投稿日: Dec 21, 2010 8:25:54 AM
他のサロンがどういう風に運営されているのか興味があったので、10月に2つのサロンに参加した。
どちらも病院の中で活動しているサロンだ。
病院の中ということなので、どちらも看護師さんやソーシャルワーカー、その他医療に携わる人たちと、サロンを作りたいという患者が手を繋いで活動している。
医療者による講座も企画して開いている。これも病院で活動しているサロンの強みだろう。
どちらも特徴があって面白かったし、勉強にもなった。
ひとつのサロンは、閉ざされた部屋ではなく病院の一隅で行っており、ふらっと来て雑談していく、という感じである。また患者による思いを文章に、あるいは旅行に行った時の写真や身の回りの写真を持ちよってアルバムにしている。
もうひとつは看護師さんが中心になって、その強い思いで開かれている。ただファシリテーターは、患者が務めている。
どちらも共通していたのは笑いがたくさんあったことだ。関係するスタッフが常にニコニコして話を聴いていることと、ファシリテーターになる人のキャラクターにもよるところが大きいと感じた。
2つのサロンに参加して、病院で活動していることを羨ましいと思った。
こちらは何もないけど……考えてもやっぱり何もない。だけどささやかではあるが「場」を作って、皆さんを迎えることは出来る。話を聴くことが出来る。
どちらのサロンも「おもてなしの心」を感じた。勿論、私たちのサロンもそうであると自負している。
その2つのサロンで、ひとつ共通した話題があった。
生存率だ。
今、多くのがん情報が氾濫しているなかで、患者が自分の病気のことを勉強している時に出てくる生存率。それを見て落ち込む人もたくさんいるに違いない。
医療者から、また医療者に生存率を聞くこともあるだろう。そして、一喜一憂する。生存率に捕らわれてしまう。
公共機関は仕方ないと思う。数値を出してある程度の指標を出さなければならないだろう。
だが、医療者までその数値を使うのは賛成しない。病気というのは個々のものだからだ。
例えばあるグループ全員が風邪をひいたとしよう。その症状は一人ひとり違うはず。熱が出る、のどが痛む、鼻がつまる。咳ひとつにしても全員に個人個人全員違う。
また薬にしても全員に効くというわけでもない。勿論、抗がん剤もしかり。
がん細胞は一人ひとり全部違う、とは免疫学の先生がおっしゃっていた。
だから医療者は数値の中で患者を診ないで、個々に向き合って欲しい。そして不用意な一言には十分な注意をお願いしたい。
医療者の一言で患者は不安にもなり、希望を持つこともできるのだ。
患者も数値に惑わされることはないのだ。
15%だ30%だと、その数値の中に自分を入れて落ち込むことなど、どこにもないのだ。
例えば、余命3ヶ月と言われたとしても、3ヶ月で終わりか…と考えることはない。
そう言われても、長く生きている人はたくさんいる。
自分の寿命を決める必要などどこにもない。
1日1日を大切に生きてゆくことが大事なのだ。
(本村 幸広)