平泉探訪記

みなさん、こんにちは。歴史研究同好会部員の溝口です。この「歴史の小ネタ帳」のコーナーでお会いするのは、かなり久しぶりではないでしょうか?恐らく、前回の内容なんておぼえていらっしゃらないかと思います。私も覚えていませんから()

さて、今回のタイトルは「平泉探訪記」ということで、東北の一大観光地、平泉にある中尊寺についての記事になります。この記事、実は作る気はなかったんですが、夏休みに旅行で平泉に行ったことを部長に話したら、「普段のどうでもいいネタより歴史っぽいから早く書け」とのことで、久々に筆を取ることになりました。本当はこのコーナーも新しいHP管理人に引き継ぐはずだったんですけどね

さて、それでは久々の歴史の小ネタ帳、やっていきましょう。


中尊寺探訪記


今回の旅の起点はこちら、平泉駅になります。ちなみに、今回掲載する写真はすべて私自身が撮影したものです。ここから車で4分ほど、歩きだと20分ほどで到達できる地点に、今回の訪問地、中尊寺が存在しています。


歴史上でも有名な人物、武蔵坊弁慶の墓を横目に、参道を15分ほど登れば、中尊寺金色堂が姿を表します。

おそらく、写真を見て「金色堂って言う割には金じゃないしなんかただの寺にしか見えない」と思われた方も多いかと思います。確かに、名前からして、金ピカのお堂がそのまま森の中とかに建ってそうですからね。ですが、実際の金色堂は、覆堂(おおいどう)という、金色堂自体を破損や汚れから守る建物に覆われています。ちなみに現在金色堂を覆っている覆堂は1965年に建造されたんだとか。

本当は金色堂の内部の写真をお見せしたいのですが、覆堂の内部は撮影禁止になっていたので、写真を撮ることが叶いませんでした。覆堂に包まれた金色堂は、あなた自身の目で確かめてください、ということで…()

ちなみに、金色堂の直ぐ側に中尊寺讃衡蔵という、資料館的な建物があり、そこで中尊寺の縮小模型や、数々の歴史的資料が展示されているので、まずそこに行ってから金色堂に行かれるのがおすすめです。

 そういえば、金色堂といえば、この人を思い出す方も多いのではないでしょうか?

このどこぞのジェダイ・マスターのような強力な覇気を放つ人物は、日本が誇る歌人、松尾芭蕉です。彼は江戸時代に平泉を訪れ、その様子を「奥の細道」という旅行記に書き残しました。その中でもここ、平泉の様子を描いた部分は特に有名で、学校教科書で読んだ、という方も多いのではないでしょうか?

彼の詠んだ歌を記念する石碑が、ここ中尊寺にも存在しています。

写真右側に書かれた「五月雨や 降り残してや 光堂」という句が、「奥の細道」で芭蕉が詠んだ俳句です。この「光堂」というのは、中尊寺の金色堂を指している、と言われています。

 ちなみに、やたらと金色堂のイメージが強くてもはや金色堂が本堂だと勘違いされがちな中尊寺ですが、ちゃんと本堂が存在します(?)。ついでに言うと、中尊寺金色堂付近には様々な寺などが存在しており、具体的に言うと


写真を見るだけで強そう感が伝わる大長寿院や、

美麗な能舞台を持つ白山神社などが存在しています。


ちなみに、もしこれから中尊寺に行かれることを検討している方がいらっしゃいましたら、忠告しておきますが、中尊寺に行くに当たって雨の日は避けたほうが無難です。当たり前に聞こえるかもしれませんが、金色堂や本堂に登るまで、麓から行く場合、かなり長い坂道を登らねばならず、雨が降っていると登坂するのに非常に骨が折れます。実際そうでした(取材時は雨)。なので、なるべく晴れた日に、時間をかけてゆっくりとまわっていただくのがベストだと思います。


まとめ

というわけで、久々の「歴史の小ネタ帳」コーナー、いかがでしたでしょうか?編集者的には、やはり久々ということもあって、勘を取り戻すのが大変でした。

ちなみに、今までは私がずっと執筆していたこのコーナーですが、今年に入ってからの人事体制の変更により、HP担当者や主執筆者が変更になったので、これからは私がこのコーナーに出現することは少なくなる、もしくはコーナーの更新が止まる可能性もあります。ですが、少なくとも私が書けるうちは、またこのコーナーを更新していこうと思っておりますので、ぜひご期待ください!


以上、久々の溝口でした!