2012年9月のサロン
投稿日: Sep 17, 2012 3:37:1 AM
今日は新しい人の参加があった。患者ではなく家族である。
ご主人が、治療はもうしない、と拒否している。奥様がいくら治療して、と言っても、絶対しないと、診察の予約を( しかも2回 ) 奥様に断りの手紙を持たせて行かせている。
現在は近くの泌尿器科へ2ヶ月に1回診て貰いに行っているということだ。
ただご主人もたくさんの本を買って勉強しているとのことだ。
本を読んで食事療法をしたり、温泉がいいと聞けば行ったりしているという。
本人に言わせると体調はいいそうで、どこも痛いところはないそうだ。
手術が怖いや、人工膀胱になるのが大変苦痛で拒否する。
それも本人の意思なれば、一つの選択であろう。
ともあれ治療を勧める奥様が一つの方向を、治療拒否も一つの前向きの姿勢を示されたことになる。
どちらを選択するかは、本人のこれまでの生き方や考え方になるだろう。
短くても充実した人生を送ることはできるのだ。
ある女性アナウンサーは喉にがんができた時、手術を拒否した。
アナウンサーは喋るのが仕事。手術によって声を失うのはとても耐えられない、と拒否したのである。
その彼女は3年後に亡くなった。
手術をすればもう少し長く生きられたかも知れない。
しかし、彼女自身声を失って長く生きられたとしても満足しただろうか。
短くても自身が選択し納得した生き方ならば充実した日々だった、と私は思う。
そして彼女は最後までアナウンサーだった。
彼女は自分の意志を貫き通し最後を迎えた。
彼(か)のご主人も、そこまでの覚悟があっての手術拒否ならば、奥様もその生き方や考え方に添って、一緒に歩くだけなのだと思う。
見ているだけしかない家族は大変辛いと思う。
自分が替われることが出来たら、と祈ることだろう。
唯、後になって、ああすれば良かった、こうしてやれば良かった、と思い悩まないことを切に願うだけである。
最後に私は人工肛門になって、全く別な世界が拡がったことを附記しておく。
本村幸広