投稿日: Nov 22, 2013 10:6:49 AM
この文章は「ここにおいでよ」とは関係はない。
ピアサポーター養成講座というのに参加したときの物である。
四回の講座だったが、その内入院の為二回欠席した。
その欠席した二回分をレポートにして出して下さい、と言われて書いた。
文中の①と②が何の講座だったか覚えていない。
でも、修了証は送られて来ました。
それが下記の文章です。
ピアサポートの①と②に対する考え
寄り添う、ということを最近よく考える。身体に寄り添う、気持ちに寄り添う。その相手によって接し方は違って来るだろうが。
それは家族と他人の場合のことだ。
家族が寄り添う時は大きく包んで(勿論葛藤はあるだろうが)全て受け入れてしまう。それが家族だから。
しかし、危険な面もはらんでいると想像する。障がい者に負けて、振り回されて、ストレスを重く抱えてしまう、と考えるのは何も知らない、未経験の私だけだろうか。
ある日、駅のホームでこんな親子を見た。
ベンチに座って電車を待っていると親子が近づいて来た。息子の身長は
170㎝を越えたぐらいで、母親は私と同じくらいの(150㎝)小柄なひとだった。
息子は一目見て知的障がい者だと思った。 口を大きく開けて「うおーうあーあー」と叫びながら(そう思うくらいの大きな声だった)私の方に寄って来たからだ。
私の隣に座り、声を上げながら肩に触って来た。
母親がすぐ隣に来て「大丈夫です。何もしませんから」「ええ分かってます」と私は答えた。
何もしないというのはすぐ分かった。
隣に来て肩に触ったのは、私と話しがしたかったのだと。人とは違う彼独特のコンタクトだろうと。
私は彼の手を握ろうとした。身体にも触れようとした。ふと、触れていいものだろうか、と思った。彼に触れるというのは、一歩彼に踏み込んだ状態になる。経験のない私が、それをしてもいいものかどうか判断がつかなかった。
結局触れないままになってしまったが、触れなくて良かった、と後になって思った。
① 手を握る、身体に触れる、という一歩踏み込んだ状態は、相手の様子が理解出来るまでは 控えた方が良い、と判断した。
同じ電車に乗った。
息子は同じように大きな声を上げながら、車内を移動して行く。母親は後について歩いている。
乗客は、何事かと見る人もいれば、知らん顔の人もいる。その反応は様々だ。
② 話すも良し、話さぬも良し。触るも良し、触らぬも良し。相手が私のことを理解するまでは、時間がかかろうとも辛抱し、それが信望に変わるまでは。
相手との距離感は大事だと思う。近すぎては相手が逃げる。遠すぎては届かない。この難しいけど距離感は大事にしたいと思う。
家族とは違うので、接し方には慎重過ぎる程に万全を期さなければ、とも思うし、余り構え過ぎてもいけないか、とも考える。
これは経験を積まないと判断は難しいと思った。
大丈夫ですよ、言った母親の顔は、これ以上はないという優しく穏やかな表情だった。
息子と深く結びついている。信頼という言葉だけでは足りない。無二の愛とでもいうべきか。
見習いたいものだ。