戦前日本のタバコ事情
二十歳以上の大人の嗜好品の代表格、タバコ。もちろん日本にも多くのタバコが存在します。現代日本はもちろん、戦前、戦中の日本にも多くの種類のタバコが存在しました。代表格とすれば、「坊つちやん」や「吾輩は猫である」にも登場する「敷島」や「朝日」などが挙がります。その他にも「チェリー」や「ピース」、「サロン」や「カメリア」、黄金バッ…「ゴールデンバット」などが挙げられます。
もちろんこれ以外にも多くのタバコの銘柄が存在します。
敵性語排斥運動下のタバコ
昭和10年代には、敵性語排斥運動が多く広まりました。野球の「セーフ」が「安全」になったり、「夏シーズン」を「夏の陣」に置き換えるなどの外国語排斥が図られました。
もっとも、ニュースでベーキングパウダーを「ふくらし粉(ベーキングパウダー)」と書いたり、そもそも国策映画でも主人公が「チャンス!チャンス!」と言いながら戦闘機に飛び乗るシーンがあったり、挙げ句の果には大本営がドゥーリトル空襲の際、「指揮官はドゥ・リトルだが、被害はドゥ、ナッシング」とジョークを飛ばしたり、あまり徹底がなされていなかったようですがね…
もちろんタバコ業界もその煽りを喰らい、名称変更を余儀なくされました。
ゴールデンバットは日本神話に登場する鳥の名前である「金鵄」、チェリーは「桜」、カメリアは「椿」など、それぞれ日本的な名称への変更を余儀なくされました。
その他にも「翼」など戦時下の世相を反映した名称のタバコが多く発売されました。
戦後、いくつかのタバコはもとの名称に戻って発売され、ゴールデンバットは2019年になるまで発売され続けるなど、根強い人気を誇って発売されていました。
※タバコは二十歳になってから。未成年喫煙は犯罪です。また当事者のみならず、それを知りながら販売した業者、当事者保護者も科料に処されます。当然ですが、当校での未成年喫煙は禁止されており、発覚した場合厳しい処分が下ります。
筆者:2年・溝口 (←ペンネームです)