投稿日: Jun 14, 2013 3:47:6 AM
今回は、初めての方が多く六名来られた。その内家族の方が二名だった。
集まりが終った後、反省会を行うのだが、今回のように(19名)多いと、ふたつのグループに分けた方がいいのではないか、と提案したが、それはしない方がいい、との反対があり、分けないことになった。
この集まりには、様々な人が大きな不安や悩みを持ってやって来る。
家族には家族の悩みがある。家族として手を尽くそうする。それはそれで有難いのだが、時には煩わしく思ってしまうこともある。
そういうのは口に出さずとも、顔つきや態度で何となくわかってしまう。だから更にどうしたらいいのか分からず、戸惑ってしまう。
家族でありながら、本人の気持ちが分からない。どうしても理解出来ない部分ができてしまう。
では、どうしたらいいのだろうか。
そこに、不安や悩み、苦しさつらさがある。
以前、心療士の先生に話しを聞いたことがある。どうすればいいのかと。
「距離を置くことです」
「家族であれば難しいと思いますが」
「それでも距離を置くのです。そうでないと家族も不安や悩みに巻き込まれ、共倒れになることが有ります。難しいけど距離を置くのです」
心療士の先生はなかなか難しいことをいう。
どう距離を取れというのか。それぞれの家族で答を見つけるしかない。大家族、小家族、父子、母子家族で、それぞれの家庭で、環境で考え方を学び、ある時同じ屋根の下で暮らすようになった。
芯のところで理解出来ない部分もあろうと思う。
またこの悩みも深刻だ。
本人もがんで辛いのに、自分の小さな子供が、重病になった時、こんな辛い状況はないだろう。
自分のがんなんかほっといて、子供に付いててやりたい。できるならば、子供の病気を自分が代わりたい。親であるならば、誰しもそう思うだろう。
子供が苦しんでいるのを、ただ見ているのは本当に辛い。親として情けない、と思うばかりだ。
自分のことはいい、子供をと。そういう日々でも、ほんの僅かでも、喜びも笑いもあるはずだ。ほんのちょっとしたことが、嬉しくて涙が出てしまう。
子供はしたたかだ。つらいけど病気にも慣れる。親もそれ以上にしたたかにならなければ、子供についていけない。と私は考える。
昔から言う「女は強し、母は更に強し」 そう、強い心を持たなければ、子供と共に成長出来ないのだ。
では、父親はどうなのか。広い心で、大所高所から大きく包んでサポートし守るのだ。
「ここに私はいるよ、君たちには私がついているよ」と
ただ黙っていたのでは、その思いは誰にも伝わらない。口に出して、態度で示さなければならない。
本村幸広