「ちはー」
出前のあんちゃん風の声。風にゴトンと揺れる音。
「アイアイおさ~るさ~んだよ~」
歌声は演歌歌手もどき。
笑いながら赤いワンピース姿の美来が浴衣を着た友人とすれ違う瞬間に聞いた声が忘れられない。
「愛しているよ」
深く海底に沈んでいくような、その上温かで優しいトーン。
振り向かずにはいられなかった。約三十五センチの緑色に目の周りが黄色い縁取りのオウムだった。
ここ「珍クリ即売会」で売られている物は飼い主が何らかの理由で飼えなくなったものばかりだ。
「この子、いくら?」
「二万円さね」
「えっ? そんなにするの?」
「悪かねえだろ」
こちらを値踏みしている男の目はいただけないが、このオウムになら払ってもいいと美来は思った。
「それちょうだい。はい。二万! かごごと?」
「それはサービスですよ」
やけに優しくなったおっちゃんの声に気持ち悪さを覚えながら、美来は、
「ねぇ、こういったオウムの飼い方ってどうするの?」
と真面目に聞けば、
「そんなの本でも買ってきて勉強しな。オレは知らん」
と冷たい。
こうして、美来は夕映えの野師の中で、「愛してるよ」と話すオウムを店先に飼うことにした。
オウムを買ってから『オウムの飼い方』という本を買って読んだら、
「寿命は二十五年から五十年」
と書いてあって慌てた。
「そんなに飼えるかな」
「それより、この子、今何歳かな」
いろいろ考えている間にもオウムは青菜をつついている。
「よかった! 食べ物は合ったみたいね」
長い髪をさらさらと流して二十歳の美来は白い肌に薄化粧を施していた。傍目にはすっぴんに見えただろう。眉は元々薄いので頑張って濃く書いていた。
六月の終わり、黄色に銀杏の白の模様のワンピースを着て、古い小さな駄菓子屋の中で、美来はオウムの声を聞いていた。
「ジジジジ。ガガガ」
思わず笑った。
「まるで壊れたラジオみたい」
その後だった。
「愛しているよ」
なぜだか涙が出てきた。心のこもった若い男の声でオウムはささやくように言う。
誰がいつどんなシチュエーションで言ったのだろう。
「よっぽど好きな人だったのね」
情熱的な恋に憧れる乙女はまだ本当の恋を知らない。
「ジジ。ジジジ」
普段は罵声のような雑音を発しているオウムと目が合った瞬間、
「決めた! あなたの名前はジジ!」
ジジと名付けられてオウムは、
「ジジ!」
と空に向かって宣言するように鳴いた。それを聞いた美来はくすっと笑って言った。
「これからよろしくね、ジジ!」
ジジを飼い始めてそのカゴを置いてある駄菓子屋の店先におばあちゃんと座っていることの増えた美来だったが、不思議でロマンティックな空想によだれを垂らしかけて居眠りから目を覚ますこともあった。
「あんた、何してんだ。訳のわからん夢見とるくらいなら、ホレ、友達と遊んできな。このオウム、きっとよくないいきさつがあるよ。だいたい、若い男が『愛してる』だなんて・・・・・・まあ」
「おばあちゃんにはわかんないっ」
ぷいと横を向いた美来の目には、恐る恐るこちらを眺めている大学の友人二人の姿が目に飛び込んできた。
「どうしたのよ」
美来が二人に声をかけると、
「いや、あんたが大学に出てこなくなったから、私たち、心配で来たんじゃない」
一人の声に、もう一人が、
「そうそう、元気そうで良かった。だけど、そのオウムは?」
と怖いものでも見るかのように言った。
美来はその言葉に微笑んで、
「ホラ、ココアと一緒にいて見つけたヤツじゃないの。二万もした。」
ショートボブのココアは大きな目をさらに丸くして、
「まだ飼ってたの?」
と驚いた。小柄なココアが目をぱっちり開けるとさらに可愛く見えるので、もう一人、長身のカナが、
「あんたのその表情、私は苦手だわ。私がブスに見えるもん」
などといい、ココアは目を細くして、
「あんただってカワイイじゃない! こんな顔してればいいわけ?」
と両手をゆらゆらさせると、カナは笑い出して、
「わかった! もう言わない!」
ときっぱり言い切った。
美来は大声を出した。
「もう、何でもいいから、入ってよ。そんなところで偵察されると、店に人が来なくなるじゃない」
カナは笑って、
「逆に客が来るんじゃない? こんなカワイイ子が三人!」
おばあちゃんが皺をさらに深めて、
「おお、そうじゃ。せっかく来て下さったんじゃ。駄菓子をやろう。さぁ、美来、お皿を二つにそこら辺のを乗せてやりなさい。」
と指示するので美来はココアとカナに手招きをして、
「うちの、おいしいわよ」
と声を掛けた。
するとココアとカナは走り出してきた。そして皿に盛られたお菓子をさくさくと食べほうじ茶を飲み干すと、
「ああ~、幸せ。美来は毎日食べられていいね」
「何かここ、昭和感あるよね。いい感じ~」
褒められておばあちゃんは満足げに
「そうか、そうか」
とうなずき、隣で美来が目をぱちぱちしながらココアとカナに向かって舌を出して見せた。
その時、
「愛してるよ」
カナが飛び上がって椅子から転げ落ちそうになった。そして、辺りを見回して、
「何? 今の。どこからしたんだろ」
ココアはぱっと顔を輝かせて、オウムを指さした。
「はは~ん、あれね。あんたが学校に来なくなった理由。あんな声でささやかれたら、虜よね」
美来は頭をかきながら、
「バレたか。一日に十回は言うんだよ。きっと素敵な人が言っているのよ。想像するだけで楽しくない?」
その時、平静を取り戻したカナが、
「でも、『誰のために』言ったかが気にならない? あんたに言ってんじゃないでしょ」
と真面目な顔をしていったので、
「そこなのよね。しかも何でこの子を手放したのか・・・・・・」
美来はため息をついた。そこへおばあちゃんが口を挟んだ。
「だから言っとろう? これはいわくつきじゃぞ。だいたいあんながらくた市で買ってきおって、出した方もあのオウムの『愛してる』なんかいらんかったんじゃろう。おまえは
あの『愛してる』にとりつかれてとるが、わしはあれが不吉じゃ」
カナも心配そうな顔をして、
「私もこれ、何かあると思う。さっさと捨てた方がいいと思う。」
そう言われればいわれるほど邪魔をされた恋のように、美来のオウムに対する思いは募った。
「いや。私は手放したくない。だいたい捨てちゃかわいそうじゃない。もらい手がないのはわかるよ。きっとおばあちゃんたちが言うように何かがありそうだから。でももらってもらうなら、正当なもらい手にもらってほしい。私はこれに十分励まされたもん」
「市野くんね」
ココアがぼそりと言った。それに対して美来はすぐに言い返した。
「あんな奴、たいしたことないよ。このオウムに比べたら。だって聞いたでしょ。どんなに優しい声を出すか・・・・・・」
「男の方は女を思ったけどきっと女がオウムごと恋を捨てたんだよ」
とシビアなカナは言った。
何となくの沈黙があった。
「youtubeに動画載せちゃおうか。『情報求む』とかつけて」
ココアの提案に、
「それいいね」
とカナも言う。
そうして夕闇迫る頃、ココアとカナの二人は
「早く学校出てくるんだよ」
と言い残して美来の家から帰っていった。
オウムの動画が撮れてyou-tubeに載せた午後、美来のおばあちゃんの駄菓子屋に来客があった。すべてがほっそりとしていてどこか生気のない、けれど瓜実顔の美人であった。年は二十代後半かと見える。
「え? オウムじゃと」
女は帽子を脱いで手に取ると、おばあちゃんに促されるまま、丸い木製の椅子に腰を下ろした。
「あそこにいるあのオウム、私のなんです」
伏し目がちに女は訥々と語り始めた。それによると、女の名前は佐藤昭子。一ヶ月前に死んだ恋人がいて彼が飼っていたのがあのオウムだそうだ。彼は末期ガンだとわかってから、一番物覚えのいい時期のオウムを買い、毎日、
「愛してる」
と教えていたのだそうだ。それは(自分がいなくなっても昭子が元気に生きていけるように・・・・・・)との恋人の心遣いだったが、オウムに
「愛してる」
と言われるごとに悲しみにうちひしがれてどうにもならなくなる昭子を見て、昭子の母が
「このままでは結婚もできないかも知れない」
と案じて、昭子のいない間にさっさとオウムを「珍クリ」ni出してしまった、ということだった。
「私は母に怒りました。せっかく聡くんが私のために残してくれたものを、と」
そこへおばあちゃんが口を挟んだ。
「でもなぁ、こいつがいる内はあんた、結婚できんぞ。察するにこのオウムはまだ若くて後
二十年から五十年くらいは生きるだろうし、あんな声を出すオウムはあんたさんが結婚したとしてもダンナに嫌がられるぞ」
そこへ美来も言った。
「私もこのオウムの『愛してる』にひかれて買ったんです。男の人は粗野だと思っていたらこんなに優しくて愛情のこもった声を出せる人がいるんだって。『私もこんな人と恋をしたい』そう思わせてくれるような声ですから」
昭子は薄く笑った。
「彼は本当にいい人でした」
「じゃが、あんたのことはとことんまで考え抜けない男じゃったよのう。こんな『愛してる』などというオウムを残していったらあんたに迷惑がかかるとちと考えればわかるものを」
おばあちゃんの言葉に昭子は弁明した。
「彼は思いつきで何かをすることが多くて。職業も発明家でしたから。このオウムを残すのも思いつきで、『俺のことを忘れないで』って気持ちもあるように思います」
「そんな身勝手な男ならオウムごと思い出を捨てちゃえば」
美来の怒りのこもった声に、
「うちの母もそう思ったようです」
昭子は顔を上げて美来とおばあちゃんをしっかりと見据えた。
「東京近郊に『オウムで癒し』というカフェがあると知りまして、このオウムの『愛してる』は癒やしになると思って、オーナーさんに事情を話したら引き取ってkれることになったんです。大きなオオムが何羽もいて、行けば癒やしになってくれる。私も聡くんに会いたくなれば電車に乗ってこのオウムの声を聞きに行こうと・・・・・・」
その時、ピピピと美来のスマホが鳴った。
「大変! カナからっだけど、youtubeでこのオウムの再生回数、すごいことになっているみたい。『近日中に(オウムで癒し)に登場します』と書き込んでおいて、と頼んでおきました」
(その時の昭子の顔は忘れまい)
と美来は思った。そして七月の青い空に吸い込まれていくようにつぶやいた。
「私も、恋をしたい」
と。