みよ桜はみよばあちゃんが植えていった新種の桜だ。白い花弁にピンク色の筋の入ったこの桜は八重桜の頃に咲き、口の悪いうちのオヤジは「うば桜」と呼んでいるが、僕はこの桜が嫌いではなかった。僕の偏食のように、一本の木の中でも偏って咲いたり散ったりする。その気まぐれさも愛する理由だった。
気まぐれな動物と言えば猫だが、僕は全くあいつらのことは好きになれない。僕の飼い猫のくせに、どういうわけか、時々僕の足を爪研ぎ道具にする。おかげで僕の足は傷だらけだ。
「悪い女でもいるんでしょ」
と親友のナキにからかわれたりするのだが、全くもってとんでもない話だ。恋人なら悪い女でもかわいいのかも知れないが、こいつ(ネロ)は猫でしかも雄だ。
ネロにはトイレ用砂場を作ってやったがそんなことお構いなしに家の中をぐしょぐしょにする。僕の愛読書にひっかけられた時には本気で殺してやろうとさえ思った。僕は包丁を持って追いかけたが、敵もさるもの、木の上まで逃げ込んで、ほとぼりが冷めるまで下りては来なかった。
僕には犬もいてマロンという雌犬だが、こいつもまた一癖ある奴で、ドッグランに連れて行くとまるで女王様気取りで他の犬たちに
追いかけられては煙に巻いている。ネロとは性格が悪い者同士で仲がいいかと思いきや、これが犬猿の仲。このことわざを「犬猫の仲」に変えたいところだ。
犬にも猫にも猫まんまをやっている僕だが、マロンはネロよりも少し体が大きいのをいいことに、時々ネロのご飯を横取りする。ネロもきかん気の奴で、そういう時マロンのどんぶりの上におしっこをしたりする。我が家は大バトル。オヤジはオヤジでヘビースモーカー、僕は嫌煙家なのでオヤジの吸い場所を巡ってよくケンカになる。
「外に出て吸ってよ」
と僕はよく言うが、
「俺に風邪を引けというのかよ」
冬場はそんな風になり、結局エアコンの効いた脱衣場でオヤジが吸うので、ヤニのついた脱衣場から風呂に這入る時僕は咳をしている。
「受動喫煙の方が肺がんになるんだからね」
僕の捨てゼリフにもオヤジは聞かない。
「どうしてこううちは皆自己チューだらけなんだ!」
僕の嘆きにも誰も反応しない。仏壇に入ったみよばあちゃんの遺影だけが静かにほほえんでいた。
オヤジは大工だ。この家をすべて一人で建てたというのが自慢で、今十六の僕がまだ幼稚園児の頃、
「父ちゃんはなぁ、すっごい職人なんだ。だから俺のことは今度から『スーパー父ちゃん』と呼びな」
とオヤジは言って、まだ素直だった僕は本当に「スーパー父ちゃん」と呼んでいた。これが幼稚園の中でちょっとしたイジメの対象ととなり、
「おまえの父ちゃん、スーパーマンだろ。だったら空を飛んでみろ」
とか、
「スーパー経営しているのに弁当が貧しいな」
などとクラスメートに言われたものだ。先生からも問題視され、先生が家庭訪問に来られた。
「『スーパー父ちゃん』という呼び名を変えていただけませんか? すでに問題になっておりまして、慎吾くんがこれ以上異端視されないように」
「慎吾」という一見まともそうな名前をつけておきながら、オヤジには「慎み」というものはない。
「『スーパー父ちゃん』のどこが悪いんだ!」
と担任に詰め寄り、保母になりたてのその先生はオヤジの主張に、半泣きで帰っていった。
だが、僕は幼いなりに先生が気の毒で、それ以来、幼稚園ではオヤジを「スーパー父ちゃん」とは言わなくなった。するとクラスの奴らも潮が引いたように静かになった。ただ家に帰るとオヤジのことは相変わらず「スーパー父ちゃん」と呼んでいて……僕は幼いなりにも気を遣っていたのだ。
こうして家の中でも小さくなりながら僕は育ち、こんな中でも宿題はきっちりこなしていたので、県下一、二を争う進学校に入学した。
みよばあちゃんは僕が六歳の時に心臓発作であっけなくこの世を去ったが、「新種」と世間で認定されないままに、みよ桜は毎年見事で不思議な花を咲かせる。来る人々を皆魅了するその花を咲かせる木の精に、僕はいつも見守られているような気がしている。