あれは祖父がまだ生きていた頃・・・・・・今から十五年は前のことだ。
晴れたうららかな午後だったと記憶している。
その日私は一仕事終えて家へ帰ってきた。祖父はいつものように、螺鈿を教えに近所の古書店へ行き留守である。
家の扉は四枚あるが二枚が半開きにしてあった。木造の古い家で、扉を少し開いておくことで風が通り涼しくなり、また家の持ちも良くなると聞いていたからである。
家の扉から三メートルはコンクリートの家で車が一台入れるようになっていた。そこから先に二段あり、靴などを脱いで上がればマットレスがあり家の中へと扉がまた四枚あった。
その扉の前にである。見知らぬ五十代くらいと思われる恰幅のいい男がいた。私は即座に
「泥棒だ」
と思った。
しかし、大声も立てず、穏やかな奥様風の声で、
「どちら様ですか」
と声をかけた。
男は何も言わない。
私はそれ以上言わず表へ出た。そして家と外をつなぐ扉の前で立っていた。
と、すぐに男が出てきた。恐ろしい目つきをして私をじっと見ている。
私は、今までに遭遇した誰よりも、目の前の男の目つきが恐ろしいと思いながらも、黙って男を見つめ、にこにこと微笑んでいた。
十数秒の見つめ合い・・・・・・(私はこれを「睨み合い」とは言わない。なぜなら私の目つきは男に対してwelcomeだったからである)。
気がついたら目の前から男は忽然と消えていた。
私は家へ入り、一階の祖父の部屋、二階の私の部屋などを素早く確かめた。何も盗られた形跡はない。
「あの祖父の部屋を見たらね」
と思いながら納得した私は、家族にさえこの話はしなかった。したのは毎日メールしている埼玉県の友人にのみで、彼女のメールには、
「怖いよ、怖いよ~」
と書いてあったのを覚えている。
祖父も亡くなり十数年も経ってから最近私は何人かの人にこの話をした。
「なんで警察に言わなかったの」
と何人かの人からは聞かれたが、
「だって何も盗られなかったもの。うちには盗るもんなんて何にもなかったし」
けろりと答える私に、
「あなたね~、知らない人が家に入っているだけで罪になるのよ」
と言った人がいたがそんなことは承知している。ただその時まだ二十代後半か三十代前半だった私はそれで納得していただけだ。
また、
「今からでもいい、警察に連絡した方がいい。その方が近所の人のためにもなる」
と言った人もいた。しかしあれから十数年経った今、
泥棒の顔や細かなことは忘れてしまっている。ただあの恐ろしい目つきだけは忘れられない。
今思えば、
「どちら様ですか」
と泥棒に尋ねずに隣の家に飛び込み、持っていたPHSで110番すべきだったのだと思う。
しかし暢気にも泥棒が出てくるのを待っていた私は若い頃の苦労の後での祖父との和やかな暮らしにすっかり慣らされていたとも思える。
それだけ祖父にはかわいがられていたし、また守られていたのだと今思う。
「かおんちゃん、守ってやらんといかんと思っとったができんようになってしもうた」
末期の癌の病床での祖父の言葉に涙したのを忘れはしない。
泥棒の記憶は愛すべき祖父との思い出にも結びついているのだ。