐ言わなかった私も悪い。
が、ご飯は「 おかゆ」と始めから決まっていた。
例えば、胃がよくないなどであればおかゆもいいだろう。でも私は上半身は大丈夫なのだ。
その日の昼と夜のおかゆはきつかった。私はどんな食事が出てきても完食する。だけどこのおかゆは、ただただ苦しかった。
おかゆなのに喉をなかなか通らなかった。苦痛を覚えた食事は余りない。
食事は楽しくおいしく、それが病院食であろうと 食べたいものだ。
私の魔法の言葉「 まだ最悪の状態になったわけじゃない」これからつぶやくことが増えるかも知れない。
抗がん剤の最後の投薬をすると後は何もない。ただひたすら46時間終わるのを待つだけだ。
左脚の付け根の手当て、といっても浴室へ入り、シャワーを当てて流して軟膏を付けて終わりである。
後は本を読んだりテレビを見たりして過ごす。
そこで今回は副作用のことを書くことにした。
①の副作用止めを注入して、すぐ出たのは前回に書いた通り。
その日は他には何も出なかった。
真夜中にトイレットに行って終わった後、手を洗ったらその冷たい水に触れた時、指先にビリリッと、まるで電気に感電した時みたいに痺れが来た。
あっ と思った。これがよく聞いていた痺れかと。ベッドに戻ってもまだ続いていた。なかなか痺れは取れなかったが、やがて嘘みたいに自然と消えた。朝も水を使った時また痺れが来た。
看護婦さんにそれを言うと、水ではなくぬるま湯かお湯で、と言われた。 それ以来冷たい水は避けている。
この痺れは、冷たい水に触れた時だけではなく、普通に出るようになった。歩いている時でも、指先がビリッと来るのである。現在手袋も離せなくなった。また指先だけではなく、手首の近くまで痺れることもある。
もうひとつ大きく出た副作用がある。かゆみだ。
元元最初の手術後から多少かゆみはあったのだが、今回の抗がん剤注入からひどくなった。
まず両足の付け根から足首まで出る。両腕に出る。お腹に、お尻に出る。不思議だけど背中には出ない。
痛みは何とか我慢出来ても、このかゆみは我慢出来ない。掻いてはいけない、と頭の中で分かってはいても、つい掻いてしまう。
傷にならないように、爪を立てないで衣服の上から掻くようにしている。 一度掻いてしまうと、もう止まらないので、売薬のかゆみ止めや保湿クリームを塗ったりしている。
これはつらい、と我慢している毎日である。
まだこれから出る副作用はあるかも知れない。でも全部受け止めることにしている。
本村