投稿日: Jul 15, 2012 8:1:20 AM
以前放映された、実話ドラマ『チャレンジド』の事を思い出します。
ある時眼病に冒され、失明した主人公が数々の試練を乗り越え、中学教師としてたくましく生き抜いていくお話でした。主人公は言いました 「僕たち障害者は、”神様からチャレンジする使命を与えられた者”、即ち『チャレンジド』と呼ばれるんですよ。」と・・・。
私は、この言葉にも、彼の日々挑戦する姿にも、深い感動を覚えました。私たちがん患者は、厳密に言うと障害者ではありません。けれども、告知日以降、生死の土俵際感覚を背負い続けるという点では、同じく”運命(その他)にチャレンジする務めを担う者”と言えるでしょう。
がんは、今や二人に一人がかかる国民病だと言います。そうでありながら、この病気はなかなか大っぴらに話せない暗さや閉塞感を伴いますね。友人、同僚、家族に対して本音が言えず、そうして『王様の耳はロバの耳』での穴の叫びのように、様々なフラストレーションを抱えたまま日々を過ごし、患者会へと足が向いてしまいます。
なぜか。「がん」という響きが死を想起させ、惨めで苦しい物という偏ったイメージが拭えないから・・・。
そんな患者同志、溜まった物を吐き出し、心を癒す場ももちろん必要だけれど。私は、がんが持つ独特の暗さ、閉塞感(更に言うと”ハズレくじ感”のような感覚まで)を何とか打開できないかと考えつつ、既に六年余りもたってしまいました。私たち患者自身が、患者の外側(世間一般の意識、医療、就労の問題等々)に対しても、何らかの発信をしていかなくてはいけないと思っている所です。
何年か先には、”がんになったけど、〇〇がある(いる)お陰で怖くない”と胸を張って言い合える世の中になりますように。運命へのチャレンジは続きます。
ふぁそら記