うばすて
母 : 息子や、背負って歩いてくれてありがとう。
息子: かあさん、礼など言わないでください。
母 : 道端の木の枝をおっていくから、帰り道に迷わぬようにするのじゃぞ。
息子: そんなことを気にしないでください。
母 : 今から行く場所は、私にとって特別な場所なのじゃな?
息子: …そうです。
母 : 隠さなくてもいい。おまえは優しい子じゃ。
息子: 母さん、知っていたのですね?
母 : 息子や、私はこれで幸せじゃよ。
息子: 母さん!
母 : ところで、今回も行く場所は「うばすて山」ではなさそうじゃな?
息子: はい、母さんをあんな所に置いてきたら、タマキタイムズが続きませんからね。
母 : いつものようにドラえもんの「どこでもドア」をぬけるのかい?
息子: そうです。いきますよ…よいしょっと。
ハバルハバル
母 : ずいぶん、にぎやかなところに出たのう。ここはどこじゃ?
息子: フィリピンのマニラです。
母 : 空気が熱いぞ。
息子: 1月なのに30度です。
母 : あの人たちは木かげで寝転がっておるぞ。
息子: なんだか楽しそうですね。
母 : 生活が苦しくて、母親を寒い山に置き去りにする日本の風習が、ばかげて見えるな。
息子: もっと気楽に生きていけそうですね。
母 : それにしても、たくさんのバイクが走っておるのう。
息子: 庶民の足ですからね。
母 : ほとんどのバイクが二人乗りとか3人乗りしておるような気がするのじゃが。
息子: バイクを「タクシー」として、商売に使っているのですよ。
母 : ということは、バイクの二人乗りの多くは、家族ではなくて他人同士なのか?
息子: そう、運転手とお客なのです。
母 : 買い物をした女性が大きな段ボール箱をかかえてバイクの後ろに乗っておるぞ。落とさなければよいのじゃが。
息子:あんなのは序の口、頭の上に大きな豆の袋をのせて乗ってる女性もいますよ。
母 :サンダルでヨコ乗りしている女性、危なくないか?
息子:スカートなので、しとやかに乗ってるのでしょうね。
母 :おやおや、雨が降ってきて後ろで傘をさしているバイクもいるよ。
息子:運転手に雨があたらないように後ろから傘をさしているのが、優しいではありませんか。
母 :あのバイクタクシーの名前はなんというのじゃ?
息子:ハバルハバル、体・チカイチカイという意味です。
トゥクトゥク
母 :おお、これはかわいい三輪車じゃのう!
息子:バイクによく使われる200ccエンジンで動いているそうです。
母 :鈴鹿サーキットのゴーカートみたいじゃ。
息子:路面の凸凹をよくひろうので、乗り心地はさほどよくないですよ。
母 :スピードは出るのかい?
息子:時速40~50くらいまでなら、らくらくですね。
母 :これだけ開けっぴろげだと、冬は寒くないのかい?
息子:常夏の国フィリピンです。風をきって走ることが気持ちいいのです。
トライシクル
母 :こっちのは、オートバイにサイドカーを取り付けたものじゃな?
息子:そうです。車輪が3つあるので、トライシクル(tri 3つ cycle輪)とよびます。
母 :なんだかワクワクするような乗り物じゃのう。
息子:舵をきるのも、前に進むための動力を伝えるのも、止まるのも、すべてオートバイの側が担うわけなので、走ったり止まったりすることに、かなり無理のある乗り物です。
母 :不安定…なのか?
息子:発進する時はサイドカーが大きく後ろに引っ張られるし、止まる時にはサイドカーだけ前へすっ飛んでいこうとします。さらに、これに人間が何人も乗ります。安定して走れるかどうかは運転手の腕しだいです。
母 :この乗り物、日本では走れるだろうか?
息子:保安基準や強度、安全装置など、すべての点で許可をとることは困難でしょうね。
ジープニー
母 :息子や、あの古風な形のバスは素敵じゃのう。
息子:はい、ジープニーといいます。
母 :ジープニー?
息子:ジープをジットニー(小型バス)に改造してあるから、ジープニーと呼ぶのです。
母 :ジープって、あの4輪駆動車?
息子:そうです。第二次世界大戦の時にアメリカ軍が大量にフィリピンに持ち込んで、終戦と共に乗り捨てていったものです。
母 :80年以上前の車がベースだな?
息子:その通りです。
母 :バス停はどこにあるのじゃ?
息子: ありません。道路上で運転手に合図をおくって乗せてもらいます。
母 :乗り降りが、しにくくないか?
息子:逆に、扉のないジープニーは、交差点でも止まっていれば乗ったり降りたりできます。お客を乗せれば乗せるだけお金が稼げます。なので運転手は必ず声をかけてくれます。
母 :どこへいくバスか、わかりにくいのう。
息子:前や横に札がでています。
母 :いくらで乗せてくれるのだ?
息子:だいたい20円から50円くらいです。行きたい場所を運転手に伝えて、言われた値段をはらいます。
母 :降車ボタンは、あるのか?
息子:天井を手とかコインでカンカンたたきます。
ジープニーが消える?
息子:フィリピン政府が、古いジープニーを廃止しようとしています。
母 :どうしてじゃ?せっかく80年以上守り続けてきたフィリピンの文化じゃろ?
息子:旧型のディーゼルエンジンの排気ガスの高濃度の有害な物質や粒子が問題なのです。
母 :排気ガス?
息子:世界中で車の排気ガスは厳しく規制されているのに、フィリピンの街はすさまじい排気ガスと大量の微粉末で満たされています。
母 :日本では、きびしい排気ガス規制のせいで、多くのオートバイが生産停止になっておるということを聞いたことがあるぞ。
息子:その通りです。内燃機関が存続できないほど、排気ガスは清潔さを要求されています。
母 :フィリピンには、80年前のジープニーは何台くらいあるのだ?
息子:マニラ首都圏だけで25000台も走っています。
母 :首都まるごと、太平洋戦争の現存する資料館みたいなものじゃな。
息子:それらが元気に走っているのですから、驚きです。
母 :それらを「電気ジープニー」や「ソーラージープニー」に替えようというのじゃな?
息子:その通りです。
母 :反発は大きいじゃろ?
息子:はいフィリピン全体で、ジープニーの運転手が60万人、所有者が20万人ほどいるといわれています。この人たちが一斉に仕事を失うことになりますから、2023年にはジープニー運転手によってストが行われました。
母 :スト?運転手たちが、運転を放棄したというのか?
息子:そうです。ストが行われるとフィリピンでは生徒も教員も学校に行くことができません。ですから、学校が休校になります。
母 :そうか。鉄道や路線バスのないフィリピンでは、ジープニーのストは大問題なのじゃな。
コロナのおかげで空気のきれいさを知った?
息子:2020年、コロナウイルスが蔓延した時、「隣の人との距離が近いから」という理由で、ジープニーとトライシクルの運行が禁止されました。
母 :窓や扉のないあけっぴろげの乗り物なのだから、密が避けられて安全じゃろうに。
息子:それに続いてフィリピンは大々的にロックダウン(都市封鎖)されました。そこで、人々はジープニーのいない、空気のきれいなフィリピンを知ってしまったのです。
母 :おお、コロナのせいでジープニーの排気ガス問題が、さらけ出されたわけじゃな。
息子:その通りです。
母 :なあ息子や、うばすて山にジープニーのエンジンとごっそりと置き換えられる「電気モーター」を作る工場をつくって、フィリピンでそれを売ってみないか?
息子:かあさん、突然何を言い出すのですか?
母 :同じジープのエンジンで走る単一の車種のバスが何万台も現役で走っておるのじゃろ?ならば、その車体に合う「EVエンジン」を売れば、ビジネスとして成り立つぞ!
息子:そうですね。日本のメーカーならモーターと電池を試作できそうですね。
母 :ようし、フィリピンのジープニーの動力を日本製モーターにかえて、さらにスマホでその位置を検索できるシステムを作るぞ!息子や、会社の設立準備じゃ!
息子:母さん、会社の名前は何としましょう?
母 :Uber Stay (うーばー・すてー)なんてのは、どうじゃ?
文責 玉木英明