これから書くのは評論ではなく、読書感想文のごときもの、と考えていただければ差支えないだろうと思う。詩人の名は茨木のり子。私にとって、詩人としてナンバーワンであり、女性としても憧れの人である。
『根府川の海』
根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅
たっぷり栄養のある
大きな花の向うに
いつもまっさおな海がひろがっていた
中尉との恋の話をきかされながら
友と二人ここを通ったことがあった
あふれるような青春を
リュックにつめこみ
動員令をポケットに
ゆられていったこともある
燃えさかる東京をあとに
ネーブルの花の白かったふるさとへ
たどりつくときも
あなたは在った
丈高いカンナの花よ
おだやかな相模の海よ
沖に光る波のひとひら
ああそんなかがやきに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋で徒労だった歳月
うしなわれたたった一つの海賊箱
ほっそりと
蒼く
国をだきしめて
眉をあげていた
菜っ葉服時代の小さいあたしを
根府川の海よ
忘れはしないだろう?
女の年輪をましながら
ふたたび私は通過する
あれから八年
ひたすらに不敵なこころを育て
海よ
あなたのように
あらぬ方を眺めながら…。
この詩は、私が高校生だった時、高校の国語の教科書に載っていた作品である。「動員令」「燃えさかる東京」「国をだきしめて」「菜っ葉服時代」という言葉の数々にあるような戦争の色濃い暗いバックグラウンドにありながら、「中尉との恋の話」「あふれるような青春」「そんなかがやきに似た十代の歳月」と、希望にも似た若さがにじみ出る。高校生だった私は極度の人間不信から高校入学時に友達は作らないと決め込み、自殺を夢見る暗い日々を送りながら、一方で年齢らしい青春の風も感じていて、まさに当時の私の気持ちにぴったりと合った一作品であった。その中で「ほっそりと蒼く」と少女らしく、だが、「国をだきしめて 眉をあげていた」キリリとまっすぐで凛とした作者の姿に引き付けられた。かっこいいのである。自称が「わたし」ではなく、「あたし」というところにも、かよわい少女ではなく、姉御肌の気丈な少女を想像させられる。「女の年輪をましながら ふたたび私は通過する あれから八年 ひたすらに不敵なこころを育て」のくだりでは、まっすぐな瞳をした少女がさらにその精神的な強さを増しながら人へ世界へ目を向けている様子が見て取れる。「根府川の海」はそんな作者の青春の象徴であり、「忘れはしないだろう?」と語りかけてはいるものの、「私は根府川の海を忘れはしない」という意味にも取れ、その忘れないものは暗い戦争の中にありながらある意味輝いてもいた作者自身の青春なのだろう。年を取るということはどんどんと様々な事象について強くなっていくことだと思う。言い換えるなら、耐性ができていく過程なのだと思う。元々が毅然とした作者がさらにたくましくなっていったというのは、不惑に手の届く年齢になりながら、まだ打たれ弱い私などには実にうらやましい話である。茨木さんの写真を見るとそのキリリとした姉御肌の雰囲気が目に見えるようだ。そして詩の中にある明るさは、この人の備わっている美点の一つだったに違いない、と思う。しかし戦争の閉塞感は若かったはずの作者にもあったはずで、「いつもまっさおな海」「おだやかな相模の海」と海を見て、「赤いカンナ」「たっぷり栄養のある大きな花」「丈高いカンナの花」と花を見たりなどして、心を慰めてもいたのだろう。時代によって暗さの対象は違うかもしれないが、若さの輝きや喜びは人間として共通の部分がある気がする。それだからこの詩に共感できるのだ。また一方で、「風船のように消えた 無知で純粋で徒労だった歳月」ともあり、戦争が絡まずとも振り返ると多少の後悔もあり淡い色のついた時代、それが青春時代というものだろうと共感する。時代を反映しながらも普遍的なテーマも扱っているこの詩は私の心に強くその足跡を残しているし、これからも残っていく、残っていってほしい詩である。
茨木のり子詩が好きだというと、『わたしが一番きれいだったとき』を上げた年配の男性がいたが、この詩も扱い方は異なるけれども、テーマは戦争と青春で、八連からなるが、第七連は非常に共感できた。引用しよう。
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
けれど、この大詩人はそんな現状に、負けてはいなかった。第八連の一行目を引用しよう。
だから決めた できれば長生きすることに
不幸からの逆転発想、背筋をぴんと伸ばして前を向く、そのように生きたいものだ、と、茨木詩は改めて私に考えさせてくれたのだった。