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高校生にはちょっと避けたい3つのことがある。1つ目は、帰りの電車で寝過ごすことである。帰りの電車で寝過ごせば、新しい世界を知ることができるという利点があるが、帰る時間が遅くなるという欠点がある。特に、早く帰らなければいけないときに寝過ごして、気づいたら終点にいた際の絶望感は凄まじい。私自身、電車で寝過ごして茨城に島流しにされたことは今思い返すといい思い出だ。
2つ目は、勉強をしようと思ったタイミングで親に「勉強しなさい」と言われることである。これを言われた際には、教科書をぶん投げたくなるぐらいのストレスを覚える。やりたくもない勉強をやる際に、なぜそんなことを言われなければいけないのだろうか。
そしてなにより避けたい3つ目は、定期テストである。そもそも、定期試験や入試はいつからあるのか。今回は、私が抱えている定期試験に対する怒りが少しは静まることを期待して、そんな歴史を考えていきたいと思う。
東洋の試験の歴史で、最も有名であるのは中国の科挙である。
科挙とは官吏登用制度として中国で始められた試験のこと。遣隋使が遣わされたことで日本人にも馴染み深い隋王朝の時代、598年に始祖の文帝により採用されたのが始まり。廃止されたのはなんと1905年。形を変えたり、元の時代に一時停止されつつも、約1300年にわたり活用された。
ベトナムや朝鮮でも採用され、韓国の「高等考試(日本でいう国家公務員一種試験)」には今でも科挙の名残があるなど、外国にも大きな影響を与えた試験である。
西洋においては、科挙のような試験での官僚の人材登用が行われ始めたのは、17世紀〜18世紀と中国に比べて大幅に遅く、それまでは重要な身分は原則貴族の世襲だった。古代ギリシャ、ローマ時代の教育機関では、基礎科目としての読み書き、詩、体育、音楽の他に、一般教養として、真理を探求していくための技術としての弁証・論理が教えられていた。
中世では、修辞・弁論や弁証・論理など人に何かを伝えたり説得したりするための能力は重視されていた。カトリック教会の公用語とされるラテン語の文法とともに、ラテン語での修辞・弁論や弁証・論理を学ぶようになった。この他に算術など4科目を併せて、現代でも馴染み深い言葉である「リベラル・アーツ」と呼ばれるようになる。専門科目として、神学やローマ法学、アラビア医学を学ぶこともあったそうだ。
その後の絶対王政の時代において、フランス国王であったルイ14世は、幼少期にフロンドの乱と呼ばれる貴族の反乱によりパリの王宮から逃亡する経験をしており、他の君主と比べても中央集権化に熱心だったそう。このように貴族に対抗するために官僚制の整備を進める中で、官僚とする人物を選ぶ基準として採用されたのが試験制度だった。そこで、高等文官試験と呼ばれる科挙をモデルとした試験が採用されることとなった。
しかし、絶対王政は長くは続かず、1789年にはフランス革命が勃発。戦争や社会の混乱を経て、社会秩序の立て直しが必要となった。革命後に皇帝となったナポレオンが行ったのが、廃止されていた大学の国立大学としての復活。そして大学入学試験としてのバカロレアの制度化。この制度は現在でも続いている。なお、バカロレアといえば国際バカロレアも有名だが、これはフランスのバカロレアとは一切関係がない。
西洋と東洋における試験の歴史を知ることができたが、やはり私は定期試験を考えたやつを絶対に許さない。
執筆:jhh