母の従弟にあたるSさんに会ったのは、今から二十年くらい前の二度だけだ。
しかし、初対面の時の印象は、今でも強く私の心に残っているし、私が死ぬまで消え去ることはないと思う。
四十そこそこの当時のSさんは、まだ二十代だった私には立派な「おじさん」にしか見えなかったが、その時で大手企業の営業部長、F社同期一千人の中での一番出世だった。
最初は指に、大きな石の指輪をしておられたのを見て、
「成金趣味か?」
と、私は目も飛び出さんばかりだったが、そこは上手に言い訳された。
すごかったのはその後だ。
私はお昼に、魚介類のスパゲティーをご馳走しようとして作ったのだが、作り慣れていたために味見をしなかった。
そして、一口食べたなり、
「しまった、失敗だ」
と思った。
しかし、その私の顔を見るなりSさんは、褒め言葉を並べ始めた。その数、七、八だったと思う。
すごいのはそこには嘘がなく、私の料理のいいところ全てだったことだ。そして、
「おいしい」
とは決して言われなかったことにも感心した。
「さすがF社の営業部長!」
私はこの時の記憶が鮮烈すぎて、今だについ昨日の事のように思い出すのである。
「本当の褒め上手って、こういう人のことを言うんだ」と。
ほとほと感心するばかりであった。
仕事ではやり手で成功していたSさんであったが家庭的には奥さんに悩み、最後の二年間は愛人を作って、四十六歳でガンで亡くなった。
よくしゃべる、話の面白い人でもあり、私はまた会えるのを楽しみにしていたが、あまりにも早い最期であった。
しかし、私はこのSさんを思い出すと、
「本当の褒め上手とはどういうものか」
を考えさせられ、のちに、
「私も褒め上手になりたい」
と思った時の参考になった。
「いいところを探し出し、しかし決して嘘は言わない」
という事だ。
私はこれに、
「自分なりの、自分らしい言葉で」
をプラスした。
そして、年上の、正直で、人柄のいい女性から実践し始めた。
すると、
「かおりさん、それ、イヤミ?」
という反応が返ってきた。
「いえ、本気ですよ」
と言うと、
「そんなこと言われたことがないから」
との返事。
私はこの人でいろいろと試し、最近は、
「かおりさんは私の自己肯定感を高めてくれる」
とまで言われるようになった。
しかし、ここに至るまでは、オンライン英会話ビズメイツの先生たちと、一日二十五分の会話を一年以上続けた、という理由もあった。
九十%がフィリピン人で優秀な人達の占めるこのオンライン英会話の先生たちは、とにかく、褒め上手だった。それに触れながら吸収していき、自分でも相手のいいところを目と耳をこらして見つけ出し、口に出すようにした。
私の生まれ育った地元は、地味で、根は悪くはないのだが、口下手な人が多い。もちろん上手な人は少ない。
そこから抜け出すのにも、このオンライン英会話は有効だった。これがなかったら、私は、
「褒め下手」
というコンプレックスから抜け出し克服することなどできなかったと断言できる。
大学時代、褒め上手な友人がいた。彼女は帰国子女で、イギリスの高校時代、毎日ランチに違う相手と隣に座らされ、話さねばならなかったそうだ。彼女にとって、それは最初は吐くほどにストレスだったのだが、その内慣れたそうだ。欧米ではアサーショントレーニングがあって様々な人と話のできる人に訓練される。
私は彼女の、この褒め上手がうらやましかったが、当時はどうすればいいのかわからなかった。
それが、二十八、九でのSさんとの出会いと、四十過ぎてのオンライン英会話との出会いで覚醒した。
今、ビズメイツも三年目に入り、ビジネスのレッスンは難しくてついていけなくなったが、様々なコラムに四、五つ質問のついているレッスンやフリートークを、「楽しみながら」続けており、会話力も褒めテクニックも格段に上達した。そしてこれらを、友人達との日本語での日常会話にも応用して、いい関係も築けている。
「褒め上手」になる道のりは、まだまだ続くと思っているが、一時期しゃべり方を忘れたようになっていた私にも「春」が来た。
Sさんや学生時代の友人を胸に、これからも会話のテクニックを磨いていきたいと思う。
今は天国にいるSさんへ、本当にいいレッスンでした。私はあなたを生涯忘れません。