令和7年8月20日 管理者(名取)投稿
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寒天づくりの大釜や浩(ひろし)くんのことなど ー 徒然の雑談です ー
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今回のお盆の帰省もそうでしたが、私は富士見の実家に帰るとだいたい毎日、早朝に3キロくらいジョギングをしています。まあ、家内に言わせると「早歩きにしか見えない」という代物ですが。
そのコースの途中の旧甲州街道沿いの「とちの木」という集落に、3年ほど前から以下の写真のような大きな釜が置かれています。置かれている場所は、古民家再生プロジェクトで誕生した「とちのきえんがわ」とちのきえんがわ:富士見町の古民家再生プロジェクト という地域のコミュニケーション施設の駐車場の端です。(ちなみに71回生の窪田昭男氏のご出身の横吹(よこぶき)という集落はここから徒歩で10分くらいです。)
私は母などから、そこがかつては小笠原商店という寒天製造業の家であったことを聞かされていました。また、この釜がかつて寒天製造の最初に天草(てんぐさ)を煮て大元の寒天原液をつくるのに使われたものということは、例の「諏訪式。」令和3年2月24日 69回生 津金正典氏寄稿 などを読んで承知していました。大きな釜で、高さは1.5メートルはありそうです。
本文は下記画像の下に続きます。
さて、この私のジョギングコースでよく出くわす男性がいるのですが、細川 浩(ほそかわ ひろし)(以下、浩くん)という方です。諏訪湖マラソンなどに出場するためのトレーニングだそうです。浩くんは私より確か6歳下ですが、彼の実家は私の実家の近所でしかもお姉さん(川崎市に嫁いでいます)は私と同学年なので、小さいころからよく遊んでいて、弟のように顔なじみの人です。
浩くんは高校を卒業して造園の修行に入り、彼の話では京都でも7年修行して、嵐山の天龍寺の造園にも携わったとのこと。今は細川造園(有)細川造園有限会社│富士見町の造園・お庭の管理 の代表として、活躍しています。実家の母も庭木の手入れなどをたびたび浩くんにお願いしていますが、本当にいい腕をしていますし、料金もリーゾナブルです。
富士見町・原村・茅野市・諏訪市・山梨県北杜市が守備範囲とのことで、頼まれたわけでもないのに宣伝のようで恐縮ですが、同窓の皆さんのご実家で庭や樹木、造園関係の需要がありましたら、細川造園(有)細川造園有限会社│富士見町の造園・お庭の管理 を依頼先候補の一つにしていただければ嬉しいです。
本文は下記画像の下に続きます。
話を戻しますが、先日8/17の早朝のジョギング時に、大釜が置いてある場所の近くで反対方向から走ってきた浩くんと久しぶりに出会いました。いつもは軽く挨拶する程度ですが、私の方から大釜の話をするといろいろ話してくれました。
私はてっきり小笠原商店は寒天製造を廃業したと思い込んでいたのですが、彼の話で、だいぶ前に(後から調べると2001年)拠点を伊那市に移して今も盛んに寒天製造を継続していることを知りました。運営会社 天然糸寒天の小笠原商店
ここ、とちの木よりも立地条件がよいと判断した移転だったようですが、寒風と寒気による天日乾燥にこだわり、今は糸寒天が評判で、羊羹のとらやとも取引があるそうです。
帰って調べてみると、小笠原商店の取材のルポがいくつかありました。恵みのくにへ。 vol.5 ~天然糸寒天作りを訪ねて~ | umamiのくにから(うまみのくにから) 伊那谷の冬があるから味わえる。 伝統製法「天然糸寒天づくり」を見学 | 長野伊那谷観光局
私には直接関係ないのに、小笠原商店が継続していることを聞いてなぜかホッとしました。今はもう富士見には一軒も寒天製造をしているところはないのですが、富士見創業の小笠原商店が伊那で継続しているからです。
かつて、私の父は自分のいとこが経営する寒天製造所で農閑期に働いていたことがありますし、母はまた別の寒天製造所で働いていました。私が小学校の時分です。あの頃は本当に富士見でも寒天が盛んでした。
今は長野県の寒天製造の中心地は伊那市周辺と茅野市になっているようです。
お目通しいただきありがとうございました。コメントを歓迎いたします。(了)
取締役の小笠原 英樹さん
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寒天づくりについて、読ませていただきました。
寒天づくりには縁があり、妻の実家(宮川西茅野)で寒天づくりをしていました。30年くらい前に廃業しましたが大きな釜があり、コンクリートミキサーと同じように回転してやっていました。冬になると新潟、長野、東北などのあたりから季節労務者として雇い、小屋に泊まり込みでやっていました。お世話も大変だったようです。妻の兄は廃業後も最近迄、すぐ近くの兄の従弟の家(TVにも出た大きな寒天屋)を手伝っていました。天草の買い付けから、販売まで小さいながら一つの会社みたいで儲からない割には大変だったようです。
花岡 正
花岡様 コメントをいただきお礼申し上げます。
今も茅野市では寒天製造が盛んなのは、花岡様の奥様のご実家の方々をはじめとする、先人の方々の長い努力と忍耐によるものではないかと思います。原料の天草の入手は量も必要ということで大変なようです。広く海外にも入手先を広げているようですね。