[台本]ピアノを弾くアナタとそれを聴く私
世界設定、場面情景
21世紀現代の日本。
この島国の何処かであった二人の日常の始まりと終わり。
奇跡は無情にも存在しない。
登場人物
○燈乃 光凛(ひの ひかり)
25歳、女性
微笑を絶やさない明るい女性。
ピアノを弾くのはからっきしだが聴くのは大好き。
○周防 夏奏(すおう かなで)
25歳、男性
常に落ち着いている優しい男性。
普段は大人しい印象だが結構冒険家で浪漫家。
燈乃 光凛♀:
周防 夏奏♂:
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夏奏:「寝室にピアノを置くだなんて、光凛さんも結構ロマンチストだね。」
光凛:「だって、寝る時や起きた時に夏奏君の弾くピアノを聴いていたいのだもの。」
夏奏:「あははは。
僕は別に構わないけど、起きた時に弾いたとしても
光凛さんまた寝ちゃうんのじゃないの?」
光凛:「ん~それもそうね~。
そういう時の曲とかって無いかしら?
例えば……
じゃじゃじゃじゃ~~~ん!じゃじゃじゃじゃ~~~~ん!!ってやつとか?」
夏奏:「それはベートーヴェンの交響曲第5番の『運命』かい?
懐かしいね。」
光凛:「そう、それ!」
夏奏:「確かに起きられるかもしれないけれども、
朝からそれを弾く元気はあまり無いかもしれないねー。」
光凛:「そうなの?それはちょっと残念ね。
だったら朝はしっかりと起きる様に努めるわ。」
夏奏:「そうしてくれると僕もとても有難いよ。」
光凛:私は燈乃 光凛。しがないOLでした。
そして彼は周防 夏奏君。ピアノが得意なデザイナー??的な人です。
そんな私たちが何故寝室にピアノを置くだのなんだのと
話をしているのかというと、私たちが結婚し、新居を構える事になったからです。
夏奏「他の部屋や台所はどうする?
見たところ君の設計図というか計画表には寝室以外は何も書かれてないけれども。」
光凛:「寝室以外は何も考えてないから空白なのさ。」
夏奏:「えぇ……。」
光凛:「なので、あとは夏奏君が決めちゃっても良いよ。
勿論、“ここは考えてくれ!”って所は私も考えるわ。」
夏奏:「ははは……なんというか、光凛さんらしいね。」
光凛:「でしょ?
それに、私分かっているのだから。」
夏奏:「ん?何をだい?」
光凛:「夏奏君は部屋の家具の配置や用途、何から何までガッツリと考えていること。」
夏奏:「おや、何故そう思うのだい?」
光凛:「ふふーん。私は君の事が大好きだから何でも分かるのさー。
……一番拘っているのはキッチン、正解でしょ??」
夏奏:「光凛さんの仰る通りで御座います。貴女には敵いません。」
光凛:「ははははーそうであろうー!
ふふふっ。
むしろ、寝室だけ書いたのは、ここだけは譲りたくないから、よ。
他の部屋の決定権は譲るので、寝室だけは譲歩して欲しいわ。」
夏奏:「そんな事しなくても全然譲ったのに。
他の部屋だって、別に僕の思い通りにならないと嫌、というワケでもないよ。」
光凛:「キッチン以外は……でしょ??」
夏奏:「その通り。本当に君には敵わないなー。
キッチンにはとても拘りたいからね。
いくら君がどんなに頼んでも曲げない気だったよ。」
光凛:「でしょうね。
平和的に解決して良かったわ。」
光凛:そんな彼との馴れ初めのお話をここで少し挟みましょう。
あれは今から4年前の春の事でした。
~4年前、春。何処かの大学にて~
光凛:当時大学3年生だった私は大学にて急遽次の講義が休講になってしまい、
やることもなく大学内をブラブラしていました。
ピアノの音色が聞こえてくる。
光凛:あら?この大学にピアノなんて置いていたかしら?と思い、
音の方へ、音の方へと誘われました。
そして、ピアノがある部屋に着きました。
そこで、彼はピアノを弾いていました。
光凛:「これは……トロイメライ、かしら?」
光凛:そう言った途端にピアノがピタッと止まった。
弾いていた彼はハッとした様子でこちらを見ていた。
夏奏:「…………。」
光凛:「…………えーっとぉー……。」
夏奏:「その通り、ロベルト・シューマンのトロイメライです。
『子供の情景』というピアノ曲の七番目ですね。
……えーっと。
僕は、周防 夏奏です。」
光凛:「…………あ、私、燈乃 光凛です。」
夏奏:「ひの……ひかり……?
日の光……?」
光凛:「あー、それ、貴方で100万1人目です。」
夏奏:「え……?
数えてるんですか?」
光凛:「まさか、うふふ、適当ですよ。」
夏奏:「あーそうなんですね……。
トロイメライ好きなんですか?」
光凛:「そうですね。
好きですよ、トロイメライ。
でも、そうですねー……こう……
ちゃ~~ら~~~ら~~~~ら~~~~ってやつの方が好きですね。」
夏奏:「…………。
えーっと……パッヘルベルのカノンですかね。
…………。」
光凛:そう言ってまた彼はピアノを弾き始めました。
私の好きな曲。パッヘルベル?さんのカノン。
聴いててとても心地よかったのを今でも覚えています。
光凛:「そう!それです!!
やっぱり良いですねー……
ふふふふ、ふふふふ、ふふふふふ~……(ハミング)。」
光凛:私は彼の演奏が終わるまで目を閉じて聴き入っていました。
そして、演奏が終わり、彼はふぅーっと息を吐く。
私は自然と拍手をしていました。
夏奏:「……あはは、少し照れるな……
ありがとうございます。
気に入って頂けた様で幸いです。」
光凛:「こちらこそありがとうございます!
本当に素晴らしかったです!
周防さんもしかして音楽学部の方なのかしら?
でも、ウチの大学に音楽の学部や学科があるなんて知らなかったです。」
夏奏:「あーいえ、僕は音楽学部の人間じゃありませんし、
この大学にその学部学科はありませんよ。」
光凛:「あーあはは、やっぱりそうですよね。
でも本当に上手でした。
何処かで習っていらっしゃったのですか?」
夏奏:「別に誰かに習ったりはした事ありませんね。
言ってしまえば、独学、というやつです。
なのでちょっと色々と変だったりするんですよね……。」
光凛:「好きですよ。」
夏奏:「え……?」
光凛:「周防さんのピアノ。私好きです。
また是非聴かせてくださいね。」
夏奏:「……あ……ああ、ええ、勿論ですよ。」
光凛:「またここに来れば良いかしら?」
夏奏:「そうですね。
たまにここで弾いていると思います。
燈乃さんはもうピアノをなさらないのですか?」
光凛:「え?……まぁ、今は聴く専門になっちゃってますねー……
そういえば周防さんの好きな曲はなんなんですか?」
夏奏:「僕ですか?
そうですねー……僕は―」
ピアノを再び弾く夏奏。
光凛:「……きらきら星…………
良いですねー……。
………………。」
光凛:これが、私と夏奏君のファーストコンタクトでした。
~現代~
夏奏:「よし、じゃあ家の事はこれくらいにしておこうか。」
光凛:「そうね、私お腹が空いたわ。」
夏奏:「ちょうどお昼どきだからね。
何食べたい?」
光凛:「そうねー……
ぽろろろろん♪ぽろろろろん♪ぽろぽろぽろぽろろん♪
…………アラビアータが食べたいわね!」
夏奏:「あはは……なんでモーツァルトのトルコ行進曲からアラビアータが……
まぁ、了解です。
じゃあ、ちょっと買い出しに行こうか。」
光凛:「あい、分かりました!
新しい町でちょっとした冒険ね。」
夏奏:「そうだね。冒険の時間さ。
素敵なお店が見つかると良いね。」
光凛:彼はとても優しくて大人しい性格なのですが、
実は結構好奇心が強くて冒険家なんです。
ピアノもその冒険の一つだと彼は言っていました。
~3年前の春~
光凛:また過去に飛んで彼の話をします。
その日も私は彼のピアノを聴きたくて例のピアノがある部屋に行きました。
彼が弾いていたのはトルコ行進曲でした。
あ、モーツァルトさんのではなくベートーヴェンさんの。
光凛:「周防さんって本当にピアノが上手いわよねー。
将来はピアニストに?」
夏奏:「いや、そのつもりはないよ。
考えはしたけども、ピアニストにはならない。」
光凛:「あら、それはどうして?」
夏奏:「僕はね、冒険家なんだ。」
光凛:「冒険家?」
夏奏:「そう、冒険家。
僕はピアノ以外にも色々やってきたんだ。
サックスにティンパニ、ギター、ウィングカンテレとかの楽器や
テニスやサッカー、カバディといったスポーツも、料理にも趣を置いてるし、
ゲームも色々と嗜んできた。
だけども、まだまだやりたい事があるんだ。
だから、ピアニスト、という風に一つに専門的に進むことはまだ出来ないんだ。」
光凛:「だから冒険家なのね。」
夏奏:「そう、だから冒険家なのさ。」
光凛:「じゃあ、いつかピアノもやめちゃうのね……。」
夏奏:「そうだね。
僕が死んだ頃には辞めちゃってるだろうね。」
光凛:「それは、ピアノは辞めません宣言かしら?」
夏奏:「さて、どうだろうね。
とにかく、僕はまだまだ冒険がしたいんだ。
君と、燈乃さんと一緒に居られると見れる世界、とかね。」
光凛:「そうなんですねー
…………。
……?
………………。
ん…………???」
夏奏:「ん?
どうかした?」
光凛:「え?
……えっとぉー……。
それは、つまり……?」
夏奏:「ええ、お察しの通り、僕は君を口説いてるよ。」
光凛:「あら……あらあら、どうしましょ。
まさか何の前触れも無く告白されるだなんて思ってなかったわ。」
夏奏:「ああ、僕自身かなり冒険してると思う。」
光凛:「うふふふ。
じゃあ、そうね……
私と周防さんの……夏奏君、私達の象徴的な曲を一つ紹介、演奏してくれないかしら?」
夏奏:「いいとも。燈乃さん。
そうだなぁ……じゃあ、これはどうだい。」
光凛:軽やかに鍵盤が弾む。まるで妖精たちが跳ねる様に。
この曲は当時の私もちゃんと名前を知っていた。
光凛:「ヴィヴァルディさんの『春』……。」
夏奏:「そう、アントニオ・ヴィヴァルディの『四季』の中の『春』。
春は始まりの季節。始まりの曲。」
光凛:「中学生の時にその曲習ったわ。
たしか、春から冬まであるのよね?」
夏奏:「そうだね。
春の途中から嵐が来て雷鳴が轟き始めたりするけども、
それが過ぎ去って行くと光が満ち、小鳥たちは嬉しそうに謳い、喜びを奏でる。
そんな山あり谷ありな一年を乗り越え、また春が来る。
僕らもまた、紆余曲折ありながらも一緒にいよう。
……みたいな感じかな?」
光凛:「……っぷ、あははははは!
最後はちょっと締まらなかったわね。
そうね……今の説明はイマイチだったけど、
夏奏君の『春』とても良かったわ。」
夏奏:「それは良かったよ。
……それで、告白の答えはどうだい?」
光凛:「…………。」
夏奏:「…………。」
光凛:「…………。」
夏奏:「…………えっ?
えっと…………燈乃さん……?」
光凛:「ふふふ♪」
夏奏:「……燈乃さん……?
答えは……。」
光凛:「ふふふふん♪」
夏奏:「にこにこしてるのはとても良いと思うけど、
YESなの?NOなの?」
光凛:「ふふふふ~~~ん♪」
夏奏:「ベートーヴェン交響曲第5番『運命』!!?
えっ?どういうことなの!?
ひのっ……光凛さん!!?!!??」
光凛:「うふふっ……あっはっはっはっはっはっは!!
はぁー…………。
そうね……これからも続く、ピアノを弾くアナタとそれを聞く私……
ふふ、とても素敵だわ。」
光凛:勿論、今現在私達が付き合ってる事が分かる通り、答えはOKでした。
この時の『春』はとても綺麗で大好きでしたねー。
~現代~
夏奏:「綺麗な街並みだね。」
光凛:「そうねー。
あ、川が流れてる!まるでヴェネツィアね!
あら、桜が芽吹き始めてるわ!
うふふ!日本にこんな場所があるなんて知らなかったわ。」
夏奏:「僕もたまたま見つけただけさ。
色々な所を巡ってた甲斐があったよ。」
光凛:「ええ、とても良い場所だわ!
貴方が冒険家さんで良かった。」
夏奏:「そう言ってもらえるのはありがたい限りだよ。」
光凛:「あ。」
夏奏:「ん?どうしたんだい?」
光凛:「そういえば夏奏君は冒険家さんだわ。」
夏奏:「あー……ああ、うん、そうだね?
それがどうかしたのかい?」
光凛:「それってつまり……あまり家には居てくれないのかしら……?」
夏奏:「え?」
光凛:「…………やっぱりそうなのかしら……?
寂しいわ……でも、私、止めないわ。
夏奏君がやりたい事を私は応援します!」
夏奏:「あははは。
大丈夫だよ。
何処かに遠出する機会はあまり無いと思うよ。
だって、光凛さんと一緒の時間もとても大事だからね。」
光凛:「……うふふ。いつも通りとてもキザで情熱的ね。
でも、そうなのね。少し安心したわ。
私も貴方と一緒にいる時間大事にしたいから嬉しいわ。」
夏奏:「そう言ってもらえると僕も嬉しいよ。
あ、あと、遠出する時は是非、光凛さんと一緒に行きたいと思ってるよ。」
光凛:「まぁ!!まぁ!まぁ!まぁ!とても素敵だわ!
きっと夏奏君と行く場所は普通の倍……いえ、10倍は楽しいハズだわ!
はぁ……想像するだけでも溜息が出てしまうわ……。」
夏奏:「え?溜息が出るのかい?」
光凛:「えぇ、そうよ。
あ、気苦労や失望からの溜息じゃないわよ?
溜息には二種類あるの。
今の溜息は感動の溜息!
貴方と居られる状況での非日常を思い描いて感動しちゃったの。」
夏奏:「……なるほど。
二種類というのは、プラスな溜息とマイナスな溜息、ということだね。」
光凛:「そうよ!
“溜息をすると幸せが逃げる”って言うわよね?
多分、プラスでもマイナスでも溜息なら同じく逃げちゃうと思うの。
でも、プラスの溜息は逃げるというよりは皆に配ってる、分けてるって感じかしらね。」
夏奏:「それは面白い考えだね。
光凛さんらしいよ。」
光凛:「私もそう思うわ。
こういう発想が私を私足らしめるんだと思うの!」
光凛:長い間(ま)が、生まれた。
光凛:「…………夏奏君?
ッ!?夏奏君!!?
夏奏君ッ!!夏奏君ッ!!!夏奏君ッ!!!!!!!」
光凛:その時、夏奏君は突然倒れて意識を失っていた。
~同日、病院~
光凛:目の前で倒れた夏奏君を見た私は気が動転してしまっていました。
“救急車を呼ぶ”、この発想が浮かばない程に。
救急車は周りに居た方が呼んでくれました。
…………。
夏奏:「…………。
いやー……大変な事になっちゃったね……。」
光凛:「…………。」
夏奏:「…………。
まさか、僕の身体がこんなことになっていたなんてね……。
……知らなかった…………本当に…………。」
光凛:「……なんで……なんで夏奏君が……
どうしてなの…………。
お医者様が仰った事は本当なのかしら…………。」
夏奏:「…………。
まぁ……先生が嘘をつく理由も無いし……
…………本当、なんだろう、ね……。」
間。
夏奏:「…………まさか、僕がもうすぐ死んじゃって、治療も不可……だなんて、
ははは……はは……。」
光凛:唐突だった……突然だった……突飛だった……。
所謂、兆候というモノは、多分、無かったと思います。
これから始まる筈だった幸せで楽しい日々は音を立てて崩れていきました。
夏奏:「……光凛さん、そんな顔しないで。
大丈夫だよ。僕は大丈夫だから。」
光凛:「いいえ……いいえ……!貴方は大丈夫じゃないわ……!
お願い……無理して笑わないで……
私の為に強がらないで……!
これは……とてもとても辛い事よ……
“辛い”という気持ちに蓋をしては駄目よ……。
そんな事をしたら、心が壊れちゃうわ……。
……だから、お願い…………無理をしないで…………。」
夏奏:「…………………………。
嗚呼…………そうだね…………
今日は光凛さんに甘えさせて頂きますね……。」
光凛:「……うん……うん……!」
夏奏:「…………うっ……ううう…………
うあああああ……!うあああああああ…………!!」
光凛:いままで聞いてきた中で一番悲痛な夏奏君の嗚咽……。
いつもは笑顔を絶やさず滅多に動揺する事のない彼の泣き顔を……。
私は……一生忘れないと思います。
~1ヶ月後~
光凛:あの出来事から一ヶ月が経ちました。。
夏奏君の容態は悪化するばかりです。
夏奏君の身体は次第に動けなくなる箇所が出てき始め、
歩く事が叶わなくなり、寝たきりになってしまいました。
そして……――
夏奏:「…………ああ、ついにか……。」
光凛:「夏奏君……?
どうかしたの……?」
夏奏:「…………その……ついに、手が……動かなくなっちゃったみたいだ……。」
光凛:「…………そう……。」
夏奏:「………………ピアノ……弾けなくなっちゃったなぁー……。」
光凛:「…………うん……。」
夏奏:「…………光凛さん……
一つ、お願いがあるのだけど……良いかな……?」
光凛:「良いわよ……。
私に出来る事であれば言って欲しいわ……!」
夏奏:「ありがとう。光凛さん……。
……その、ピアノを弾いて欲しいんだ。」
光凛:「……え?」
夏奏:「また、光凛さんのピアノを聴きたいだ。」
光凛:「……でも……!
私っ……ピアノはからっきしで……っ
人に聴かせられる様なモノでは無いわ……!
……そ、それに、“また”って……?」
夏奏:「多分、光凛さんは覚えてないと思うけれど、
僕と光凛さんは昔会ってるんだよ。
小学生の時にあったピアノのコンクールでね。」
光凛:「小学生の時のピアノのコンクール……?」
光凛:確かに、私は小学生の時に一度だけピアノのコンクールに参加したことがあります。
それまで習っていたピアノの成果を出す為に、だけど、
私はそれっきり、ピアノを弾く事はありませんでした。
何故なら、その時の私の演奏は満足行かなかった、では済まず、
最悪だったのです。
今までの努力が、積み重ねが無駄だと、何の意味も無いと感じ、
辞めてしまいました。
光凛:「……でも、あの時の私の演奏はだめだめで……
本当に……っ!だめだめだったのに……。
そんな私のピアノを夏奏君はなんで聴きたいの……?」
夏奏:「だめだめ……?
僕にはそうは思えなかったよ。
君が演奏した曲、今でも覚えてる……。
それに、それが、僕がピアノを始めた理由になったんだよ。」
光凛:「……え?」
夏奏:「光凛さんが弾いたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『きらきら星変奏曲』。
跳ねる様に、楽しそうに弾いてたのを覚えているよ。
あの時の君を見て僕もああいう風に弾いてみたいと思ったんだ。」
光凛:「……私のピアノで……そんな風に……!」
夏奏:「だから……お願いだ……光凛さん……。」
光凛:「………………分かったわ……!」
光凛:こうして私は十数年ぶりにピアノを弾く事にしました。
~翌日~
光凛:昨日病院の院長さんにお願いして一階の広間にあるピアノを使わせて頂きました。
夏奏君は車椅子に座り、少しわくわくした表情というか仕草をしています。
……緊張します。とても。」
光凛:「……で、ではっ、弾きます……!」
夏奏:「はい。」
光凛:私はゆっくりと、たどたどしくピアノの鍵盤を鳴らします。
そんな私が演奏したのは――
夏奏:「――G線上のアリア……。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの
『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の第2曲“アリア”を
ヴァイオリニスト、アウグスト・ウィルヘルミが編曲して生まれた曲。
……とても優しく、心に染みる演奏だ…………。」
光凛:私は必死に鍵盤と楽譜を見ていました。
拙く、やはりだめだめで……。
ふと、夏奏君を見ました。彼は聴き入る様に目を瞑っていました。
その様子を見て少し緊張が解け、気持ちよく弾けました。
間。
光凛:久しぶりに弾いたピアノは緊張と不安、久方ぶりの楽しさを感じました。
光凛、弾き終わる。
光凛:「――……ふぅー……。」
夏奏:「凄く良かったよ。
感嘆の拍手が出来ないのが残念だけど、
やっぱり、君のピアノは凄く元気になれるよ。」
光凛:「……ありがとう。
弾いた甲斐があったわ。」
夏奏:「また、お願いしても良いかな?」
光凛:「……!勿論……ッ!勿論よ……!
貴方が元気になってくれるのなら私はいくらでも弾くわ……!」
夏奏:「ははは……ありがとう。
そう言ってくれて凄く嬉しいよ。」
間。
夏奏:「……もう一つ、お願い良いかな?」
光凛:「ええ、良いわ。」
光凛:そのお願いとは、残りの時間を私達の家で過ごしたい、というものでした。
最初は病院にいよう、と否定しようと思いました。
けれど……彼の顔を見ていると、否定出来ませんでした……。
~数日後、家にて~
夏奏:今日は何を聴かせてくれるのかな?
光凛:「そうね…………――」
光凛:私は鍵盤を弾く。
毎日、なんども、なんども、なんども。
様々な楽譜に触れ、様々な音の組み合わせを知り、音を奏でました。
そして、今日は――
夏奏:「……フレデリック・フランソワ・ショパンの……別れの曲か……。」
光凛:「…………。」
夏奏:「…………そうかぁ……
春が、終わるなぁ……」
光凛:「…………。」
夏奏:「…………歌を聞いた死者が息を、吹き返した、なんて、話も聞いたこともあったけど、
やっぱり駄目だったみたいだ…………。」
光凛:「…………ッ……。」
夏奏:「…………うん……さながら僕はショパン、かな……。」
光凛:「…………。」
夏奏:「……そして、君が…………
…………いや、君は、やっぱり、僕の愛する人、だ……。」
光凛:「………………あぁ……。」
夏奏:「………………………………ピアノを弾く君と…………
それを聴く僕………………素敵だ………………。」
光凛:「あああぁ…………。」
夏奏:「光凛さん…………」
光凛:「ああああぁ………………夏奏……君……。」
夏奏:……君を……いつまでも、愛してる…………。
光凛:「私もです………………私も、愛してます………………!!」
光凛:また春が来る。
私は、今でもピアノを弾いています。
───────────────────────────────────────
END