令和5年1月22日 管理者(名取)投稿
【キリスト教とイスラム教はなぜ仲が悪いのか?-参考動画のご紹介-】
関係する同窓の方はご存知と思いますが、関西支部会報33号で「故郷の神仏へ寄せる思い」という特集をすることを私(名取)の方から提案し、数人の方にご寄稿をお願いしています。
ちなみに、私の提案は昨年秋に実施された「諏訪神仏プロジェクト」(参考:活動報告 | 諏訪清陵高等学校同窓会 (suwaseiryo.jp) )に触発されたものです。
さて、私自身も本特集の寄稿者の一人として原稿を書き進めていますが、おりおりに感じることは、現在日本では異教間、具体的には仏教と神道、神道とキリスト教などの間に深刻な争いがほとんどないということです。
翻って、世界を見ると、最も仲が悪いと言えるのはキリスト教とイスラム教だと思うのは私一人ではなく、多くの人の共通認識だと思います。十字軍によるイスラム教徒虐殺を始め、イスラム勢力のイベリア半島征服、最近では9.11貿易センタービルのテロなど、数えきれない争いの歴史があります。
私も受け売りの知識があるだけなので、偉そうなことは言えませんが、「キリスト教とイスラム教はなぜ仲が悪いのか?」という質問に的確に短く答えられる日本人は、学校教育で教えられないこともあってそう多くないと思います。
もし、この件にご興味がありましたら、歴史研究家で小説家の井沢元彦氏の動画を以下にご紹介したいと思います。分かりやすく解説していると思いますので、よろしければ一度ご視聴をお願いします。(元動画→ 教科書は教えてくれない!キリスト教とイスラム教、仲が悪い理由とは!? - YouTube )
(本文は下記動画の下に続きます)
動画をご覧いただければ、もうそれでこの投稿を終わってもいいのかもしれませんが、一応、蛇足ながら、大部分、動画の受け売りになりますが、私の個人的な見解も含めた解説も書きたいと思いますので、よろしければお付き合いをお願いします。
まず、予備知識ですが、私の理解ではユダヤ教、キリスト教及びイスラム教は仲の悪い三兄弟ととらえてよいようです。ユダヤ教の聖典は旧約聖書ですが、キリスト教にとっても聖典であり、イスラム教にとっては、聖典ではありませんが、教典として尊重されているそうです。また、キリスト教の聖典は新約聖書ですが、イスラム教にとっても尊重すべき教典です。ただし、ユダヤ教では新約聖書を教典として認めていません。イスラム教の聖典であるコーランはユダヤ教及びキリスト教では教典として認めていません。
旧約聖書が三宗教のいずれにおいて聖典もしくは教典とされていることからわかりますように、三宗教における唯一の神は、旧約聖書でいうヤハウェヤハウェ - Wikipedia という創造神であり、共通しています。ただし、イスラム教では、ヤハウェではなく、アッラーアッラーフ - Wikipedia と呼んでいます。
コーランは6世紀から7世紀のアラビア人であるムハンマド(私の世代ではマホメットと教わりました。)ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ がアッラーの神の招きで天上に上り、アッラーから様々な啓示や言葉をもらい、地上に戻ってから、そのアッラーの言葉をもらさず書き留めたものということになっています。ちなみにムハンマドが旧約聖書にある大天使ガブリエルに会ったのが神の啓示を受ける始まりだったとされており、イスラム教が、明らかにユダヤ教やキリスト教から派生したものであることがうかがえます。
井沢氏は仲が悪い原因の一つとして、イスラム教の聖典であるコーランには「イエス・キリストは人であって、神ではない」とのアッラーの言葉が記されていると言います。イスラム教は、イエスを尊敬すべき預言者とは認めていますが、神ではなく人間と言っているのです。
それではどんなことがコーランに示されているのでしょうか。動画にもありますが、あらためて見てみたいと思います。以下、コーラン(クルアーンとも言います。)からの引用は イスラームにおけるイエス(2/3) - イスラームという宗教 (islamreligion.com) によります。
まず以下のコーランからの引用をご覧願います。私の施した赤下線(以下同様)のところですが、アッラーの神がマリアが産んだキリストが神だなどと言う人は宗教を信じている人間ではないと言っているとの記述です。キリスト教徒はイエス・キリストは神の子と言う形を取った神そのものと信じていますから、絶対に許すことはできない言葉です。
(本文は下記画像の下に続きます)
さらに以下の引用を見てみましょう。赤下線の「三位の一つ」というのが問題なのです。キリスト教は長い間、天上にいる唯一の神という概念と人間界に現れたイエス・キリストも神であるということが並立している事態、つまり唯一の神でありながら、二つ以上に人間には見えるという解決困難な矛盾に悩んでいましたが、4世紀に至って、(強引だと個人的には思いますが)天上にいる神とイエス・キリストそして聖霊は別のように見えるが、実は同一の神であるという三位一体説三位一体 - Wikipedia を取り入れ、矛盾を解消しました。しかし、そこのところをイスラム教から突っ込まれているのです。
(本文は下記画像の下に続きます)
神が三つあって、イエス・キリストがそのうちの一つだなどということは不信人である。そういう者には厳しい懲罰が下る。神は唯一なのだから、神が三つなどあり得ないと批判しているのです。追い打ちをかけるように、イエス・キリストは神のお使いではあるが、マリアが産んだただの人間であり、その証拠に食物を食べているではないかと追及しています。
これもまた、キリスト教が拠り所とする三位一体の考えをこれ以上ないくらいに罵倒し、否定しています。キリスト教徒にとって許すことのできない記述です。
以上、コーランに記載されているキリスト教徒が断じて容認できない記述を見てきました。
次に、井沢元彦氏が動画で紹介している、13~14世紀の有名なイタリアの詩人ダンテダンテ・アリギエーリ - Wikipedia の神曲に書かれたムハンマドへの冒涜的な記述とは具体的にどんなものなのか見てみたいと思います。原典を見るのは大変なので、少し古いですが、ニューズウィークに「ISが標的にするイタリアの古典、ダンテ『神曲』のムハンマド冒涜が凄い」ISが標的にするイタリアの古典、ダンテ『神曲』のムハンマド冒涜が凄い|ニューズウィーク日本版 という記事から以下を引用します。
ダンテの代表作である壮大な叙事詩『神曲』には、イスラム教の預言者ムハンマドが登場する。それも、イスラム過激派の逆鱗に触れそうな描き方だ。
(中略)
では、いったいどんな描き方なのか──。
『神曲』第1部地獄篇には、「欺瞞の罪」で地獄の第8圏に落とされたムハンマドとダンテの架空の出会いが描かれている。ムハンマドは悪魔に胸を切り裂かれ、内臓が垂れ下がった、見るもおぞましい姿になっている。ムハンマドの娘婿アリーは、顎から額まで顔を真っ二つに割られている。
ダンテはこの2人を「生前に不和と分裂の種を撒いた者たち」と形容している。ダンテの時代には、イスラム教はキリスト教から分かれた異端の宗教とみられていた。
(ニューズウィーク日本版 2015年7月16日(木)19時25分より抜粋。赤字と下線は名取による。)
ダンテにとっては、憎しみがあるとはいえ、悪魔に切り裂かれているなどとすさまじい描写です。ダンテが言いたいことは、ムハンマドがアッラーの口を借りて嘘をまき散らしたむくいを受けているということでしょう。
ムハンマドはイスラム教にとって最も尊敬すべき預言者であり、その血筋は尊ばれています。そのムハンマドを書物の上とは言え、最高に冒涜していると言っていいでしょう。イスラム教徒にとっては絶対に許すことのできない書物です。
キリスト教とイスラム教はその唯一の神は、いずれもアダムとイブを作った神であり、共通していて私からみれば兄弟宗教です。しかし、先に見ましたように、絶対に交わることのない二項対立で不和の極致になっています。「イエス・キリストは神である」vs「イエス・キリストは預言者であり人間である」及び「ムハンマドは偽の預言者であり、嘘つきである」vs「ムハンマドは尊い預言者であり、真実、神の啓示と言葉を受けられた方」という対立です。
お互いに、相手の言い分を認めた瞬間に自分の宗教は崩壊し、消滅します。
このような差し迫った対立は日本の宗教間には現在見られません。多神教である日本人の宗教観によるもので、幸福なことではないでしょうか。
皆様はいかがお考えでしょうか。コメントをいただければ幸いです。(了)