投稿日: Jun 13, 2013 3:31:56 AM
4月10日、右足の痛みで「検査入院」する。
4月9日、いつもの抗がん剤点滴入院の予定だったが、朝起きようとして、右足の激痛で起きることが出来ない。なんとか起き上がったが、歩くことが出来ない。
少しでも動かそうとすると、激痛が来て倒れそうになる。
病院へ連絡して入院をキャンセルした。
その日一日は部屋から動けず(トイレに行くのも大変だった)翌日、息子に電話をして、杖を二本買って来て貰う。
案の定二本あれば、なんとか歩けそうだ。
息子が「午後から休みを取ったから、病院に連絡して送って行くから」と言う。
主治医の先生と連絡をとり「とにかくおいで、私が診れないかも知れないが、診られるようにしておくから」との返事だった。
時間外になるな、と思ったが出発した。
着いた時間は5時を回っていた。
救急外来で診て貰う。主治医ではなく、病棟担当の先生だった。この先生とは、入院中ずっと担当して付き合うことになる。
「今日はレントゲンを撮りましょう、明日はCTを撮るように手配します」
入院の手続きも済ませ、地下の放射線科へ。
歩いて行く、と言ったが、その状態では危ない、と言われ、車椅子で行った。
これが非常に楽だった。人の言うことは素直に聞くものだ、と車椅子の上で思ったものだ。
我を通すばかりでは、うまく立ち行かない。
"俺が俺がの が を捨てて お陰お陰の げ で暮らす"
飲み屋のトイレの壁に貼ってあった、文句を思い出した。
レントゲンは時間はかかったが、無事に終わって病室へ。お馴染みの七階東病棟の部屋に入る。
その日はそれで終わりだった。
つづく