バスティーユの象について


皆様、お久しぶりです。はじめましての方ははじめまして。小ネタ帳担当の溝口です。

文化祭直前の忙しい時期ですが、なぜか再び筆を執ることとなりました。新しい管理人にこのコーナーも委任したはずなのですが

さて、早速ですが、皆さんはこちらの動物を知っていますか?

(いらすとや より)

はい、です。かわいいね。皆さんきっと知っていらっしゃいますよね。筆者は実は幼少期に南アジアの某国に数年在住していたのですが、そこでも多くの象を見かけました。

しかしこの動物、日本ではなかなか見られませんよね。見られる場所といえば、動物園くらいに限られてしまいます。街中で象を見る体験は、なかなか出来ないと思います。

しかし、1800年代のパリでは、街中で象を見る、という体験が出来たのです。



バスティーユの象

街中で象が見られた、といっても、もちろん本物の生きている象ではありません。そもそもフランスに象は生息していません。では、どう言った象だったかと言うと、石膏の像でした。で紛らわしいですね

この像が立てられていたのは、パリのバスティーユ広場でした。ここでバスティーユという言葉を聞いてピクリと来た方は、きっと世界史を学ばれた方でしょう。そうです。

バスティーユ牢獄襲撃の絵(ジャン=ピエール・ウエル画/ビブリオテーク・ナショナル蔵)

バスティーユ広場とは、フランス革命の発端になったバスティーユ監獄襲撃事件の舞台、バスティーユ監獄が存在していた場所に作られた広場です。ちなみにこの広場、現在でも存在します。像は、この広場に建てられていた…というより、建てられようとしていました。


建設の経緯

建てられようとしていた、とわざわざ表現したのには理由があります。なぜなら、この像は完成しないまま取り壊されてしまったからです。

そもそも、この像の建築を命じたのはかの有名なナポレオンです。ナポレオンは、パリの改造計画の一環として、自分の軍事力を誇示し、勝利を記念するためのモニュメントとして、巨大な青銅の象を作ることを命じました。このとき、完成予想図として、石膏で出来た実寸大の像の模型を作らせたのですが、これが歴史上作られた唯一のパリのバスティーユの象です。

青銅の象の計画はなぜ中止になってしまったのか?というと、原因はナポレオンの戦争にあります。

ナポレオンがワーテルローの戦いに負けてしまったことが原因となっています。1815年にナポレオンがワーテルローの戦いに敗戦した後、工事は中断され、結局青銅の象は完成されることなく、石膏の模型のみがバスティーユ広場に放置されることとなりました。

だがこの象だけでも残って良かった、と考えるのは間違いです。だってこの象、30年後に取り壊されてしまったんですから

当時のパリの衛生状態はお世辞にも良好とは言えず、ネズミが街に溢れている状態でした。住むところがいくつあっても足りないネズミにとって、象は願ってもない好条件の建物。結果として、そこに住み着いたネズミの被害に怒った住民の抗議により、1846年に像は取り壊されてしまいました。


フィクションでは

そんな不遇な像でしたが、20m以上の象の姿は大きなインパクトを人々に与え、ついにはフィクションで活躍の機会を得ることができました。

ヴィクトル・ユーゴーが著し、今やミュージカルのみならず映画化もされた珠玉の名作「レ・ミゼラブル」では、登場人物の一人であるパリの少年、ガヴローシュの住処としてバスティーユの象が登場します。

(レ・ミゼラブル 2012年 ユニバーサル・ピクチャーズ)

2012年に制作された映画でも象が登場しており、クライマックスやラストの場面でも登場するなど、かなり出番は多くなっています。


まとめ

今回は、今までの内容とは全く違い、少し真面目な感じで記事を制作しましたが、いかがでしたでしょうか?前回のN.Nさんの書かれた記事とはだいぶ毛色が変わったと思います。

じつは今回の記事のネタは全くの思いつきだったりします()。というのも、レ・ミゼラブルは私が中学生のときに勉強時間を削ってまで読み続けた思い入れのある作品でしたので、一度は記事を書いてみたい、ということで今回の機会を利用させて頂きました。

私の仕事内容の変化により、これから私がこのコーナーを担当することも少なくなると思いますが、是非ともこれからもこのコーナーをお読みいただけると幸いです。


以上、お久しぶりの溝口でした!