ショートショート
(大きく当てる、ルイ・ヴィトン、大逆転)
白河葉
大きく当てる
「宝くじが五億当たったんだ」
「え、ホント? すご~い」
「そこで君に一億やろうと思ってる。何買いたいか考えておくんだな」
「わぁ~い」
そこで電話はプツンと切れた。陽菜は心臓がどきどきするのを右手で押さえた。
「あの健司が億万長者!」
気がつくとぴょんぴょん部屋の中を跳ね回り、それからパソコンの前に座り、ネットショッピングを始めた。欲しいものはたくさんあった。有名ブランドの服・靴・バッグ・財布に外車に・・・・・・考えていくとキリがなかったが、ネットサーフィンをすればするほど欲しいものは膨らんでゆく。頬も緩みっぱなしだ。
カタッ。玄関で靴を脱ぐ音がする。
「ただいま」
少し疲れた顔をして夫の隆のお帰りだ。
「何だ。やけに嬉しそうだな。何かあったのか」
「別に。何もないわよ」
陽菜は友達の健司の話を言い出せずにいた。健司とつきあっていたのは隆と出会うまでだ。それから初めての連絡・・・・・・何もやましいことは・・・・・・と思いつつ、口にするのがどこか後ろめたいのだ。
「食事は済ませてきた」
「あ、そう」
と答えながら、陽菜はラップをかけてある隆の食事に目をやり、心の中でため息をつく。
「食べてくるならくるでメールくらい・・・・・・」
言いかけては、強くは言えない陽菜なのだ。夫はお金持ちのおぼっちゃんで大企業に勤務、しかも出世コースに乗っている。背が高くて顔も整っている。友達は多い方で、一つ言うならちょっと短気なところくらいだ。
「何であたしなんかと・・・・・・」
と思うくらい立派なダンナなのだ。こういうところ、ガマンガマン、と陽菜は自分に言い聞かせる。結婚して一年、そろそろ子どもも欲しいと思っている。
と思って寝室へ行くと隆はスーツ姿のままで爆睡していた。
「あ~あ」
陽菜は歯磨きとお肌の手入れにバスルームへ行った。
それから毎日、ネット通販で注文した品々が届いた。嬉しさで頬を高揚させながら宅配のお兄さんから箱を受け取る。その内、宅配のお兄さんと顔なじみになり、
「何だかすごいですね」
と言われて得意になった。
しかし通販会社から電話がかかってきて、
「お金を引き落とせませんが」
と言われ、
「一日待って下さい」
と答え、健司に電話した。
「一億、早く振り込んでよ。こっちはそれを当てにして困ったことになってんだから」
イライラしながら陽菜が言うと、健司はどこかほのぼのとすらするのんきな調子で、
「エイプリルフールだよ」
「ええっ!」
「だからあれって四月一日・・・・・・嘘が一つ許される日さ」
「だって私は信じてたんだよ。あなたって正直者だと思っていたんだから!」
「だから俺の初めてのエイプリルフール。競馬にはまって借金のある俺よりお金持ちの隆くんを選んだおまえなんだから、隆くんに何とかしてもらえよ。厳しい奴だけどな」
電話は切れた。
陽菜は目眩と頭痛で寝てしまい、そこへ隆がやってきた。
「今日俺の会社に電話があってな。おまえあんな大金を何に使ったんだ?」
「今は寝させて。私もショックなんだから」
「いや、事情をしっかり聞くまでは許さない」
見たこともないような隆のつり上がった目に、陽菜は口を割らざるを得なかった。
桜の花散る頃、駅前の宝くじ売り場には陽菜の姿があった。
「ハイ、連番で三枚ですね。大きく当たりますように」
そう言いながら次の客の顔を一目見るなり、陽菜は叫んだ。
「健司!」
羽振りの良さそうな服と顔で、健司は笑う。
「実は七億当たってな」
「エイプリルフールだなんてもう言わせないわよ。こっちはそのせいで離婚したんだから!」
「いや、今日は四月三日だぜ。俺は本当に七億当てたんだよ」
「なら、何で?」
「おまえも苦労した割には頭からっぽだな。誰が俺を捨てた女を助けるもんか!」
「あなた、ひどい!」
「お互い様だろ、あばよ」
健司の後ろ姿を見ながら陽菜は涙を流していた。
「あたしも買おうかしら・・・・・・自分のために」
温かな春の日だった。
ルイ・ヴィトン
隣でテレビを見ていた夫がニヤリと笑った。連れ添って三十年、妻はそれを見逃さなかった。
「この人、何か隠してる!」
夫の尋常でない笑い方に妻は探偵を雇った。
その結果が届いて唖然とした。
銀行から何十万も引き出す夫、ランドセルやブリを買っては箱に入れてもらい送る夫etc・・・・・・写真を見て妻は思った。
「夫はタイガーマスクだ」
浮気ではなかったことはいいとして、この安月給の夫にどうしてそんなお金があったのだろう。
「借金?」
いや、夫は借金はしない主義の堅実派だ。三十年前、夫との結婚を決めた理由はそんなところにもあった。
あの日夫がテレビで見ていたのはニュースで、「タイガーマスクを名乗る匿名の人物から親のいない子どもたちの施設へのランドセルの贈り物」だった。夫はそれに触発されたのだ。妻は、夫が幼い頃に交通事故で両親を亡くした人だということは知っていた。夫の気持ちはわかる。けれどあの金は・・・・・・。
妻は探偵の撮った写真を並べて夫に詰問した。
「あんた、このお金、どうやって工面したの?」
夫は、
「バレちゃったのなら仕方がないな」
とバツが悪そうに頭をかき、
「宝くじで百万が当たったんだ」
と白状した。
妻は言った。
「うちだってカツカツでやっているじゃないの。あんたと私でその百万使うことは考えなかったのかい?」
夫は飄々と言った。
「うちは何とかやっていけているじゃないか。それでいいと思わないのか。ランドセルも買えない子どもたちを何とかしてやりたいんだよ」
「そうは言ってもうちは裕福じゃないんだよ。私だってたまには贅沢がしたい。ブランド物の一つも持ってみたいよ」
三十年も連れ添った妻には確かにいい生活はさせてはやれなかった。自分はそれで幸せだったが、妻はそうではなかったのかーー。ショックと共に妻への申し訳なさが夫の心を襲ったようだった。
「あと二十万ある。これでブランド物のバッグでも買いなさい。おまえには苦労かけたな」
銀行のカードと暗証番号を書いたメモを妻に渡した。
翌日、妻は高級デパートでルイ・ヴィトンのバッグを買った。嬉しくて、嬉しくて・・・・・・しかし、手元の財布を覗いて愕然とした。
「もうお金はない。こんな買い物はもうできやしない」
その時、商店街から「Road」の一節が流れてきた。
「何でもないようなことが幸せだったと思う・・・・・・」
妻は夫との慎ましくも幸せだった三十年間を走馬燈のように思い出した。
「あの時も、ああ、あの時も、・・・・・・贅沢品なんかなくたって、私はあの人と幸せだった。これ以上、何がいる!」
妻は地下道の乞食たちのテントの側に、ルイ・ヴィトンのバッグをそっと置き、足早にその場を去った。
大逆転
聡のパソコンを打つ手が止まった。
目の前にはコピーを取っている加奈子の後ろ姿が見える。細い肩にしなやかな腰、よく鍛えられているヒップ、そして長い髪・・・・・・新米の加奈子のドジっぷりもかわいいが、こうしてよくよく見るとさらに、
「いいなぁ」
と聡はため息をつく。
「でも俺なんかじゃなあ・・・・・・。それに職場恋愛ってリスクも大きいもんなぁ。まぁ見てるだけで目の保養ってことで・・・・・・」
思っていると、係長からゲキが飛ぶ。
「川村、おまえまたぼーっとしてたろ。仕事中だけでも集中しろ」
「はあい」
「何だその気のない返事は。シャキッとしろ、シャキッと」
「はぁーい」
こんな日がまだまだ続くのかと思うとげっそりとした聡は、帰り道宝くじ売り場に通りかかった。
「『一等前後賞合わせて七億円か。どうせ当たんないんだろうけど、景気づけに一枚買ってみるか』
一枚三百円・・・・・・高い買い物だとは思わなかった。
「え、嘘だろ」
ネットで調べたら一枚だけ買った宝くじが何と一千万円当たっていた。
「いやいや、目の錯覚だ」
でも何度見直してみても一千万当選だ。
宝くじ売り場へ行くと、
「おめでとうございます」
と窓口のおばさんに言われ、ようやく実感が湧いた。
当たった一千万円を何に使うか・・・・・・いろいろ考えたが、聡は高級車を買うことにした。会社の女たちで聡のポンコツ車をバカにしている奴らがいるのを知っていたからだ。
「加奈ちゃんは優しいから口にはしないけど、本当は加奈ちゃんだって・・・・・・」
一千万のメルセデスベンツを一括で買う時には手が震えたが、何だか人間が大きくなったような気がして気持ちが良かった。
「これで加奈ちゃんも・・・・・・?」
気が大きくなって聡は加奈子をドライブに誘った。
「ずっと好きだったんだ」
「と、言われても・・・・・・」
言葉は曖昧で目が宙を泳いでいる加奈子を見ていると聡はそれ以上何も言えず、
「ごめんな、変なこと言って」
と話を打ち切った。
その晩、憂さを晴らしに聡は酒場へ行った。
「一千万のベンツに乗っているんだ」
と言ったら、
「いいわね、ベンツ乗せてよ。私の夢だったんだから」
と話に乗ってきた二十代後半くらいの女がいた。
酒に酔った勢いで聡はその女をベンツに乗せたが、食事へ行こうとすると、
「私、フランス料理のフルコースがいいの。『セ・ラ・ヴィ』知ってる? あそこがいいなあ」
女は一人一万はする食事をおねだりしてくる。
「『セ・ラ・ヴィ』なんてムリだよ。僕は安サラリーマンだよ」
「えーっ。『セ・ラ・ヴィ』も行けないほど貧乏なの、あなた。ちょっとそこで降ろしてくれる?」
去って行く女の後ろ姿を見つめながら、聡はベンツを売ることを決意していた。
ベンツを思いきり買いたたかれ、手にしたお金をすべて聡はまた宝くじに賭けた。しかし今度は外れの山だ。
「真面目に働けってことか」
聡は天を仰いだ。
翌日からすべてを忘れて、聡はがむしゃらに働いた。仕事以外、何も目に入らなかった。そして昇進・・・・・・。
今度は加奈子の方が寄ってきた。
「川村さん、私のこと好きだって言うの、もう時効ですか?」
「ごめんな、今、仕事が楽しくて仕方がないんだ」
そう言う聡の目はキラキラと輝いていた。