「あの美人、また来んかのう」
今年八十八になった祖父の秋晴れの日の呟きである。こだわりで四十年飲み続けている緑茶は葉を入れすぎて茶碗に入ったお湯の縁まで満ちている。お茶っ葉の量など無頓着なのが生活の総てであるような大仰なところのある祖父は、その視力の衰えた目で私をまじまじと見つめた。
「あの美人」とは私の友人で、今年三十五歳。私より五歳も年上なのに時折二十歳の初々しさを醸し出し、超かっこよくスーパースペシャルにお金持ちな男性と結婚することを夢見ている乙女である。二十歳の頃から続けているバレエのお陰か均整の取れた体つきをしている。そして祖父の言うとおり、小顔でパッチリした目の日本顔の美人である。
人生相談を人生の楽しみとして長い祖父はその名も「ジンセイ」である。
「今日も立派な人が人生相談に来た」
と祖父が自慢するたびに
「じいちゃんは名前がいいから」
と私はからかうのだが、そう言われてわかっているのかいないのか祖父はきょとんとしていて、自分の言った駄洒落に自己満足で笑っているのは私のほうである。
彼女は年齢的に結婚が一大問題だったのだが、舞い込んだ縁談を持って一度祖父を訪れたことがあった。自慢話の好きな祖父は彼女と相手の生年月日を元に占いをするのもそこそこに誇大妄想的自慢話をでかでかと始めてしまった。
「今から行く所があるから」
と私が彼女の腕を引っ張らなければ、彼女は祖父の長話の手ひどい餌食となるところであった。
とにもかくにも自分の自慢話を黙って聞いていた彼女を祖父は気に入ったらしい。
「あの美人、平田のあんまの所に来んかのう」
そんなことさえ言い出した。平田さんの息子と言うのは、会社社長だが胴長短足のなまず男で、とてもそんな人に大事な友人を紹介する訳にいかない。想像もしない男を紹介されて心中怒る彼女の反応を思うと、私は即座にぴしゃりと言った。
「だめだめ、あの人、面食いだから」
そんなことがあって数日後彼女から一つの話が舞い込んだ。芸術好きの彼女の所属している女声合唱団の団員が彼女の話を聞いて祖父に占いをして欲しいというのだ。縁談があるらしい。私も以前その合唱団に所属していたのでその川原さんというソプラノの歌い手は私も見知っていて好感を持っていた。私は川原さんの縁談話に興味があって祖父に持ちかけると
「生年月日はいつや」
やけに乗り気で身を乗り出した。
こうして彼女柏木さんと川原さんは休日のある晴れた土曜日に二人揃って私の家へやってきた。
「汽車ぽっぽ」と祖母がよく言っていた細長い我が家へ入る前、わた雲の飛ぶ青空の下で私は声をひそめて二人に言った。
「柏木さんは知っているだろうけど、うちのおじいちゃん、自慢大好き人間だから、ほっとくと自分の話をし出すのよ。川原さんの話からずれたら元に戻してね」
川原さんはきょとんとしていたが柏木さんは大きく肯いた。
「よく来られたのう。さっさ、座って、座って」
畳に細長いテーブルを置いた薄暗い部屋で祖父は待っていた。光を背にして座っている祖父の表情はミステリアスに緩んでいる。
「お世話になります」
ホームレスに間違われ警察官に声をかけられたこともあるかっこかまわずの祖父に川原さんが礼儀正しく頭を下げた。
占いが始まると早速祖父の悪い癖が目覚めてしまった。川原さんの縁談を
「あんた、これやめとかれ。この男、あんたを幸せに出来んぞ。でも、あんたにはこの人くらいかもっと年上がいい」
などと真剣そのもので断言したのはいいがそれからがいけない。神妙に聞いている川原さんを前に
「わしは国際結婚をしたことがあった。戦時中のことでな」
そんな話を始めたのだ。
「そんな話、聞いたことがない。それに戦時中なら前の奥さんがいたはずだ。おじいちゃん、二人が知らないと思って、二重結婚の話をしているのか」
私が心中思いながらいると
「それじゃあ、今野さんはクォーター」
素直な川原さんは私に水を向けた。
「いえ、私は純日本種」
私が困惑しつつ答えると
「じゃあ今野さんの親戚が他の国にいるかもしれないのね」
川原さんは目を輝かせて聞きたがる。それを見て得意になって祖父はさらに声を大きくする。
「そんな大きな声出さんでも、じいちゃんみたいに耳が遠いわけじゃないんだから」
そういいたい私だが、祖父の立場もありそんなことも言えない。
「あれは昭和十九年のことだった。わしは特殊部隊にいてスパイの訓練を受け海外にいた。現地に入り込むとそこでしばらく生活しとってな、酋長の娘を紹介されたんだ。ああいうところは美人でも身分が低いとだめでな、酋長の娘は美人ではない女だったが、お陰でわしは大切にもてなされた。わしは日本に帰らなくてはならなかったが、向こうもそれを承知で結婚したんだ。まあ、ああいうところの人間はいい子種さえもらえればいいんだ。・・・・」
祖父の話は永遠かと思われるかのように続いた。そして、
「戦争では嘘発見器も作ったんだぁ」
急に話題が少しずれたところで
「その嘘発見器にかけたら、じいちゃんに嘘反応が出るんじゃないの」
と私が思うのと同時に、柏木さんが
「あの、川原さんにはどんな人がふさわしいですか」
ちょっと高いイントネーションで話を元々の川原さんの縁談に持っていこうとする。「よし、その調子」私は柏木さんにテレパシーを送る。しかし祖父は自己陶酔していた世界から醒めていいものを発見したと言わんばかりに四角いテーブルの隣に座っていた柏木さんを見つめ、
「あんた、美人だな。あんたみたいな美人なら欲しい男がいっぱいおるやろう」
と柏木さんに負けない大声を出す。さすがの柏木さんも目が宙をさまよい何も言えない。
「これは川原さんの縁談の話なのよ。そのために川原さんがわざわざ来てくれたのに、何考えてるのよっ」
私は心の中で叫びながら、私の目も大きく見開かれたまま絶句していた。
「おもしろかった~」
帰り際、気のいい川原さんは靴を履きながら、色の抜けたような顔をしていたはずの私に声をかけた。柏木さんは美しい瞳を丸いままにして私を見つめて川原さんの後についていく。私は心の中で川原さんに
「ごめんね、ごめんね」と繰り返し、二人に
「来てくれてありがとう」
と小さい声でささやいた。
駐車場へ向かう二人を見つめながら私は目の前にある公民館の柿の木から枯れかけた木の葉が一枚ひらひらと落ちるのを目にした。青い空の下、川原さんが振り返り私に手を振る。柏木さんも振り返りやはり手を振る。私は手を合わせるような思いで小さく頭を下げ、あの祖父に四十年以上連れ添った祖母の苦労をささやかに思った。
その日の役目を終え、半ば放心状態で家へ入ると、祖父はいつものように、ごきぶりやねずみと共存している座布団に座り、お茶屋さんの配達してくれる贅沢な緑茶をすすっている。
「いや、あんた、あの人、今度来たったらのう、また見てあげるから、言うといてくれ」
私の顔を見るなり、まるで総理大臣のような大きな態度と詐欺師のような滑らかな口調で祖父は自己満足に浸っている。
「もう、二度と連れてこないから」
私は心の中で叫びながら、人のいうことなんて聞こうともしない祖父をため息をつきつつ見つめていた。
縁談話を占うのは祖父のお得意だが、霊感を使うのは孫の私には感情が入って使えないという。祖母も母も
「あんなもん、嘘、嘘」
と言っているが、奇術・魔術の好きな私には面白い。初めて柏木さんが来訪した時も祖父はこれを使った。柏木さんの左手のひらすれすれに自分の手のひらを置き像を読み取るというのだ。数秒後「像が写った」と言う祖父はびっくりとしている柏木さんを目の前にして大得意で、彼女の未来へアドバイスしていた。
「あんたみたいな美人なら…」
祖父は美人が大好きである。そして祖母のことは
「ばあちゃんほどの美人はおらんがいぞ」
とぬけぬけと言う。そして、私は、そんな祖父を目にするたびに苦笑してしまうのである。