令和7年4月11日 管理者(名取)投稿
和田峠の戦い・水戸浪士の墓(浪人塚)を訪問-県歌「信濃の国」のことも-
私が牛山 正雄先生の授業中のお話から始めて、元治元年(1864)11月20日に諏訪藩・松本藩連合軍と水戸藩浪士軍(天狗党ともいわれる)とが戦った和田峠の戦いについて本HPに拙文を投稿してから早くも約4年が経過しました。令和3年7月11日 投稿 この間少なからず気になっていたことがありました。
令和5年2月に亡くなられた 69回生の津金 正典さんがこの投稿に寄せていただいたコメントR3/7/12 津金氏コメントの中に以下のような記述がありました。下線は名取によります。
名取様
「知られざる和田峠の戦い−諏訪藩と水戸天狗党の激闘」興味深く拝読いたしました。
下諏訪中学時代、和田峠をクラス対抗のマラソンコースにしていたこともあり、途中にある水戸浪士塚に興味を持ち、また、和田嶺合戦についても背景を調べたことがありました。(自宅に父が購入した下諏訪町立博物館編 「和田嶺合戦」1964年版がありました)
(後略)
津金正典
このようなことで、コメントにある水戸浪士塚(浪人塚)に行こうと思っていたのですが、行っていなかったからです。先日のことですが、親族の法事で富士見に帰省した時に車で水戸浪士のお墓である「浪人塚」に行ってきました。
国道20号線を冨部で右折し、旧甲州街道に出て下社秋宮の近くで国道142号線に入って車を15分ほど走らせると左手に「水戸浪士の墓」の看板があり、路側帯の拡張ですが駐車スペースもありました。
明治維新後に水戸に問い合わせて判明した6名(戦死者全員ではないようです。)の氏名を刻んで墓石にしています。後ろにある盛り土に戦死者が埋葬されているとのことです。
(本文は以下の画像の下に続きます。)
さて、和田峠の戦いについて本HPに投稿した拙文令和3年7月11日 投稿 では、牛山正雄先生から授業中に直接、先生のひいおじいさん(以下、曾祖父)が和田峠の戦いで戦死したことを聞いたことを書いています。
このことを確かめようと和田峠の戦いでの諏訪藩側の戦死者名を調べていたのですが、なかなかわかりませんでした。しかし最近、中津川市の古文献アーカイブというサイトを見出すことができました。→ 中津川市アーカイブ【和田峠の戦い】
自治体である岐阜県の中津川市の史料ですので、信頼性は高いと考えてよいと思います。そこには以下の和田峠の戦死者名の記述がありました。
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高島藩(諏訪藩)の戦死者名にある牛山源次郎という藩士が牛山先生の曾祖父に当たるのではないかと思います。裏付けを取ったわけではないので、100%というわけではありませんが、可能性としては高いと思います。機会を見つけて、資料をみたり、関係者から話を聞いて裏付けをしたいと思います。
さて、その晩に来た私の妹(富士見在住)に水戸浪士の墓に行ったことを話すと、妹はかなり前だが夫(以下、義弟)とともにそこに立ち寄ったことがあると言います。なんでも義弟と一緒に八島湿原に行った帰りに車で下諏訪に向かう途中で「水戸浪士の墓」の案内板を義弟が見つけて立ち寄ることにしたとのこと。義弟は茨城県の日立市で生まれて育ち、大学も水戸市の茨城大学を卒業しました。
多分、郷里にゆかりのある人たちの墓ということで義弟の目に留まり、立ち寄る気になったのではないかと妹とその晩は話しました。大阪に戻ってしばらくたった晩に義弟に電話をしてそのことを聞いてみました。最初は思い出せないようでしたが、霧ヶ峰から帰る下り坂の途中とか、下諏訪へ抜ける道、あるいは和田峠など、状況を説明すると思いだしたようでした。天狗党については大学の教養で詳しく教えられたとのことで、やはり水戸浪士の墓という文言が気になって立ち寄ったとのことでした。
何の予備知識も予定もない状況で、あっという間に過ぎていく車窓の風景の中にたまたま視界に入った「水戸浪士」という文字に義弟は反応したのです。(以下の画像はNETからです。)
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さて、かなり状況は違いますが、類似と言っていいかもしれない経験が私にもあります。ご存じの方もあると思いますが、下記の写真にあるように京都の三条木屋町の高瀬川の橋の東に『佐久間象山先生遭難の碑、大村益次郎卿遭難の碑「北へ約壱丁」』と書かれた石碑が建っています。
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私は大学では京都で生活しましたが、その頃から三条通りでこの石碑を見ると一瞬足が止まることを自覚していました。もちろん、佐久間象山佐久間象山 - Wikipedia も大村益次郎も幕末維新の英雄・偉人で、とりわけ佐久間象山は信濃、松代の出身で幕末の洋学の天才と言われ、その門下には勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰などがいます。吉田松陰にペリーの艦隊に潜入して米国渡航をすすめたのは佐久間象山だと言われています。しかし、それだけで足が止まるわけではなさそうでした。
幕末の京都は物騒なところで、暗殺事件や切りあいが多発し、ちょっと歩くと坂本龍馬が暗殺された遭難碑や新撰組に殺された伊東甲子太郎の石碑などがあるのですが、そういったところを通っても上記の三条木屋町の碑ほど反応することはないことも自覚していました。
はっきりとはわかりませんが、私が佐久間 象山という名前に反応してしまうのは恐らく以下に示す、県歌・信濃の国の5番の歌詞が脳裏に定着しているためではないかと思います。
(本文は以下の画像の下に続きます。)
同窓の皆さんの多くも恐らくそうだと思いますが、信濃の国は小中学校で本当によく歌いました。私の場合、小学校に校歌がなかったので、とりわけ小学校では朝礼時、終業時、運動会、音楽会、学芸会、始業式、終業式、卒業式などありとあらゆる行事や機会をとらえて歌いました。これは憶測ですが、県の教育委員会の方針もあったのかもしれません。
九九の暗算ではないですが、小学生の柔らかい無垢の頭脳に四六時中、信濃の国の歌詞を吹き込んでいたらどうなるでしょうか。子供によっても違うとは思いますが、私のように純真で素直だった(??)子供においてはその歌詞が頭脳に浸透し、血肉化してしまうのかもしれません。
余談ですが、会社員時代に東京の銀座で仕事関係の人を接待した時、横に来たホステスの方が長野県出身(確か松本)とわかり、県歌信濃の国の話で盛り上がって、よせばいいのに、二人で3番まで何も見ずに歌って、まわりを驚かせると同時にシラケさせたこともありました。
私はこれからも三条木屋町を通る際には、時間の許す限り石碑に足をとどめ、県歌信濃の国と佐久間象山に思いをはせたいと思っています。
最後までお目通しいただきありがとうございました。(了)
名取様
こんばんは。支部長の藤森です。
本題の 和田峠の戦い・水戸浪士の墓(浪人塚)を訪問に関してではなく、松本出身のホステスさんと県歌信濃国を2人で3番まで歌って、周りを驚かせたこと面白く読ませて頂きました。日本全国の都道府県で全県の人が県歌を歌えるのは多分長野県だけでしょう(今は知りませんが)。小生毎年琵琶湖で開催される鳥人間コンテストで出身大学のクラブの応援に行きます。全国から同窓生と関係者が応援に駆けつけます。ある年長野県上田出身の同窓生のお母さんが”長野県の出身者は皆県歌「信濃国」を歌えるんです、と話していました。知人の同窓生が、藤森(小生)さんは多分長野県の出身なので、一緒に信濃国を歌ってみたら、と言われました。音痴の小生は恥ずかしいが長野県出身を証明するため、お母さんとデュエットしました。名取さんの経験と同じように、出身大学の同窓生は皆驚いていました。改めて長野県の教育は凄いんだと実感した出来事でした。
取り急ぎ雑感まで。
名取さん
田中啓資です
水戸浪士の墓の投稿記事
田舎や 牛山先生 (牛正)のことを思い出し
楽しく拝読させていただきました
2-3年前に 島崎藤村の夜明け前を
読み (確か途中までですが)幕末の
その頃の 中山道の様子が書かれていて
水戸の天狗党の乱のことも知りました。
その内容と今回のお話がかさなっており、
感じるものがありました
ありがとうございます
また新しい情報ありましたら、ご教示
願います
大分前のNHK 時代劇ドラマ の 「一路」も
中山道を舞台にして信州もでて来てよかったです
音楽や歌にセンスがない私でも「信濃の国」が音楽的にも素晴らしいと思うのは、曲が行進曲風の一本調子ではなくて、下記の四番では一転、緩やかなテンポの情緒性を感じる曲に変わり、詞も内容が豊かなことです。小学校の時は女性の音楽の先生がきれいな声で独唱してくれたことを覚えています。
今回、youtubeではどんな感じで信濃の国が紹介されているか少し調べてみました。その中に長野少年少女合唱団の素晴らしい歌声があるのを見出すことができました(ただし、個人の感想です(笑)。)。→ 信濃の国4K映像
その合唱の四番を切り取った動画を以下に掲載してみました。もしよろしければご覧いただければと思います。
名取さん
いつも楽しい情報発信ありがとうございます。
水戸浪士の墓の存在、初めて知りました。
160年前とのこと、よく考えれば既に70歳を過ぎた私の、生まれる前たかだか90年前に
幕末の志士達の血で血を洗う激しい闘いが
我が故郷で繰り広げられていたと思うと、はるか昔と思っていた明治維新がグッと身近に感じられました。次回帰省の折、尋ねたいと思います。
信濃の歌、私のエピソード2件。
30代後半の若かりし頃、出張で訪れたスイス
にて、晩の夕食会で、現地駐在員が信州出身と
知って、2人で信濃の歌を歌ったことを思い出しました。勿論周りはあっけにとられていましたが。
関西に来て、テレビで「探偵ナイトスクープ」という番組が好きでよく観ていましたが、
「長野県人は皆県歌を歌えるらしい」という調査依頼があり、探偵が調査に繰り出しところ、まさに全員が歌えたというのがありました。(笑)
長野、松本、上田、諏訪、飯田と異なる文化を
一つにまとめる求心力として、県歌が作られ
県内全ての小中学校で嫌という程教えられた
と聞きました。教育が如何に大事か、思い知らされますね。
次回、関西支部総会にて、校歌と合わせて県歌
をみんなで歌いたいですね。
校歌と同じで、長過ぎるのが難ですか。(笑)
花岡正浩拝