ウシにむかって野良犬が
イヌ:おい、そこの大きな生物!
ウシ:・・・そんな呼ばれ方したのは初めてだ。ぼくがウシだと分からないのか、もう~。
イヌ:そんなこと知ってるよ。おまえなぁ、ここは道の真ん中や。もう少しどっちかへ寄って、寝そべったらどうや?
ウシ:小さい体のくせにうるさいなぁ、もう~。
イヌ:あのな、そんな返事のしかたは、あかんいうてお母ちゃんに言われへんだか?
ウシ:ほっといてくれ、もう~。
イヌ:ここが日本なら、おまえたちは牛筋煮込みスープにされて食われてしまうで。
ウシ:ここはインドだ。ヒンドゥー教では牛は神の使いだ。大切に守られて生きていける。
イヌ:神の使い?
ウシ:そうだ。ほうら、この真ん中にいるのがシバ神でその腰かけているのが聖なる牛だ。
イヌ:おお、ほんまやほんまや。
ウシ:さっきから聞いてると、あんた、関西出身だな?
イヌ:わかるのか?
ウシ:インドのイヌが関西弁をしゃべるのは、ちょっと無理がないか?
インドで牛丼?
イヌ:日本ならウシは家畜(かちく)とよばれるものの一つや。
ウシ:かちく?家にいる畜生(ちくしょう)?
イヌ:そう、けだものの総称や。
ウシ:「ちくしょう」って、悪い言葉とちがうか?
イヌ:・・・たしかに、このことばをくちにする人は、尊敬されないと母ちゃんが言うてた。
ウシ:いいお母ちゃんだ。
イヌ:おまえたちウシは、どうしてインドで大切にされるのや?
ウシ:理由は簡単さ。神の使いだからさ。殺さないし食べもしないよ。
イヌ:ということは、インドでは吉野家は牛丼を売れないな?
ウシ:いやそれが、吉野家は試験的にインドの北部クルガオンというところに2018年に店を出したよ。
イヌ:え?やるなぁ。そ、それでどうなった?
ウシ:2年で閉店した。
イヌ:・・・やっぱりな。
大切にされる放し飼いのウシ
イヌ:それにしても、道路でそんな寝そべり方してると、ほんとに車にひかれるよ。
ウシ:夕暮れ以降は、事故が多いというね。ただ、インドの人たちはよく心がけてよけて走ってくれるから大丈夫だ。
イヌ:日本人がインドの道を車で走ると・・・
ウシ:寝そべっている牛にもドキッとするのだけれど、センターラインの上をのしのし歩いている牛なんか、特にオートバイで走ると、どっちへよければいいのか分からない時があるそうだ。
イヌ:交通がゆっくりな間はいいけれど、インド社会の急激な発展で、動物と共存するのは難しくなってきてるのとちがうか?
ウシ:ああ、実際に都市周辺で高速道路に牛が出没するのが社会問題になってるというね。
自由を謳歌(おうか)、イヌとサル
ウシ:おまえたちイヌも、インドにはたくさんいるね。
イヌ:そう、野良犬が群れで暮らしている姿をみると、外国人は一様に驚くよ。
ウシ:ヒンドゥー教では、イヌも神聖なものなのか?
イヌ:少なくともイヌは不吉な存在でなく、守護の象徴として考えられてる。
ウシ:サルも、色々なところに驚くほどいるね。
イヌ:ああ、寺院の屋根や町の中のひさしにたくさんのサルが群れをなしてる。
ウシ:サルに、ヒトがよく果物を与えているけれど、野生の動物にエサをあげちゃいけないって日本では言うでしょ?
イヌ:サル神「ハヌマーン」への信仰があってサルは神様に近い。だから、みんなエサをしっかりとあげるのや。
ウシ:信仰の対象というのだね?
イヌ:ラーマ神に使える忠義の神や。強さ、知恵、献身の象徴で若者や兵士に人気があるで。
ウシ:だから、サルがいたずらをしても寛容に受け入れるのか。
イヌ:そう。ヒンドゥー教の根幹にある「アヒンサー(非暴力)」とカルマ(すべての行いはつながっている)という思想にもとづいているのや。
ウシ:町中がモンキーパーク状態だね。
イヌ:町の中に群れをなしている状況は、外国人にとっては恐ろしいこともよくある。
ウシ:屋外のテラスで食事はできないね。
イヌ:ああ、そんなところは、サルが襲ってこないように全体が網で覆われているよ。
ウシ:網の中でごはんを食べている人間の方が、おりの中の動物に見えるね。
イヌ:その通りや。ヒトよりサルの方が運動能力が高くてやっかいやからな。
ウシ:行政は何もしないのかい?
イヌ:捕獲して避妊手術をうけさせたりもするけれど、ハヌマーン神(猿神)の化身という信仰の強さがあって、強制排除の動きは皆無に等しい。
ウシ:野生動物を保護する「保健所」はないの?
イヌ:保護というのは、日本では捕獲と殺処分を意味するでしょ?インドではウシやサル、イヌを殺さない、殺せないわけだから、法を整備しようと考えても実効性はないに等しい。
不遇(ふぐう)なブタ
ウシ:ちょっと聞いてもいいか?
イヌ:なんなりと、きいてくれ。
ウシ:インドでは、すべての動物が大切にされてるの?
イヌ:いや、そうでもない。ブタはヒンドゥー教では不浄だという感覚がつよい。
ウシ:不浄ということは・・・
イヌ:穢れ(けがれ)ているという感覚や。
ウシ:・・・何でブタはけがれているの?
イヌ:ブタがごみや糞尿、死肉を食べる性質があるからや。
ウシ:ブタはそんなものを食べるの?
イヌ:ああ、植物はもちろん、動物性蛋白質、腐敗性有機物、糞尿由来の有機残渣まで食べる。
ウシ:糞尿由来の有機残渣って何?
イヌ:ヒトの排泄物のことや。
ウシ:そんなものを食べてどうするというの?
イヌ:消化してそこからある程度の栄養を回収するのや。
ウシ:それって、すごく便利な存在でない?
イヌ:中世ローマやパリ、ロンドンでも町の中にブタが放し飼いにされてて、町の掃除屋として活躍していたというよ。
すべての生命は輪廻(りんね)の中?
ウシ:どうしてインドでは、動物たちと人間たちがこんなにもゆっくりと生きていけるの?
イヌ:すべての生命は輪廻(りんね)のなかにあると考えるからや。
ウシ:輪廻(りんね)?
イヌ:そう、すべての生命は、生きかわり死にかわりするという考え方さ。生物の魂は、転々と他の生を受けていて、今目の前にいる動物もかつては人間だったかもしれない・・・と考えるから、すべての動物に対する優しさや忍耐が生まれるのさ。
ウシ:それにしても、これだけたくさんのウシやイヌやサルが生活していれば、ヒトの与える残飯だけでは生きていけないのじゃない?
イヌ:地域ごとにある慈善団体や宗教団体がウシやイヌの保護、医療、えさやりを日常的に行っている。制度の枠の外側でも支え合う仕組みがあるよ。
宗教、文化、社会の共存
ウシ:動物たちとの独特の共生関係は、インド社会の生命観や倫理観を映し出す鏡だね。
イヌ:ああ、街の喧騒の中で平和に生きる動物たちの姿は、人間と自然、信仰と暮らしが交わる豊かな風景や。
ウシ:日本の都会の車道で、ぼくたちウシが歩いたら、どうなるだろう?
イヌ:大騒ぎになるやろな。
ウシ:まず、誰が動く?
イヌ:まずは警察か機動隊が出動や。
ウシ:それから?
イヌ:NHKやテレビ局が放っておかない。
ウシ:それで?
イヌ:日本猟友会のメンバーが集まるやろな。
ウシ:そのあとは?
イヌ:食肉卸売市場の役員と朝日屋の担当者が来て・・・
ウシ:それから?
イヌ:あさくまと和田金、ブロンコビリーの店主もやって来るやろね。
ウシ:一躍有名になれるってこと?
イヌ:いや、グルメ番組の食材になれるってことや。
文責 玉木英明