令和6年6月18日 管理者(名取)投稿
【清陵で古文を勉強していてよかった!-NHK大河・枕草子誕生シーンを見て-】
清陵では、古文を畑谷 智雄 先生(飯田高校・東京教育大ご出身)に教えていただきました。先生は3年を通じてのクラス担任でもありました。いつもスクーターで四賀の方から颯爽と通勤されており、我々は親しみを込めて陰では「ハタボー」と言っていました。
今でも記憶に残っているのは、最初の授業の時、「君たち、古文を日本語だと思ってはいけない。外国語だと思って折に触れて辞書を引き、頭に徹底的に入れなさい」というようなことを言われたことです。枕草子をはじめ、源氏物語、徒然草、方丈記などの有名どころの最初のフレーズを暗記させられたことを思い出します。
しかし、受験対策だけではなく、作品の背景も興味深く話していただきました。紫式部を主人公にした今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」関連でも教えていただいたことを思い出します。
畑谷先生は「清少納言と紫式部はそれぞれ、同じ一条天皇の中宮である定子と彰子に女房として仕え、ライバルだったように言われているけれども、定子の方が彰子よりもかなり早く入内しているので、清少納言と紫式部は後宮で接点はほとんどなかったと思う」と言っておられました。そしてさらに「紫式部は容貌に優れて朝廷でも評判だったが、清少納言はそうでもなかったようだ」とも言っておられたことを記憶しています。
さて、そうは言うものの私は「光る君へ」は1回も見ていませんでした。ところが、5月の下旬に放送されたという「枕草子の誕生秘話」を内容とした回が、ヤフーニュースなどで大変な評判となっていました。なんでも紫式部が清少納言に創作をすすめたというストーリーになっていると言います。
日頃、NHKの報道にどちらかというと批判的な私は、「また史実を無視して勝手に作っているな」と半分いちゃもんをつける気持ちで、NHKオンデマンドで当該番組を視聴してみました。
以下に、その番組の枕草子誕生シーンの動画を置きましたので、よろしければご覧願います。
紫式部が清少納言に四季の随筆を書いて傷心の中宮 定子に献上するようアドバイスするという史実的には根拠のない設定なのですが、そのあとの執筆シーンの映像美には正直感心させられました。そこではもう、史実などどうでもいいといった思いでした。
<本文は下記動画の下に続きます。>
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる」の執筆シーンはまさに夜明けで、後ろ盾の実家の父を亡くし、兄弟は謀反の罪で流罪にされるという悲運で憔悴し、生きる気力を失った中宮の寝所にそっと執筆を差し入れます。もちろん早朝です。そして執筆物も我々にも読める文字にしているという演出はすごい。
「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。(後略)」では、美しく蛍を中宮の周りにも舞わせます。執筆物の差し入れも当然夜です。
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、(後略)」では、枯れ葉の演出。
「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、また さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。(後略)」では、執筆シーンや執筆物は出てきませんでしたが、火桶をもって中宮に目通りするという執筆通りの冬を感じさせる演出が秀逸でした。
そして、生ける屍のようだった中宮は気力と感性を回復していくという枕草子誕生ストーリーになっています。中宮が「春はあけぼの・・・」と朗読するシーンでは思わず、心の中で私も朗読していました。覚えているものですね、50年以上もたつのに!
あの頃は受験に必要だから仕方なく勉強した感がありますが、今になってこういう情趣を味わえるとは。泉下の畑谷先生に改めてお礼を言いたいと思います。
ただ、畑谷先生の言われた「紫式部は容貌に優れて朝廷でも評判だったが、清少納言はそうでもなかったようだ」については、今回少し調べましたが、裏付ける資料は見つかりませんでした。
ここまでお目通しいただきありがとうございました。
コメント等ございましたら、お寄せいただければ幸いです。(了)