令和6年9月21日 管理者(名取)投稿
同窓の皆さんの多くは、稲荷山古墳出土鉄剣(以下、稲荷山鉄剣)稲荷山古墳出土鉄剣 - Wikipedia のことを一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。鉄剣というよりもそれに記された銘文が有名なのですが、20世紀最大の考古学的発見と言われています。ご存じない方もいらっしゃると思いますので、以下にその概要を示しました。稲荷山鉄剣の正式名は「金錯銘鉄剣」とのことです。
<金錯銘鉄剣> 1968年、埼玉古墳群(埼玉県行田市)の稲荷山古墳から出土した。全長73.5センチ。発見当初は銘文は気付かれなかったが、エックス線調査の結果、厚い赤さびに覆われた刀身に文字が彫られていることが判明し、修復の結果、金象嵌の115字の全容があらわとなった。古墳時代の刀剣の銘としては最長で、「辛亥年」「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」「斯鬼宮」などの記述が記紀を裏付ける世紀の大発見とされ、83年、他の出土品と一括して国宝に指定された。埼玉県立さきたま史跡の博物館で展示中。(よみがえる古代の大和「謎の五世紀-雄略天皇と埼玉稲荷山古墳の国宝・金錯銘鉄剣」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp) より引用)
(本文は以下の画像の下に続きます。)
私も新聞報道等があったので、頭のすみにはあったのですが、当該鉄剣にそれほど強い興味があったわけではありません。
ところが、2012年頃から歩こう会に参加し始めて、たびたびお会いする63回生の増澤 文武氏にいろいろと文化財保存修復のお話しをうかがい、門前の小僧で稲荷山鉄剣にも少なくない興味を持つようになりました。
増澤氏は奈良市の公益財団法人元興寺文化財研究所に勤務された文化財保存修復の専門家の方です。考古学の出土物は出土した瞬間から酸素などの影響を受けて変性や腐食が始まるとのことで、保存には莫大な労力と知恵や技術が必要とのことでした。また、稲荷山鉄剣の銘文に記された「辛亥年(かのいいのとし)」という干支が西暦471年にあたると考えられていることも教えていただきました。改めて感謝申し上げます。
なお、増澤氏には、本年2月発行の関西支部会報に「私が文化財の保存修復の世界に入ったきっかけ」の題で寄稿いただいています。よろしければご参照をお願いします。→ 増澤氏ご寄稿
そんなわけで、折に触れて資料を見たりしていましたが、実物(埼玉県立さきたま史跡の博物館蔵、行田市)はまだ見ていません。
さて、それでは稲荷山鉄剣の銘文にはどのようなことが書かれていたのでしょうか。以下に現代語の部分要約を示します。
【文献史料】 稲荷山古墳出土鉄剣銘 (五世紀後半、現代語訳、部分要約)
辛亥年(かのといのとし)(四七一年)七月に記す。名はヲワケの臣。 先祖代々、杖刀人の長(大王の警護隊長)として仕え、今に至る。ワカタケル大王 (雄略天皇)のとき、シキの宮にあったとき、私は、大王が天下を治めるのを補佐した。この百錬の刀を作らせ、私が大王に仕えてきた由来を記すものである。(引用:国史教科書 中学校社会科用 令和書籍 2024)
自分の名はヲワケ(稲荷山古墳の被葬者)で雄略天皇の警護隊長であり、奈良(大和)の磯城(しき)の宮で天皇の政務を補佐したと書かれています。西暦471年は日本書紀に記載された雄略天皇の在位(456~479)の範疇であり、考古学的出土物から日本書紀における雄略天皇の存在が実証されたと考えられています。
また、中国の史書である宋書・倭国伝には雄略天皇と考えられている倭王武が478年に使いを送ってきたことが書かれています。この478年も雄略天皇の在位と一致します。
以上より、「雄略天皇・日本書紀 = ワカタケル大王・稲荷山鉄剣 = 倭王武・宋書」と考えられることが学会の定説となっています。
さて、話は飛びますが、本年は4年に一度の教科書採択の年だそうです。来年度から各自治体や私立校で使用する教科書が決められるということで、各都道府県やその他自治体で教科書展示会が開かれるということを耳にしました。そこで、大阪府での開催日程と会場も調べました。→ 教科書センター/大阪府(おおさかふ)ホームページ [Osaka Prefectural Government]
孫が今年、中学生になったので、どんな教科書を使うのか興味もあり、時間に余裕のある(平たく言うとひま人ですね(笑))私は展示会に出かけることにしました。ただ漠然と教科書を閲覧してもしょうがないので、中学校用社会科歴史教科書(以下、中学歴史教科書)では稲荷山鉄剣についてどのように記述されているか、教科書会社ごとに比較して調べてみることにしました。
そして、6月に池田市の図書館で1日、また、高槻市の図書館で1日、計2日を費やして閲覧しました。もっとも稲荷山鉄剣だけを見ていたわけではありませんが。閲覧している人は少なく、両図書館ともに私以外に閲覧している人は1人もしくは2人だったと思います。
以下に調査結果の一部を示します。ポイントの一つを「雄略天皇・日本書紀 = ワカタケル大王・稲荷山鉄剣 = 倭王武・宋書」という定説をどのように記述しているかにしてみてみました。
展示してあった中学歴史教科書は全部で8社のもので、令和書籍、育鵬社、自由社、教育出版、東京書籍、帝国書院、山川出版及び日本文教出版でした。
以下が結果です。
①「雄略天皇・日本書紀 = ワカタケル大王・稲荷山鉄剣 = 倭王武・宋書」を記述: 3社 → 令和書籍、自由社及び山川出版
②「雄略天皇・日本書紀 = ワカタケル大王・稲荷山鉄剣」を記述: 1社 → 育鵬社
③「ワカタケル大王・稲荷山鉄剣 = 倭王武・宋書」を記述: 2社 → 教育出版及び東京書籍
④ 銘文に「ワカタケル」と書いてあることのみで、他史料との関連性の記述なし: 1社 → 帝国書院
⑤ 銘文に「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」(原文)と書いてあることのみで、他史料との関連性の記載なし: 1社 → 日本文教出版
私は上記の結果から、孫には①あるいは②の教科書を使ってもらいたいと思いました。我が国の正史とされている日本書紀を尊重しているということに執筆者の愛国心と事実を伝えたいという意気込みを感じるからです。③は自国の史書より中国の史書を重視していて、私には好ましく思えません。④と⑤は論外です。このような記述では鉄剣の銘文がどのような意味を持つのか、教科書を読んでもわからないからです。
また、記載ボリュームにも教科書会社によって大きな違いがありました。最も充実していたのは①の令和書籍のもので、以下の画像に示すように、稲荷山鉄剣関係の記述が3ページにわたっています。仮にどの教科書が適切か聞かれたら、私は迷わず、令和書籍の教科書を推薦します。
(本文は以下の画像の下に続きます。)
一方、最も記載ボリュームが少なかったのは、⑤の文教出版でした。以下に示しますが、本文には稲荷山鉄剣の説明はなく、写真とその説明文だけです。その説明文も上記で示したように「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」と書いてあるとの記載のみです。お寒い感じがしました。考古学史上、最大の発見と言われる事績が完全にないがしろにされています。私の想像ですが、文科省の教科書検定員に言われてしぶしぶ掲載したのではないでしょうか。派手なカラー印刷ですが、中身は心もとない感じです。
(本文は以下の画像の下に続きます。)
今回、教科書記述を調査し、門前の小僧で素人とはいえ、稲荷山鉄剣の記述に教科書会社によって、これほどの差があるとは本当に驚きでした。思想信条は自由とは言え、教科書には思想を持ち込んではいけないと思います。歴史の事実は事実として教科書に書くべきは必ず書いてほしいと考えます。
最後に、最も記述が充実していたと思われた令和書籍の教科書の稲荷山鉄剣に関わる記述を、抜粋して以下に掲載しました。よろしければご参考に目を通していただければ幸いです。
ここまで目を通していただき、ありがとうございました。
『宋書』が記す「倭王武」は、雄略天皇のことだと考えられています。雄略天皇が独立の意思を持っていたことは、二つの前方後円墳から出土した文字史料から確認できます。 埼玉県行田市の稲荷山古墳出土鉄剣銘と、熊本県和水町の江田船山古墳出土鉄刀銘です。 いずれも五世紀末のものとされています(文献史料「稲荷山古坑出土鉄剣銘」「江田船山古墳出土鉄刀銘」参照)。
稲荷山古墳は考古学では五世紀後半とされています。また、鉄剣銘には「辛亥」の文字があり、 これは四七一年のことと見られています。「日本書紀」が記す雄略天皇の在位は四五六~四七九年ですから、これと完全に一致します。「日本書紀」の紀年と一致するのは、雄略天皇が歴代天皇のなかで最初になります。
この鉄剣と鉄刀に刻まれた文字は、日本列島で記録された最初期の文字史料です。そして、そこには「獲加多支鹵大王」(わかたけるだいおう)という同じ大王の名前が刻まれていました。ワカタケル大王とは、雄略天皇のことです。大和朝廷は四世紀には日本列島の大半を統治していましたが、これらの文字史料からもそれを再確認することができます。これらの鉄剣と鉄刀は、中央で作られ、地方の豪族に下賜されたもの、あるいは地方豪族が自ら作らせたものと思われます。
そこで注目すべきは、この両方の銘に「治天下」(天下を治める)という文字があり、 しかも、その主体は明らかに中国王朝の皇帝ではなく、ワカタケル大王なのです。中国の冊封体制から独立した、日本独自の天下がそこに語られています。 以後、日本の国家運営は独立志向の強いものになります。それは、中国王朝との関係を必要とせず、独自の天下を創り出そうとした雄略天皇の国家戦略に始まったと考えられます。
【文献史料】 稲荷山古墳出土鉄剣銘 (五世紀後半、現代語訳、部分要約)
辛亥年(かのといのとし)(四七一年)七月に記す。名はヲワケの臣。 先祖代々、杖刀人の長(大王の警護隊長)として仕え、今に至る。ワカタケル大王 (雄略天皇)のとき、シキの宮にあったとき、私は、大王が天下を治めるのを補佐した。この百錬の刀を作らせ、私が大王に仕えてきた由来を記すものである。
【文献史料】 江田船山古墳出土鉄刀銘 (五世紀後半、現代語訳、部分要約)
天下を治めるワカタケル大王の世に、典曹(文書を司る役所)に仕えていたムリテが、八月に大鉄釜を用いて立派な刀を作らせた。この刀を持つ者は長寿にして子孫が繁栄し、統率する力を失うことがない。
(引用:国史教科書 中学校社会科用 令和書籍 2024)
掲載(了)
教科書検定のお話、大変興味深く拝読しました。各出版社の考え方が反映されているんだろうなぁ、と漠然と思ってはいましたが、実際に比較してみたことはなかったので、とてもびっくりしました。そして、それら教科書を使って学習し、受験をする中学生の立場から考えると、歴史観はもちろんのこと、実際問題として情報量にかなり差異があることに驚きました。中学生は勉強も難しくなってくるけれど、それ以前にまず「教科書」が難しいのだなぁ、と思いました。ちなみに、息子に聞いてみましたところ、広島市の公立中学の社会の教科書は東京書籍でした。
上記のコメントをお寄せいただいた92 回生 橋本 由布子 様(以下、橋本さん。旧姓は木川さん)は、広島市在住ですが、92回生が本年の当番学年であり、諏訪からも同回生が参加するということで、3月に実施された関西支部の総会に参加申し込みをいただいていた方です。その時のやり取りでメールアドレスなどを教えてもらっていました。
ただ、橋本さんは、総会の直前にご親族の事情が急遽発生し、欠席されました。
5月下旬に配布された清陵同窓会報51号の8ページに、「92 回生と附属中卒業生が心の熾火を語ってみた」(→ 心の熾火・対談 )という対談が掲載され、橋本さんが参加されていることが目に留まりました。
そこで名取から拙い感想をメールでお送りしたところ、お返事をいただき、その中に橋本さんに中学生の息子さんがおられることが書かれていました。それが契機で橋本さんに厚かましくも上記の【稲荷山古墳出土鉄剣の記載内容が教科書によって大きく違うのに驚き!-各社の中学社会科歴史教科書を閲覧して-】を紹介しました。
それに対し、橋本さんから上記のコメントをいただいた次第です。橋本さん、ありがとうございました。お礼申し上げます。
なお、92回生学年幹事長 笠原 健一氏(諏訪市在住)から教えてもらったのですが、橋本さん(旧姓、木川さん)は、清陵同窓会報18号(平成4年)に、いずれも清陵卒業生であるおじい様、お父様とともに寄稿されています。中学3年までの5年間ほど米国で暮らしていたそうです。 → 親子三代のそれぞれの時代
名取さんの投稿内容、橋本由布子さん(92回生)のコメント読ませていただきました。
教科書検定は文科省の厳しい?指摘を受けながらも、各著者(出版社)の思想信条が深く関わっていると推察されます。しかし、いずれにしても学生には、史実に基づいて的確に表現された教科書で学んで貰いたいと強く思います。但し教える先生の歴史認識・表現力などにも影響されますね。適切な教科書・良き指導者の相乗効果が問題意識を持つ学生が生まれると思います。
雑感まで。