リレー・フォー・ライフinちば2010②

投稿日: Dec 18, 2010 2:53:0 AM

リレー・フォー・ライフ―1日目

9月18日仕事明け。朝9時である。

誘ったAさんと合えるかも知れないと西船橋駅で約束の時間まで待ったが来ないので東葉高速線に乗り八千代中央駅へ。会場まで歩く。暑い。荷物もありとにかく暑い。すでに汗ビッショリになっている。

受付で“ここにおいでよ”と告げる。

チェックがないので、まだ誰も規定内のかと思いながら、渡された物を受け取り、テントの場所を聞いて向かった。受付と間反対つまり一番遠い場所にありグランドを横切って行った。

松尾さんがいて、男性が数人テントを張っている。ボーイスカウトの人たちで、なるほどテントにはボーイスカウトの文字がある。

設営が終わりボーイスカウトの人たちは引きあげた。撤収の時も来てくれるという。感謝である。後は我々の仕事だ。

テーブルや椅子はすでに松尾さんが並べていたので、新たにシートを広げ荷物を置く。

フラッグを掲げる。若いD君も手伝いに来てくれている。松尾さんと私は受付へ戻り「サバイバー」として手形を押した。

藤田さんは、板倉訪問クリニックから椅子6脚を借りて会場へ向かう途中で渋滞につかまり遅れると連絡が入る。準備をどんどん進めてゆく。

藤田さんが到着して荷物を降ろし(ぶ厚い座布団が多くあり、これは寝る時大いに役に立った)テーブルへ並べる。テーブルは2つ借りられたが1つはアロマによるハンドマッサージに使用するので、テーブル1つに細々並べなければならない。2つでは足らない。次回は考える必要がある。

さあ準備は出来た、のは私だけで後の2人はまだ何かやっている。アロマ用の椅子をセットし、ピュアの情報誌、在宅ケアの絵本(アンケート用)などを机に並べているようだった。

開会式が始まった。

ウォーク開始

挨拶が終わり、サバイバーから行進が始まり後にチームが続く。一周が終わり、いよいよウォーク開始だ。

各自ブースに戻り歩き出した。

がん患者も家族も友人も、サポートする人たちも、それぞれの思いを込めて歩き出した。

一番目立ったのはデルタ航空である。参加している人数も多いが何よりも会社が一丸となって参加している、という印象を受けた。

アメリカ式なのかも知れないが、これは大いに考えるべきことだ。

もう一つ考えさせられることがあった。ステージの前に小さくルミナリエが作られていた。テーブルの上には1本のバラの花。テーブルを挟んで2脚の椅子。それを取りまくように灯が並べられてある。

ただ並べるだけではなく、演出もあり、感心させられた。学ぶことは多い。

一緒に歩いてくれた人や仲間たちの事

アロマの3人も到着して準備にかかる。D君は歩いている。私も歩き始める。

次々と“ここにおいでよ”のメンバーや“ピュア”の仲間も会場にやってきた。

オストミー協会のブースへ寄り挨拶した。支部長は相談係になっているというので途中で抜けた。

我々のブースの目の前に、中外製薬の大腸をかたどったものが置いてあり、大腸の中をくぐり抜けながらクイズとアンケートに答えるようになっているので落ち着いたところで行ってみた。

出たところで中外製薬の人に挨拶された。

実は以前、中外製薬のビデオに出たことがあるのだ。

がん患者で働いている人の話を聞きたいとインタビューを受けた。外には出ない社内研修用という話だった。

そのことと、2009年千葉県がん患者大集合で体験発表した時も参加されていて覚えていてくれたのだ。

待ち合わせをしていたAさんがブースに来てくれた。それに私が入会している患者会でファシリテーターをしているBさんと、合唱団仲間のCさんも一緒に表れてビックリ。

Aさんは友だちに車で送ってもらったとのこと。長くはいられないというので、ベンチにかけて少し話し込んだ。

BさんとCさんはルミナリエまでいるということだった。

Aさんが帰った後、仕事明けで寝ていないので、歩くのは若くて体力のあるD君にまかせて、仮眠をとることにした。

HOPEの文字が浮かび上がるルミナリエ

シートに横になる。

この横になる時、実に楽だ。気持ちが良すぎて、このまま逝ってしまったら、と考えることがある。すぐ眠りに落ちた。

誰かが呼んでいる。

目を開けると息子がいた。仕事が終って来たようだ。皆に紹介した後一緒に歩く。

よさこい踊り、歌(ソロと合唱)、特徴ある各ブース。それらを歩きながら見て廻る。

リレーフォーライフのハイライトである「ルミナリエ」の準備が始まった。

並べ終えると、HOPEの文字を真ん中にトラック一周、参加者の思いに、火が次々に灯されてゆく。

袋に書かれたメッセージをゆっくり読んでいく。読んでいくうちに、敬虔な気持ちになっていき、胸に迫って感動する。

翌朝、明るくなるまで火は消えることはない。

藤田さんが柔道場へ行こうと、座布団や毛布を持って、皆で行くことにした。夜霧がすごいのだ。みんな濡れてしまう。

泊まりは5人だった。女性が3人もいるのでEさんから借りた寝袋は有り難かった。

リレー・フォー・ライフ―二日目

私は5時前に目を覚まし、まだ皆寝ている中を静かに外に出た。

歩いている人たちがいる。ずっと歩いているのだろう。歩く人のいないブースのフラッグを持って、代行して歩いている。私たちのフラッグも、夜は淑徳大学の若い学生たちがつないでくれた。

私はゆっくりと体をほぐしながら歩き始めた。ちなみに私はウォーキングの姿勢で歩く。

何故というと、この姿勢が一番楽なのだ。

歩いている人の中では私だけである。

他の人に抜かれても抜いてもマイペースで歩く。

皆起きてきた。それぞれのブースでも、ラストウォークに向けて歩きだした。

日が昇るにつれ暑くなってきた。昨日よりも暑い。ホントに暑い。水分を取らないとダウンしてしまう。

何故か分からないが走っているグループもいる。流石に若い人が体力がある。

朝、人がいなかったブースにも集まり始め、昨日と同じ状態になってきた。

チーム“ここにおいでよ”の周回数は400までいったが、前日若いD君が頑張ってくれたお陰である。そのD君が最後に起きてきた。無理もない。あの暑さの中をよく歩いた。

不思議なことだが、歩いているうち何周したかなんで、どうでもよくなっていった。

ただひたすらに、ひたすらに歩くだけ。他人のためでも、自分のためでもなく、ただひたむきに歩くだけなのだ。

リレー・フォー・ライフが終わって

ラストウォークも終り、閉会式を迎えた。

あとは撤収である。ボーイスカウトの人たちも時間通り来てくれて、テントを畳み帰って行った。私たちも荷物の整理が終り、輪になって手を繋ぎ感想を言って、それぞれ帰って行った。

私はD君と駅まで行き、同じ電車に乗った。

先に私が降りた。

とにかく風呂に入りたかった。ビールを飲んで眠りたかった。家に帰るまでそのことばかり考えていた。

風呂に入った時、あぁ終ったんだな、と初めて思った。

今日はもう何もしない。したくない。すぐ寝よう。すべて明日だ。

横になる。楽だ。気持ちが良い。このまま、このまま。溜息を大きくついて眠りについた。

この文は、翌20日に書いている。

よく寝たので気分は爽快だ。

リレーフォーライフを振り返ってみて、チームで参加できたことは、良かった、の一言

では言い表すことはできない。

強力に、チームで参加しよう、と言った藤田さんと松尾さんには、感謝・感謝である。

次回もぜひチームで参加したい、と考えている。

2日間で100周を越えたので足はどうかな、と心配したが、思いのほか大丈夫だった。

ほんの少しだけ、両ふくらはぎが痛いことを白状しておく。

(本村 幸広)