令和7年8月5日 管理者(名取)投稿
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上條恒彦さんのこと ー 長野県出身、よい俳優・歌手でした ー
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先月亡くなった上條恒彦さんの唄った歌と俳優活動、主にNHK大河ドラマでのシーンは心に残っています。長野県出身の方です。Wikipedia 上條恒彦 - Wikipedia から、上條さんの長野県がらみの来歴を拾ってみると以下のようになりました。
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上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日- 2025年〈令和7年〉7月22日)は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡朝日村出身。ひげと眼鏡の風貌で親しまれた。
朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。
大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、新宿のうたごえ喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えるなど、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
1987年から長野県諏訪郡富士見町、八ヶ岳山麓に居住。妻の著書『八ヶ岳山麓 上條さんちのこどもごはん』(信濃毎日新聞社、2015年)に生活の様子が記されている。
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スケールの大きな歌声が魅力でした。テレビ時代劇『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』は大ヒットしましたが、私は今でも空で歌うことができます。私の昭和の歌の一つです。
ご自宅も富士見町に構えられていました。私は入笠山の湿原の近くで上條さんがご家族と飯盒炊爨をしているところに出会ったことがあります。
さて、俳優として上條さんは多方面で活躍し、「金八先生」などにも出演していましたが、私にとっては、NHK大河ドラマの人でした。大河ドラマには以下のように出演しています。
★徳川家康(1983年) - 鳥居強右衛門 役
★武田信玄(1988年) - 村上義清 役
★秀吉(1996年) - 斎藤利三 役
★葵 徳川三代(2000年) - 上杉景勝 役
★軍師官兵衛(2014年) - 大友宗麟 役
この中でも1988年放送の武田 信玄での村上義清 村上義清 - Wikipedia 役が私には大変印象深いものでした。長野県出身の上條さんが北信濃の武将 村上義清を演ずる。しかも戦国最強と言われた武田信玄と戦う。どんな気持ちで演技されたのでしょうか。
信濃の南半分をほぼ制圧して村上義清の所領の小県に攻め寄せる武田軍。ここで防がないと信濃全土は武田の支配に屈する。ドラマでの「晴信(信玄の本名)の首をわが前に持ってこい!」という言葉は迫真のものでした。
史実としても村上義清は、武田晴信を討ち取ることこそできませんでしたが、上田原の戦い上田原の戦い - Wikipedia と砥石城の戦い砥石崩れ - Wikipedia で、2回武田晴信を破っています。村上義清は信濃の誇る名将だと言ってもいいと私は思っています。
「武田信玄」での上條さんの出演を以下にピックアップしてみました。よろしければご覧いただきますよう。
◆「晴信を生きて上田原から出してはならぬ。わが前に晴信の首を持ってこい」
諏訪と佐久を攻めて降し、支配下に置いた武田晴信(信玄)は、天文17(1548)年2月14日に小県に兵を進めて、北信濃の武将 村上義清と上田原(上田市の西部)で激突しました。地の利を生かして布陣する村上軍。
村上義清は「今日一日が勝負。わが前に晴信の首を持ってまいれ!」と叱咤する。
本文は下記動画の下に続きます。
◆「この戦の勝敗はただ一つ、晴信の首だ。重ねて申し伝えよ!」
伏兵を忍ばせた村上軍の挟み撃ち攻撃により、武田の部将である板垣信方や甘利虎泰など多くの重臣が討ち死にし、村上軍は優位に立ちます。必死に支える武田軍。味方の犠牲をものともせず、ここを先途と村上義清は叱咤します。「この戦の勝敗はただ一つ、晴信の首だ。重ねて申し伝えよ!」
本文は下記動画の下に続きます。
◆「晴信の首はまだか!」
兵を引き、本陣の晴信の周りを固く守る武田軍。夜に入って村上軍は本陣に攻め込むも晴信を討つことはできず。なんとしても討ち取りたいと「晴信の首はまだか!」と叫ぶ村上義清。村上義清はここで晴信を逃せばやがて武田に敗れることを知っていたのでしょう。
村上軍も損害多く、遂に村上義清は兵を引くことを命じます。
この時、武田晴信は腕に負傷しました。これは同時代の史料に記録があり、史実とされています。村上勢が晴信に傷を負わせるまでに肉薄していたのです。討ち取る寸前までいったということです。
村上義清は惜しくも長蛇を逸したのです。
本文は下記動画の下に続きます。
私にとっての昭和がまた一つ去っていったなという思いで、なにか無性に書きたくなり、HPを借りて書いてみました。ここまで読んでいただき、お礼申し上げます。
コメント等、よろしければお寄せ願います。(了)
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名取さん
上條恒彦の訃報は僕にとってもショックでした。
NHKの大河ドラマ出演も然ることながら、僕の心に残る上條恒彦は、ミュージカルスターです。
「屋根の上のバイオリン弾き」はストーリーも歌も音楽も大好きなミュージカルなので、映画も何度も観ました(LPレコードも持っています)。
テヴィエはトポロの当たり役として夙に有名ですが、僕は上條恒彦のテヴィエはトポロ以上だと思っております。森繁久彌や西田敏行のテヴィエを観ましたが、梅田コマ劇場で聴いた上條恒彦のバリトンには比べるべくもないと思っております。
『麓にて』の軽妙洒脱なエッセーも素敵でした。富士見に別荘を構えていると聞いていたので、何時か会いたいと思っておりましたが、その機会は永久になくなりました。
老衰で亡くなったと言うのが寂しいです。老衰はフレイルの進んだものですが、フレイルの状態なら意思の力で防げると思っているので、残念です。
草々
窪田拝