4月14日21時30分に益城町を震源とするM6.5で、震度7の地震から始まりました。それにより益城地域は家の倒壊などで大変でした。しかし、4/16の夜中1時30分にM7.3、震度6強の地震が、14日よりも3倍位長い揺れだったために、一度壊れた家が、壊滅する等、また、揺れが南阿蘇地域でもひどかったため、地盤の緩い断層の上の地域で土砂崩れ等による被害が起こりました。
古い屋根瓦の、台風には強い重たい屋根の家の倒壊、瓦の落下が多かったです。
4/14の地震のおり、熊本の中心にある熊本城の映像に煙が出ているのが気になりましたが、屋根瓦が落下した土煙だったようです。16日の揺れで、熊本城の瓦はほとんどが落ち、400年前に作られた石垣もあちこちで崩落してしまっています。
南阿蘇へ通じる、立野の阿蘇大橋は、北側の山からの土砂崩れが、豊肥本線、国道57号線、阿蘇大橋を飲み込んでしまいました。また、空港からのアクセルの俵山経由の道は、道の駅萌の里の下にある、ダム湖の堤防(道路)にヒビが入り、決壊寸前です。この大動脈が2本寸断されました。迂回路はあるようですので、少し落ち着いたら、高森(南阿蘇ビジターセンター)まで行く道を探そうかなと思っています。
南阿蘇の方に聞いたら「西原〜ミルク牧場〜グリンピア」の細い道ですが、生きているそうです(離合に注意)
熊本市から阿蘇市に行く道は、大津から左折しミルクロードに入る手前を赤水駅の方に行く、道が通行出来ようです。後は、ミルクロードから山並みハイウエーを一宮に下りる道、小国に行く道から内牧に下りる道等が生きているようです。
私の住んでいる菊陽町は、14日&16日とも震度6です。幸い、阿蘇の火山岩の大地の上にあり、地下2000m下は熊本市の水瓶です。地盤が少し硬いので少し助かっています。水道、ガス、電気は、電気が16日に停電しただけで、問題がありません。ネパールのことを考えると、インフラは大変良い状態です。(不謹慎ですみません)
16日の1時30分の揺れから朝まで、車の中で過ごしましたが、後は家の中にいます。幸い家の各ドア&窓は、変わりなく動きますので、大きな歪みは今のところ、ほとんど無く、外壁に目立ったヒビも見えませんし、瓦も動いていないようです。
余震は、この文書を書いている間にもありますが、時間が短いのが助かっています。もし、長いと家がもたないので、飛び出す準備をし、チョッキのポケットには懐中電灯は2個と携帯電話、持ち出しの袋に車のカギ、財布が入ったままです。重たいので肩が凝りますね。車には、暖を取るための毛布を入れていましたが、昨日出してしまいました。2度と入れたくないなと思っています。あと車には、スコップ、鍬、長靴、手袋、着替え、観察会用のマイク、植物採集道具(選定ばさみ、鋸、根掘り)、水、携帯充電装置、傘などが入っています。思い込みは危ないので、明日再度確認します。
自然には勝てないので、こう長いと、地震と付き合うことにしました。こうしないとストレス溜まって、心身のバランスを崩す可能性がありますので、心身のバランスを普通に近づけるようにしています。
また、部屋の端から端に飛んだ本類などを大掃除し、不要なモノを捨てようと大掃除を始めました(早く終熄してほしいなとの思いで)
漢方を勉強するとこのような考え方になるのでしょうか? 大学で漢方概論の講義を担当させてもらったお陰です。
熊本大学で、1)安全管理、2)危機管理、3)漢方薬、4)天然物化学、5)薬用・有用植物、6)衛生化学、7)分析化学、8)有機化学などを学習させていただいたお陰を、有効利用しようと思っています。
少しでも早く、おさまり、普通に近い生活が戻ってくることを祈るだけです。
私の住んでいる、菊陽大地の南側に20m位の段差があり、白川沿いに、阿蘇から普賢岳のラインに神社が並んでいます。これは昔の方が地震が静まるのを願って建てた神社のような気もします。少し落ち着いたら、地震がおさまることを願いに、お参りにいってきます。
2016年4月18日(一部訂正20日)