城跡所在地 福岡県宗像市王丸 訪れた日 20090809
”大治五年宗像大宮司家の第十五代・宗像氏平(むなかたうじひら)が姓を許斐と改め、許斐山に築城、十六代氏宗がこの城を補修し、正式に宗像本家の出城として、その子氏元が許斐家の始祖と称されている。1499年鳶ヶ岳城主から攻められて、二十五代氏能は、田島の岩ヶ崎城にて戦死、城はつぶされた。1,529年宗像家臣占部越前守豊安がこの城を再営し、三代37年間続きその後許斐左馬大夫氏備が城主となっていたが1587年宗像家断絶のときは以上になった。(このみやまじょう)