ベトナム紀行三日目

皆さん、こんにちは。歴研特派員のKです。ベトナム滞在最終日の三日目には、市内に点在する名所や歴史関係のスポットを訪問しました。

まず最初に訪れたのは、ホーチミン市有数の観光客向け市場、ベンタイン市場から少し離れた場所にあるローカル市場、ヤンシン市場です。

ヤンシン市場の外見

ヤンシン市場の外見。www.vietnamnavi.com/shop/193/ より画像引用

ヤンシン市場は、基本的には観光客向けの市場ではなく、日用品や機械部品が所狭しと並ぶ、どちらかといえば地元住民向けの市場です。しかし、この市場には、工具などではなく、軍服や装備品などの軍装品を扱う店が並ぶエリアがあり、実際に、ベトナム戦争に従軍した兵士や記者たちは、この市場で必要な装備を買い、戦場に赴いたと言われています。

雑多な軍用品、ミリタリーグッズが並べられている

品物を吟味し、値段交渉をする店主と客。市場では、基本的に値段交渉が必須

世界中のミリタリーグッズが並ぶこの市場には、当然偽物や模造品も売られているが、基本的に店員に聞けば真贋を教えてくれる

ベトナム戦争終戦のすぐ後には、この市場で戦死した家族の遺品を探す客もいたという。

市場の内部には、世界各国の軍用品やミリタリーグッズが所狭しと並べられていますが、その殆どは偽物や模造品です。(その店の店主の言う)本物も極稀に売られていますが、非常に割高での販売となっています。ベトナム戦争の終戦から50年近く時間が流れているので、もう当時の本物はあまり残っていないでしょう。写真は撮れませんでしたが、おそらく誰かの遺品であろう、血のような染みがべっとりとこびり付いた弾帯ベルトも見かけました。ベトナム戦争終結の後には、この市場に家族の遺品を探しに来る遺族もいたと聞きますが、今や本物の軍用品は少なく、ましてや特定の人の遺品を探すのは困難でしょう。おそらく、筆者の見かけたそのベルトも、遺品ならば実に50年以上、市場に並べられて、家族の迎えを待ち続けているのでしょう。

筆者は、この市場で何人かの商人と話をし、実際に値段交渉を行いましたが、東南アジアの市場でよくイメージされるような、「押しが強く、偽物に法外な値段を吹っ掛け、買うまで客を返さない」というような商人は全くおらず(数人は、押しの強い方もいましたが、それでも買わないと帰れない、というような雰囲気は感じませんでした)、むしろ偽物と本物の違いを自ら進んで教えてくれたり、じっくり考えるために椅子を用意してくれたりなど、商売上の恩売りかもしれませんが、基本的には親切な方が多かった印象です。

この市場で、私が話をした商人の方に、興味深いお話をしてくださった方がいらっしゃいました。その方は、ベトナムをはじめとした世界各国の勲章などを売っておられる中〜高年の方なのですが、話を続けていくうちに、「私は社会主義政権があまり好きではない」というような趣旨の話をされました。

ヤンシン市場の存在するホーチミン市は、何度もご説明しているように、元は資本主義のベトナム共和国(南ベトナム)の首都、サイゴン市でした。南ベトナムが倒れ、現在の政府が生まれた際に、サイゴン市はホーチミン市と名を変えて、街だけでなくその市民も社会主義政権に取り込まれました。商人の方のお話を伺っていくと、おそらくその方は年齢から考えても、幼少期や少年期を南ベトナムで過ごされた経験をお持ちであり、その影響で社会主義政権にあまり良い印象を持っていないのではないかと、私は思いました。人の考え方や主義信条はそれぞれなのですが、サイゴン陥落時にあまり戦闘が起きず、南ベトナム軍が処刑を恐れて逃げ出したり、市民たちが北ベトナム軍を歓迎したりするような映像を見て歴史認識を培った筆者は、その方のお話にかなりのインパクトを受けました。



ヤンシン市場訪問後は、ホーチミン市の郵便局であり、観光地としても有名なサイゴン中央郵便局を訪問しました。


サイゴン中央郵便局

サイゴン中央郵便局

フランス統治時代に、エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルが手掛けたこの建物は、その美しい作りから、観光名所として有名で、実際に内部では観光客向けのお土産屋が営業しています。

郵便局内に飾られた、巨大なホーチミンの肖像画

入口からの景色。ホーチミンの肖像画が、非常な存在感を放つ

この建物は、実際に郵便局としても使用されており、ここから手紙を出すこともできます。また、建物の中央、一番目立つ壁には巨大なホーチミンの肖像画が掛けられており、観るものに強烈な印象を与えています。


筆者がこの日に、ベトナム最後の訪問先として選んだのは、在ホーチミンフランス領事館にほど近い場所に位置する、在ホーチミンアメリカ領事館です。皆さんがお察しの通り、本来ここは観光名所ではなく、また人民委員会庁舎と同じく至近距離で撮影できるものではありません。そのため、遠景から撮影できた写真と、インターネット上に存在する写真を交えて解説します。

 筆者がこの場所を最後の訪問先として選んだのには、もちろん理由があります。それは、ベトナムのアメリカ領事館という場所が、歴史の一舞台となっていたためです。

サイゴンから脱出する市民

アメリカ大使館からヘリに乗り、陥落するサイゴンから逃れようとする人々

www.sankei.com/article/20210823-QHVTCUU6SVMH7OBYBXXBFZLYTY/ より画像引用

陥落するサイゴンから、ヘリに乗って逃れようとするこの写真は、当時の在サイゴンアメリカ大使館で撮影されたと言われています。この写真は、「アメリカの敗北」を決定付ける写真として、アメリカのアフガニスタン撤退時にも引き合いに出されるほど有名な写真になっています。

また、サイゴン陥落時の大使館での有名な場面はこれだけではありません。

脱出を試み、大使館に殺到する南ベトナム市民

脱出を試み、大使館に殺到する南ベトナム市民

CNN The Fall of Saigon: 40 years later(youtu.be/vHLKFSWzImk )より画像引用

国外に脱出するため、アメリカ大使館の門に殺到する南ベトナム市民の映像が撮られたのも、この大使館です。

ミュージカル「ミス・サイゴン」より、米国大使館の門に殺到する市民

ミュージカル「ミス・サイゴン」より、米国大使館の門に殺到する市民

www.tohostage.com/miss_saigon/intro.html より画像引用

大使館の門に殺到する南ベトナム市民たちの姿というのは、自由を求めて一縷の望みにすがりつく人々の姿の象徴となり、ベトナム戦争末期を舞台にしたミュージカルである「ミス・サイゴン」にも、アメリカに脱出しようと大使館に殺到する南ベトナム市民が描かれるほど、サイゴン陥落を印象付ける有名な場面となっています。


このように、サイゴンのアメリカ大使館、現在の在ホーチミンアメリカ領事館は、非常に印象的な歴史の一舞台としての役割も担っていたのです。


旧サイゴンであるホーチミン市に来たのなら、歴研の部員として、この場所を訪問しない手はない。それがこの場所を最後の訪問地に選んだ理由です。

前述の通り、領事館の撮影は基本的に禁止で、カメラを向けようものなら警察官や警備員に制止されるような場所ですので、近づいての撮影などは不可能ですし、中に入ろうにも、私はアメリカ市民でもありませんし、アメリカに特に関わりがあるわけでもありません。そのため、本来は訪問しても素通りを余儀なくされるような場所ですが、幸運にも一枚だけ、遠方からの撮影に成功した写真が存在します。

在ホーチミンアメリカ総領事館の門

領事館の門。約50年前には、「ミス・サイゴン」などでみられるような大混乱がここでも起こったことだろう

今回撮影できたのは、メインゲートではない、おそらく通用門であると思われる比較的小さな門です。しかし、今はだれも気にかけないであろうこんな小さな門にも、約50年前には生きるために市民たちが殺到したと考えると、歴史の繋がりの凄さを感じました。


その後、筆者は大変有意義だった三日間のベトナム取材を終え、帰国の途に就き、取材は無事に終了しました。