大相撲・べネチア場所
行司 :おい、そんなに、力を入れて四股(シコ)をふんではいかん!
力士:す、すみません。
行司 :そなたのふむシコのせいで、ベネチアがさらに沈むではないか。
力士:でも、シコをふまない力士なんて…
行司 :すり足だけにしなさい。
力士:すもうの練習になるでしょうか。
行司 :高く足を上げてシコを踏む遠藤や宇良(うら)、阿炎(あび)などは、大相撲ベネチア巡業への参加を遠慮してもらった。
力士:ベネチアの地盤が沈下して、海水で水びたしになっているとは聞いていましたが、これほどひどいとは知りませんでした。
行司 :サンマルコ広場は、高潮のこの時期はひざまで海水につかってしまうのじゃ。早くなんとかせねばならぬ。
湿地に築かれた美しい都市
力士:ベネチアのドゥカーレ宮殿や、サン・マルコ寺院、大鐘楼など実に素敵ですね。
行司 :さよう、世界でも代表的なロマンチックな都市じゃ。
力士:水路を人力で進むゴンドラの姿も、どこをとっても絵になりますね。
行司 : ああ、橋の姿や水際せまる建物の姿も、極めて素晴らしい美術作品じゃ。
力士: ここは「島」なのですか?
行司 : いや、右の地図のとおり、大昔は葦(あし)の茂る湿地帯だったのじゃ。
力士: ということは、人間が住むのに適していないじゃないですか?
行司 :ああ、イタリアのこの辺りを住みかにしていたヴェネト人が5~6世紀頃、蛮族に追われて逃げ込んだところが、この湿地帯(ラグーナ)だったのじゃ。
力士:家の土台は、どうやって作ったのですか?
行司 :泥と砂ばかりの湿地帯に杭(くい)を打ち込み、その上に海水に強い石を敷いて土台をつくって、家を建てたのじゃ。
自然の下水道
力士:そんな場所じゃ、下水道がつくれないでしょ?
行司 :驚いてはいかんぞ。このベネチアには下水道がない。
力士:生活排水や、ト、トイレの汚水はどうするのですか?
行司 :すべて水路に排出される。湿地帯にの上にいるからこそ
可能な「自然の浄化設備」じゃ。
力士:ちょっと待ってください。ヴェネチアを訪れる観光客は…
行司 :年間二千万人を超える。
力士:その人たちが汚水を流せば、湿地帯は…
行司 :ああ、ラグーン内の汚濁は年々ひどくなっている。
力士:あかんやないですか。
行司 :そなたは関西出身だったのじゃな?
力士:動揺すると、なまるのです。
脅威、ベネチアの水没
行司 :湿地帯の汚濁も大変なのだが、ベネチアの水没の方が深刻な問題じゃ。
力士:この写真にある、サンマルコ広場の水没ですね。
行司 :そうじゃ。地球温暖化の影響で、海水の水位が19世紀後半に比べて28cmも上昇しておる。アクア・アルタ(acqua alta)と呼ばれる冬から春先の高潮の時期は、もう何度も洪水を引き起こしておる。
力士:こんな洪水の中で食事のテーブルを屋外に並べるレストランも大したものですが、そのテーブルに腰かけて笑顔でお茶を楽しむ色とりどりのレインブーツをはいた人たちも、なかなかやりますね。
行司 :そうじゃのう。心に余裕があるのじゃろうなぁ。洪水のサンマルコ広場に設置したわたり廊下のようなせまい橋を「ギャング・ウェイ」と呼ぶのだが、その上を観光客に歩かせるなんてのは、日本ではなかなか見られない光景じゃ。
力士: せっかくヴェネチアに来てくれたのに「閉鎖して、街にはいれないようにするよりも、ずっとマシでしょ」というイタリア人の声が聞こえてきそうですね。
行司 :この写真などは、寒い時期なのに水着になって洪水を楽しんでいる人たちじゃ。日本人も、責任の所在の心配ばかりしないで、「個人の責任」でおちゃめに自然を楽しむことが必要じゃのう。
モーゼ計画・干潟のまわりに堰(せき)を
力士 :ち、ちょっと、この見出し文句は何ですか?
行司 :計画の名称じゃ。干潟のまわりをせきとめて、ベネチアに水がはいってこないようにしようという計画じゃ。
力士 :どうやって、水をせきとめるのですか?
行司 :干潟への海水の入り口3か所に、大きなついたてを備えておき、水位が標準水位から85cmを超えたら板の内部に空気を送り込んで、浮力で78枚もの板を立てて水をせき止めるのじゃ。
力士 :なるほど。高潮がひいたら、ついたてを海底に沈めてしまうわけですね。
行司 :海水と空気の出し入れにはコンピューターを駆使してその動きを監視するそうじゃ。
力士 :エジプトのファラオの軍勢に追われたモーゼが、海の水を割ってヘブライ人を歩いて渡らせた「出エジプト」ですね。「モーゼ計画」という名称、いいじゃないですか。
行司 :そうじゃのう。真面目に言葉を並べないで、モーゼをひっぱりだすところなど、さすがイタリアじゃのう。
力士 :この堰(せき)の箱状の板、ずっと海に浸かっているだから、フジツボなどの海洋生物がこびりついて、いざという時に動かない、なんてことありませんか?
行司 :実は、このモーゼ計画のついたて板は、日本の会社が開発した画期的な塗装システムが採用されているのじゃ。
力士 :日本の塗装システム?
行司 :そう、イルカやウナギの魚体表皮に類似した滑らかな表面構造の塗料で、貝や海藻などの付着を防ぐばかりか、本来は5年に一度は陸に上げて再塗装の必要があるところが、なんとこの日本製の塗料は、水中で塗装できてしまうのじゃ。
力士:日本の技術、ごついやないですか!
行司 :今度は感動でなまっておるのじゃな?
力士:塗料と同時に塗装を水中で行う職人さんに、日本の画期的な水着を紹介してさしあげてはいかがでしょうか。
行司 :画期的な水着?
力士 :この「まわし」です。
行司 :おお、ふんどしじゃな?なるほど、一本の布でつくる男性用パンツ、これを着用した男子が大勢で堰の塗装をする情景は、もしかすると話題になるかもしれぬ。このプロジェクトにつける、良い呼び名はないか?
力士:「スモーゼ計画」は、いかがでしょうか。
文責 玉木英明