「軍歌」

みなさんも、戦時中を舞台にしたドラマや演劇などでよく耳にするであろう軍歌。代表的なものは「軍艦行進曲(軍艦マーチ」)や「同期の桜」、「月月火水木金金」などが挙げられます。これらの軍歌はもちろん海外にも存在し、アメリカの「リパブリック讃歌(実はヨドバシカメラの歌のもととなった曲)」、ソビエトの「タチャンカ(機関銃搭載馬車。某オペレーターではない)」など多くの軍歌が存在します。実はフランス国歌であるラ・マルセイエーズはもともとフランス革命時のマルセイユ義勇兵たちが歌っていた歌であり、軍歌(後述の「隊歌」のような存在)でした。

このように、世の中には多くの軍歌が存在します。では、軍歌とはどんなものでどうやって作られたのか?今回は、その疑問を紐解きます。



軍歌の概要

軍歌は狭義では、「軍隊の兵士が士気を高めるために歌う歌」を指します。主に国歌への忠誠や愛国心などを歌った物が多い、とされており、みなさんのイメージもおそらくそういったものでしょう。というか軍隊にあまり好印象を持たない日本では「なんだか怖そうな歌」程度にしかイメージされていないんだと思っています。実際軍歌のイメージなんて「敵をたくさん殺せ、国のために」みたいなことばかり勇ましく歌い上げている歌、というイメージだと思います。もちろんそんな歌もあるっちゃありますが。しかし、実はそれはほんのごく一部であり、実際は多種多様な軍歌が存在します。愛国心や軍隊生活はもちろん、敵国を皮肉ったり友の死を嘆くだけでなく、実は軍内をも批判、皮肉した軍歌も存在します。(代表的なのは陸軍中央幼年学校で作られた学科嫌い。簡単にいえば「勉強嫌だ!」といった曲ですね。もちろん歌唱禁止になったが、細々と口伝などで終戦まで生き残りました。)



軍歌と戦時歌謡

さて、みなさんがイメージしやすい軍歌として、「出征(兵士が戦地に行くこと)のときに流される華々しい歌」などがあるでしょう。あの歌、じつは大抵軍歌ではありません。日本の一般的な定義で軍歌は「軍隊の作った歌」とされており、みなさんがイメージする曲は軍隊によって作られていない場合がほとんどです。「戦時歌謡」と呼ばれ、映画の主題歌や民間人が作曲した歌がそう呼ばれます。日本では軍隊や部隊が作った歌ももちろん存在し、そのような歌は「部隊歌」と呼ばれました。「加藤隼戦闘隊」などが有名な部隊歌です。ですが、民間では全部ひっくるめて「軍歌」と呼ぶ場合がほとんどですが。

戦時歌謡は民間にも広く浸透しており、現在でも歌い継がれていることがあります。なので年配の方に「軍歌(戦時歌謡)歌って!」とか「戦時中ってどんな歌があったの?」と聞いてみればもしかしたら歌ってくださるかもしれません(かなり低い確率ですが)。


筆者的には読者の方から年配の方に「潜水艦だよりって知ってる?」と聞いてほしいものです。個人的にはかなりマイナーな戦時歌謡だと思ってますが、もしかしたら知ってるかもしれませんね。「知らない」と返答されたらYouTubeなどで調べてみてください。暗くも何故か印象に残る一曲です。



軍歌の制作

さて、ここまで色々とお話してきた軍歌ですが、その制作はどうなっていたのでしょうか。

初期、とくに有名な軍歌「抜刀隊」はメロディーが「陸軍分列行進曲」に使われて現在の自衛隊観閲式でも流されるほど有名ですが、これを作曲したのは外国人でした。その外国人はシャルル・ルルーという名前であり、日本の近代音楽の発展に大きく関与した人物です。初期の軍歌はまだ日本にあまり作曲の(とくに西洋式音楽の)技能を持ったものが少なく、既存の歌やメロディーの替え歌が多かったようです。


日清戦争ほどになると、軍歌は軍隊の手で作られるもの、というよりかは新聞社などのマスコミによって作られるようになりました。この時期、軍歌は国民から公募されて作られたものが多く、国家規模の娯楽としてつくられるようになりました。現代でいうところの「作文コンテスト」のような感覚で応募が進み、かなり多くの軍歌が作られました。たった二年の戦争のなかで

さて、時は大きく進み、大日本帝国の滅亡が近づいてきます。戦時下、軍歌の公募は続いたものの、戦局が悪化してくると次第に軍歌は本来の「愛国心や国への忠誠を歌った歌」へと変化していきます。事実、明治時代の「雪の進軍」が厭戦的だとして、歌唱禁止になったりなど(実際は名目上で「今日でこの歌を歌うのをやめる」などといって歌う将兵も多かったようです)終戦も目前になればなるほど、敵国を批判し、日本の勝利を希望する曲が増えてきました。中には特攻を賛美する曲もいくつか制作されました。もっとも、時期的にもう勝利は不可能なのですが。


個人的な見解だと、この時代の軍歌、戦時歌謡の歌詞は結構とんでもないものが多いと感じています。「爆弾くらいは手で受けよ(タイトルも同名)」や「さほどでもない毒瓦斯よ(なんだ空襲)」、「野獣の如きアメリカを抹殺するはこの秋だ(米本土空襲の歌)」など、結構とんでもない歌詞がポロポロと…

ですが筆者的にはこの時代の戦時歌謡は歌詞は過激でもメロディーが良いものが多いなぁと思っています。もっともこんなのを歌えば周りの人からの白い目は避けられませんが。


さて、軍歌の話に戻ります。戦後、軍歌はGHQの命令により全面的に禁止になります。しかし、いまでも軍艦行進曲が「パチ屋のテーマ」みたいに認識されるように、軍歌も細々と生き残っています。


自衛隊でも前述の通り旧軍の軍歌を使用しているところもありますが、歌詞を現代風に変更するなどの処置を施しています。習志野の第一空挺団も戦時歌謡「空の神兵」を使用していて、降下始めなどで流れる曲として認知されています。「空の神兵」をバックに習志野に咲くパラシュートの花…うーん格好良いなぁ(圧倒的主観)。

ちなみに自衛隊には軍歌的位置づけの「隊歌」が存在します。隊歌などはそれぞれの自衛隊のホームページで聞けたりするので、興味のある方はぜひ調べてみてください。


最後に各自衛隊の隊歌が聞けるホームページのURLを参考程度に。

https://www.mod.go.jp/gsdf/fan/sound/index.html

(陸上自衛隊)

https://www.mod.go.jp/msdf/tokyoband/gallery/download/index.html

(海上自衛隊東京音楽隊)

https://www.mod.go.jp/asdf/acb/movie/index.html

(航空自衛隊航空中央音楽隊)



最後に

今回は日本の軍歌事情についてお話してきました。このコーナーはあくまでもこのページに足を運んでくださったの皆さんの息抜きや話の種として掲載していますので、皆さんの「知らなかった!」というようなものをこれからも掲載していきます。皆さんも、この話をしたら筆者みたいな変人がいない限りドヤれるので、どうぞひとつ話のタネに。




あとがき

今回の話、掲載したあとに絶対このような意見が出てくると予想される。

「あれ、この話wikiに載ってんじゃん」

「あれ、この解説誰かの動画かなんかで似たの見た気が…」

はい、そうです。あたりです。

このトリビアコーナー、じつは部員の頭脳の片隅にあった知識をもとに作られているので、かなりどこかと似通った説明になっていると思います。しかもこの文の筆者の頭もお粗末なので。「なんだよ!こんなん読んで損した!」とおっしゃる方も多いと思われますが、事実なので我々からはなにも言えないのです()。

この問題、じつは我が部の部員不足に起因しているのです。簡単に説明すると、

部員少ない→活動の幅が狭まる→すごい結果をあまり出せなくて目立たない→部員が入んない…という無限ループに陥っているのです。

だからこそこの記事を読んでいる在校生or受験生の皆さん!

入部、本当にご検討ください!本当にこのままだと部の存続が…(震え声)。


以上、このトリビアコーナーを二ヶ月連続書いてる溝口 (←ペンネーム)からでした!


筆者:2年・溝口(←ペンネーム)