先日、小説の取材をさせていただいている、盲目の音楽家・Youtaさんのお手伝いをしている、シンガーソングライターの浩子さんが意味深な発言をした。
「恋も芸の肥やしよね」と。
私はひどく感じ入った。
「そうだ、この人はアーティストなんだ。根本がアーティストだから、人生は、特にモチーフとして多い『恋』は『芸の肥やし』に過ぎないのだ」と。
恋は「純粋に好きという感情から生まれてくるもの」と定義したとして、「恋をするから恋愛詩が書ける」のであって、「恋愛詩を書くために恋をする」わけではない。おそらくそのために恋をするとして、それは、ときめきも心の豊かさもないただの打算的な産物となり必然的にいい詩も生まれないだろう、と思う。翻して、「恋も芸の肥やし」というのは、恋愛には辛さや悩みもつきまとうことがあり、そういった負の感情や経験が何に生かされるのかと言えば――芸術、浩子さんにとっては歌、私にとっては小説や詩となろうか。
しかし、私が小説家になることを本格的に意識し始めたころからは、「小説家になるための貴重な経験」としてせずに済んだだろう経験に敢えて足を踏み入れるようなことも行っている。
「この経験、小説に欲しい」と。
もっとも私は自分のした経験をそのまま書くことはまずなく、また想像力でずいぶん細かいところまで書けてしまうこともある。しかし想像力も経験値が高いと広がりを見せることも多い。なので私は、死ぬまでなるだけたくさんの経験と知識を増やし、小説家としての不朽の名作を一本書いてみたいものだ、などと野望を膨らませている。
Youtaさんの取材は昨年九月から約四か月に及んだ。まごまごしている私に、スケジュールを毎週パソコンメール経由で送って下さり、それを見て今週取材したい項目をチェックして、わかりやすい言葉と論立てでメールでお伺いを立てる。OKの返事をもらうと、取材の目的地をネットで探し、車の運転できない私は公共の交通機関を使っていかに移動するのかを考える。Youtaさんが車を手配して下さることも多かった。また、Youtaさんには、学校や施設へ行く場合、前もっての学校や施設への連絡もして下さった。彼の真心や気配りにとても感動した。その上、彼の友人・知人はそろって心のある素敵な人たちが多く、取材を忘れて世間話を楽しんでしまう一幕もあった。また妙齢の盲目の音楽家を追いかけ取材している女流小説家が珍しいせいか、行く先々で好意的な「頑張って」という声援に、
「絶対いい小説を書かないと」
と励まされた。もちろん、そんな風に決意を新たにするのは、Youtaさん自身の人柄が一番大きいところだ。
「ここまでしていただいていて、書けなかったら申し訳ない」
その思いは、取材の傍ら、いろんな形で彼のサポートをするという行為にも結び付いた。本当は「小説での恩返し」以外の彼への恩返しは邪道だとはわかってはいる。しかし、そうせざるをえない不安感にぬぐえずまた彼自身のお手伝いをしたくなっていたという純粋な思いも確かだった。
彼のコンサートのMC三度、日本語詩の朗読一度、英語詩の朗読一度、歌詞の翻訳、曲の歌詞作りなど、知り合った三年前からYoutaさんとはコラボし続けてきている縁があるが、壮大な思考の持ち主の彼は私の小説を用いミュージカルやドラマを作ることを考えているようで、人脈の広い彼なら彼なりのやり方でやり遂げてしまいそうな気がして、私はさらに「いいものを書かなくては」というプレッシャーに捕らわれる。
これは話したことはないのだが、彼も「恋は芸の肥やし」と思う一面もあるのではないか――私と浩子さんの会話を聞いていたYoutaさんの様子からそんな一面が見て取れた。描く夢を一歩一歩かなえてゆく彼に見習い、私も目の前にある仕事を一つ一つ着実にこなしながらそのすそ野を広げていきたいと思っている。