令和7年9月12日 管理者(名取)投稿
*********************************** ***************
知られざる親日国、ポーランド ー 同窓生ご家族の旅行体験 から実感 ー
*********************************** ***************
先月、8月31日の産經新聞の一面の見出しは【露国境 欧州防衛「東方の盾」 ポーランド要塞線 戦車壕や障害物】という欧州防衛の最前線を報じた緊張感に富んだものでした(下記画像参照)。ポーランド、対ロシア国境に要塞線「東方の盾」を建設 現場ルポ 「戦車遅らせ迎え撃つ」 - 産経ニュース
本文は下記画像の下に続きます。
以下にこの記事のリード文を掲載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ウクライナを侵略したロシアが将来的に欧州に地上侵攻する懸念が強まっている。 北大西洋条約機構(NATO) 加盟国のポーランドは自国と欧州の防衛に向け、ロシアと同盟関係にある東の隣国ベラルーシ、北方のロシアの飛び地カリーニングラードの両国境沿いに要塞線を建設する「東方の盾」作戦を発動した。ロシア国境の現場では、戦車壕の掘削や対戦車障害物の設置が急ピッチで進められていた。(ポーランド北東部国境地帯 黒瀬悦成、写真も)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ポーランドは、ロシアの侵攻に備えてロシアとベラルーシの国境数百キロにわたって、要塞線を建設中で、2028年に完成予定とのことです。
記事中の左下の図にありますように、国境にまず「鉄柵」を設置し、次に「鉄条網」。続いて「戦車壕」、そして「防御柵」、その後ろに対戦車障害物を設置。そして地雷原をおいて再び対戦車障害物を設置。最後に抵抗陣地が構築されます。縦深の要塞線です。この構造を数百キロにわたって構築するのです。
これがポーランド及びヨーロッパのまぎれもない現実であって、ロシア軍の侵攻がいまあってもおかしくないという緊張感に満ちています。言葉を換えればロシアに極度におびえているといってよいと思います。
私は、ポーランドの苦難の歴史ポーランド - Wikipedia を見るとき、自国の防衛をここまでする理由がわかる気がします。強国のプロイセン王国(後のドイツ帝国)、オーストリア帝国及びロシア帝国の3国に囲まれたポーランドは、18世紀に、3度にわたってこの3国により分割された末に消滅し、123年間にわたり他国の支配下に置かれ続けました。音楽家のショパンはこの時代のポーランド人で、パリで亡命のような生活を送りました。フレデリック・ショパン - Wikipedia
ロシア革命が起こったことを契機に1918 年に独立を回復しましたが、1939 年にナチス・ドイツに攻撃されました。この時、ヒトラーとスターリンの密約により、ソ連軍も同時に西側から侵攻して、ポーランドは独ソにより分割占領され、再び国家が消滅しました。ポーランド人はユダヤ系の人々も含め、虐殺など過酷な支配を受けました。
ナチス・ドイツが敗戦により崩壊したものの、ソ連占領下のポーランドは共産主義政権をソ連によって樹立され、ソ連の衛星国として苦難の戦後を送りました。
そして、ベルリンの壁が崩壊し、1989年に行われた自由選挙の結果、非共産党政権が成立。現在のポーランド共和国となりました。また、米国主導の北大西洋条約機構(NATO)にも加盟し、事実上の西側諸国の一員となっています。
このような歴史を見るとき、ポーランド国民が、もう2度とロシア(旧ソ連)の支配に屈するのはご免だという強い意志になるのは当然かと思います。
さて、このようなポーランドですが、大変な親日国であることは私も知識としては多少知っていましたが、実際に旅行してその体験談を初めて教えていただいた方が、59回生の赤羽 義章 氏(令和2年8月ご逝去)の奥様の典子 さんと娘さんの智津(ちづ)さんのお二人(以下、お二人)でした。<<赤羽 義章 氏のご逝去については同じ回生の山田 正幸氏が追悼文を会報に寄せていただいているので、ご覧いただければと思います。⇒ 赤羽義章君のこと>>
赤羽 義章 氏から、自身は体調の関係で行けないが、お二人を歩こう会に参加させて欲しいというご要望があり、平成30年の秋季歩こう会『秋の京都 長岡京跡から竹林の径を歩く』平成30年秋季行事実施状況 と令和元年の秋季歩こう会『令和元年晩秋の京都 紅葉の中、清滝から保津峡を巡る』令和元年秋季行事実施状況 に参加いただきました。
本文は下記画像の下に続きます。
平成30年秋季歩こう会 後列右から2番目が奥様の典子 さん。右端が智津さん。
令和元年の秋季歩こう会 前列左から2番目が奥様の典子 さん。後列左から3番目が智津さん。
お二人は快活でよくお話しされ、歩こう会の一行に明るく楽しい雰囲気をもたらしてくれました。とりわけ、ほぼ毎年行っているというお二人でのポーランド旅行が本当に楽しかったということを話題にされていました。当時の私の日記を見るとお話の要点しか書いていませんが、ポーランド旅行の体験を楽しく語るお二人のお話は記憶にあります。
最初はワルシャワやクラクフなどの都市部やアウシュビッツなどの有名なところに行っていたとのことですが、最近は田舎の方に足を延ばして、わざわざ民宿のようなところにも宿泊しているというお話しでした。田舎の方に行っても町が本当にきれいで湖も多いと。とりわけ、日本人だとわかるとすごく親切に親しく接してくれるとのことでした。
最初、ワルシャワに行ったとき、「日本通り」という名称の通りがあることで親日を実感したとのこと。お二人は日本とポーランドの歴史的関係も勉強されているようで、親日の理由の一つはロシアという脅威を隣国として持っている共通点があり、日露戦争で日本が勝利したこともポーランド人が日本に親しみを感じる原因ではないかと言っていました。
他に、1920年頃にポーランドの要請に従って日本が行ったシベリアのポーランド人孤児の救出のことも話題になったと記憶しています。100年前の日本人が示した人道精神 シベリアのポーランド孤児救出から1世紀で記念式典 - 産経ニュース
日本によるシベリアのポーランド人孤児の救出とは以下のようなことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
シベリアのポーランド孤児救出
第一次世界大戦(1914~18年)時のシベリアや満州には、ポーランドを分割占領していた帝政ロシアにより「政治犯」として流刑にされた独立派や経済移民ら20万人のポーランド人がいた。ロシア革命(1917年)に伴う内戦で多くの子供たちが親を亡くしたり、飢餓や病気に苦しんだりしていた。
ポーランドは子供たちの救出を各国に要請。日本政府だけが応え、1920~22年にシベリア出兵中の陸軍が計763人を救出。孤児たちは栄養状態が悪く、病気にかかっていた子供も多かったが、東京と大阪に滞在して日本赤十字社の手厚い看護を受けて回復、祖国に戻った。 100年前の日本人が示した人道精神 シベリアのポーランド孤児救出から1世紀で記念式典 - 産経ニュース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
よい意味で庶民のお二人が普通に旅行してポーランドが親日国と感じるということは、これは本物の親日国だなと実感しました。
そんなことで、次回もお二人に来ていただければ、楽しい会になり、お話も聞けて嬉しいと思っていたのですが、翌年の令和2年(2020年)1月から新型コロナが蔓延し、春の歩こう会は中止になりました。そしてその年の10月には赤羽さんの訃報が報じられました。
お悲しみは続いておられるとは思いますが、5年が経過しました。来たる秋季歩こう会のお知らせを、よろしければということでハガキでお届けしようと考えています。
最後にお二人のお話を裏付けるような動画を二つ掲載して終わりたいと思います。
一つ目はポーランド人で元外交官のマルタ カルシさんのインタビュー動画です。ジャーナリストの井上和彦氏がインタビューしています。元動画は次の通りです。⇒ 【2020年10月12日配信 #15】欧州一の親日国!ポーランド特集第1弾!
本文は下記動画の下に続きます。
約100年前に日本が行った人道援助であるポーランドのシベリア孤児救出を忘れないということで、ワルシャワの南約70キロに「シベリア孤児記念小学校」シベリア孤児記念小学校 という名前を付けられた公立小学校があります。
この小学校に併設されたシベリア孤児記念幼稚園の園児たちが、ジャーナリストの井上和彦氏一行を君が代を唄って歓迎するという動画が二つ目です。元動画は上記と同じです。
ポーランドは、100年前に餓死寸前だったポーランド人シベリア孤児を800名近く救出した日本に対する恩義を決して忘れていません。そういう国だと思います。
本文は下記動画の下に続きます。
最後までお目通しいただきありがとうございます。
コメント等お寄せいただければ幸いです。(了)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
名取 様
興味深く拝見させて頂きました。
私も海外は35か国へ行きましたが、東欧だけが空白となっていました。
記事を読ませて頂き何とか行きたいと思っています。
問題は家内の腰痛です。
5年前までは毎年2回、家内と二人で海外旅行を楽しんでいましたが、現在は飛行時間2時間以内とするため国内に限定しています。
ここ2年は石垣島、宮古島諸島、対馬・壱岐、利尻・礼文などの離島となっています。
80才までにはポーランドへ行きたいと強く思うようになりました。
それでは、また。
坂井俊英(69回生)
坂井様
コメントをいただき、誠にありがとうございます。
奥様、お大事にしていただきますよう。
ポーランドへの旅行が実現の運びとなりますよう祈念しております。
さて、ご夫婦での海外旅行ということで、私の脳裏に浮かんできた清陵関西支部会報への寄稿があります。
72回生の植松高志氏(富士見出身・大和郡山市在住)が会報第29号(2019年1月発行)に寄稿された「ブルガリアとバルカン諸国への旅記録」という文章です。植松氏のご子息の留学先のブルガリアをご夫妻で訪ねられた1か月近い旅の記録ですが、私には旅の途中で出会った人々やブルガリアの人々との暖かい交流が印象的でした。
もしよろしければ、以下にご寄稿の文章へのリンクを設定しましたので、お目通しいただければ幸いです。
「ブルガリアとバルカン諸国への旅記録」⇒ https://x.gd/OqifL
坂井様
9/14に、お返事のメールをいただき、「添付URL、コロナ1年前の克明な旅行記を読ませて頂きました。」とのこと。お礼申し上げます。ありがとうございました。
さて、恐縮ですが、この場を借りて関連の新聞記事をもうひとつ以下に紹介させていただきます。
バルト三国の一つのラトビアラトビア - Wikipedia では、高校で国防が必修科目となり、高校生(女子生徒を含む)も銃の訓練をしているという記事です。【動画】16歳に銃訓練、国防が必修科目のラトビア「もう平時ではない」 露の脅威に備える小国 - 産経ニュース
ラトビアもポーランドと同様、長くロシア(ソ連)の支配を受けてきましたが、1991年にようやく独立を達成しています。
色々、考えさせられます。