[台本]愛の貌(かたち)
世界設定、場面情景
当たり前に生まれ、当たり前に生きて、当たり前に死ぬ、それが叶わない男と女の物語。
登場人物
○アダム・マクスウェル(Adamu・Maxwell)
30代、男性
ごく普通の人たちから生まれ落ちた非人間。
その非人間さ故に生き方に悩み苦しむ。
冷静で寡黙な青年。
○テレジア・クォーツ(Theresia・Quartz)
20代、女性
複数の不治の病で身体を侵されている。
身体が病んでいても心が病まない圧倒的善の人。
生涯で唯一アダムを愛した。
○ナレーション
不問
作中のナレーション。
アダムやテレジア以外の人間の言葉を代弁する。
アダム ♂:
テレジア ♀:
ナレーション 不問:
これより下が台本本編です。
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アダム:私は祝福の中で生まれたそうな。
アダム:「……。」
アダム:母は喜び泣き、父は喜び笑う。
そんな素晴らしく煌びやかな世界で──
アダム:「……私という、人でなしが生まれ落ちてしまった。」
N:早朝、薄暗い教会に並ぶ長椅子の隅に座る男が独り呟く。
彼の名はアダム・マクスウェル。
ある宗教の信者の父と母に倣い、その神とやらを信じる。
が、そんな彼はあまりにも、非人間であった。
アダム:「…………主(しゅ)よ、何故私はこの世に生まれ落ちたのか……」
N:彼は、どうしようもない程に無感情なのだ。
否、感情はある。
が、喜びに笑うことが出来ない。美しさを愛でることが出来ない。
悲しみに涙することが出来ない。怒りに身を震わすことが出来ない。
彼は、感情が欠けているのだ。
アダム:「何故、他者との差を理解してしまったのか……。」
N:だというのに、彼は自分の非人間さに気付けてしまった。
気付くことがなければ、こうやって苦悩することはなかったのかもしれない。
アダム:「嗚呼、主よ……私が人間であることを許すというのであれば、
どうか、どうか私をお導きください……。
…………。」
N:彼の信じる神に祈りを捧げる。
教会の扉が開かれる。
この教会の持ち主で教職者であるアダムの父と見知らぬ女性が入ってくる。
アダム:「これは父上、おはようございます。
……雨が降っていたのですね。」
N:親子が朝の挨拶を交わす。
そして彼の父が隣にいる女性に、アダムに自己紹介する様に促す。
テレジア:「初めまして、アダム様。
私の名前はテレジア、と言います。
よろしくお願いします。」
アダム:「初めまして。
こちらで修行させていただいているアダム・マクスウェルです。
……それで父上、この女性は一体……。」
N:二人が自己紹介を交わしたのを見て彼の父は早速本題に入る。
テレジアがアダムとの婚約を願っていることを彼に伝える。
あまりにも唐突で、突飛な話だ。
アダム:「はぁ……私は構いませんが、何故私などを。」
テレジア:「それは、私が貴方を好いているからです。」
アダム:「そうですか。」
N:無感情に言葉を返す。
沈黙が生まれる。
彼の父が慌ててテレジアに“コイツは昔からこういう奴なんだ”とフォローを入れる。
そんな光景にテレジアは思わず笑みを零す。
テレジア:「うふふふ……大丈夫です。
私は、彼のこういう所も好きなんです。」
N:場の空気が柔らかくなる。
アダム:「……。」
N:それでも、アダムの心は動かない。
きっと、それは悲しいことなのだろうが、アダムは何も思えなかった。
アダム:「では、改めてよろしくお願いします。
テレジア嬢。」
テレジア:「テレジアでよろしいです。
私も貴方のこと、アダムと呼びます。」
アダム:「そうか。よろしく。テレジア。」
テレジア:「はい……!」
N:テレジアは嬉しそうにはにかむ。
その様子に安堵するアダムの父。
しかし、直ぐに真剣な表情に変わる。
アダム:「どうなさったのですか。父上。」
N:苦い表情を浮かべる父。
そして、話す。
テレジアには複数の不治の病を患っていることを。
テレジア:「…………。」
N:そして、寿命が長くないことも伝える。
アダム:「……ほう。では、結婚の申し出は無意味ではありませんか。
何故、そのようなことを。」
テレジア:「もう長くないからこそ、です。」
アダム:「人生に悔いを残さない為、か。」
テレジア:「はい……。」
アダム:「そうか……私に出来ることがあるのであれば、拒否する理由は無い。」
テレジア:「……!それでは……!」
アダム:「ああ、先程も言ったが構わない。
不肖な私で良いのであれば。」
テレジア:「はい……!」
N:こうして彼らは婚約する事となった。
そして数日後。
病に伏しているテレジアの元にマクスウェルが訪れる。
アダム:「具合はどうだ。テレジア。」
テレジア:「ええ、今日は調子良いです。
……あら、お召し物が濡れてらっしゃる……アダムこそ、大丈夫ですか?」
アダム:「ん、ああ、雨が突然降ってきてな。
まぁ、問題ない。」
テレジア:「そうですか……なら、良いのですが。」
アダム:「……テレジア。」
テレジア:「はい?」
アダム:「何故、私なのだ。」
テレジア:「はい?どういうことですか?」
アダム:「私は、テレジア、お前を知らない。
だと言うのに、お前は私を好いている。
何故、お前は私を好いているのだ。」
テレジア:「……なるほど、確かに唐突でしたもんね。
疑問に思うのも無理ありませんよね。
ではお話します。」
N:テレジアが語る。
かつてアダムに助けられたことがあることを、
様々な病に穢れた自分に、普通に接してくれたことを、
そして、一目見た時に惚れてしまったことを。
アダム:「そうか……であれば、理由は理解できた。」
テレジア:「はい……貴方は、素敵な方です。」
アダム:「……。」
テレジア:「……アダム?」
アダム:「私は……」
テレジア:「……?」
アダム:「……私は、お前の言う様な素敵な人ではない。」
テレジア:「……それは……。」
アダム:「私は、人の器こそ持っているが、中身は非人間なのだ。」
テレジア:「どういうことです?」
アダム:「私は、人間らしい心を持っていないのだ。」
テレジア:「何故、そう思うのですか?」
アダム:「他の人ととの感じ方があからさまに違うからだ。
父とも他の人とも違う……否、感じ方が違うのでは無い。何も感じないのだ。
感じるモノといえば疑問、そして虚しさだ。」
テレジア:「……。」
アダム:「それが何故悪いのか、具体的には分からない。
が、何故か悪い気がしてならない。そう、今の私は“悪”なのだ。
故に、そんな自分を正そうと己に様々なモノを課した。」
テレジア:「……。」
アダム:「それでも駄目だった。
お前たちにとっての幸福を、私は理解出来ないまま今に至るわけだ。
私は、結局非人間のまま、悪から抜け出せず生きている。
……それが──」
テレジア:「……。」
アダム:「──“アダム・マクスウェル”という男だ。
さっきも言った通り、私は、お前の言う様な素敵な人ではないのだ。
……。
失望したか。テレジア。」
テレジア:「いいえ。失望なんかしていません。アダム。
むしろ、少し安心しました。」
アダム:「安心。」
テレジア:「はい。私から見たらアダムはあまりにも完璧に見えてしまっていたのです。
故に、私には貴方を支える事は出来ない、と思っていました。
……。
大丈夫です。アダム、貴方は大丈夫です。」
N:テレジアはそう言ってアダムを抱き寄せる。
アダム:「テレジア……。」
テレジア:「貴方はただ、まだ心が身体に追いつけていない、それだけです。
ただそれだけなんです。アダム、貴方は非人間ではありません。」
アダム:「……。」
テレジア:「共に探しましょう。共に育みましょう。
愛する事の美しさを理解しましょう。
それだけではありません。身が震える程の怒りもちゃんと覚えましょう。
また、涙に濡れてしまう悲しみを感じましょう。
そして……共に笑い合える喜びを知りましょう……。」
アダム:「……。
…………。
……ああ……そうだな……。」
テレジア:「…………。
……あ、あの……その…………えっと……
………………。」
N:テレジアは何か言おうとするが、顔を赤らめ口篭る。
そんなテレジアを見てアダムは訝しむ。
アダム:「…………どうした、テレジア。
何か言いたげだが。」
テレジア:「…………え……っと……
私、貴方との、その…………こ、こ、こ……」
アダム:「こ。」
テレジア:「…………///
……その、このタイミングで、言うのは、あれなのですが……
あ、貴方の、子供が、欲しい……です……」
アダム:「……子供か。
しかし、テレジア。お前のその身体で子を宿し産む事は可能なのか。」
テレジア:「それは……分かりません。
ですが、欲しいです……。」
アダム:「…………お前は、自分の気持ちに素直なんだな。」
テレジア:「…………。」
アダム:「良いだろう。
お前との子を作ろう。」
N:そう言ってテレジアに口づけをする。
テレジア:「……///」
N:アダムのその行為にテレジアは顔を更に赤らめる。
そして、二人は一夜を共にするのだった。
それから十数ヵ月後、無事にアダムとテレジアの子供が生まれたのであった。
周りの人らは奇跡だ、と讃えた。
テレジアやアダムの父も喜んだ。
しかし──
アダム:「……。」
N:──アダムは何も思えなかった。
アダム:「……これが私の血を受け継ぐ人間……か……。」
テレジア:「はい……貴方と私の子ですよ。とても、可愛いですね……。」
N:テレジアは己が抱いている赤子を愛おしそうに眺める。
アダム:「……そうだな。」
アダム:……やはり、私は非人間のまま……精神が未熟なまま、ということか……。
…………。
N:己の子の誕生に喜びを覚える事が無かった事をアダムは失望した。
自分自身に失望したのだった。
……ふと、窓を見やる。
アダム:「雨……祝福の雨、というやつか……。」
テレジア:「どうなさいましたか?アダム。」
アダム:「いや、なんでも無い。
それよりもテレジア、お前の体調の方はどうだ。
産後ということもあり、あまり動くと良くないのでは無いか。」
テレジア:「大丈夫です。
思いの外とても楽です。」
アダム:「そうか。なら良い。」
テレジア:「アダム。この子の名前、どうしましょうか?」
アダム:「名前、か。」
N:アダムは自分の子を見、周りの人々を見渡す。
そして、再び赤子に視線を向ける。
アダム:「……“ニキータ”……。
こいつには、全ての人々に愛されて、恵まれて欲しい……。
これでどうだ?」
テレジア:「ニキータ……ですか……良いですね……とても、良いです。
……貴女の名前は、ニキータよ……。よろしくね……。」
N:ニキータと名付けられた赤子は嬉しそうに笑った。
その笑顔にテレジアも笑顔になる。
アダム:「……。」
N:また数ヵ月が経った。
テレジアはまだ生きている。
様々な病に侵され、死が近かった筈の彼女が何故、まだ生きているのか。
その理由が解明された。
その理由とは──
アダム:「──複数の不治の病が重なり、打ち消し合い、或いは複合する事で心臓を止めぬ限り、
死なない身体になった、と。」
テレジア:「……はい。」
アダム:「……そうか。」
テレジア:「…………なんというか、無茶苦茶、ですよね……。」
アダム:「そうだな……。
父上たちは、これを神の奇跡、或いは慈悲としている。」
テレジア:「たしかに、奇跡……と言われると奇跡、ですね……。」
アダム:「…………。」
間。
アダム:「…………そうだな。
テレジア、死ねないとしてもお前は病人だ。
休んでおけ。ニキータの面倒は私が見ておく。」
テレジア:「はい。いつもありがとうございます。」
N:テレジアの見舞いを済まし、教会へ訪れる。
アダム:「……誰もいないか。」
N:誰も居ないのを確認し、アダムは独り言を零す。
アダム:「……主よ。
テレジアを侵す病の数々は、貴方が御贈りになられた愛、なのですか。
私の父上や周りの人々はあれを奇跡と、慈悲と、そう言っています。
……そうなのですか……。」
N:返事は返ってこない。
アダム:「私にはそうは思えません。
心臓を止めねば死ぬことが出来ない……。
それだけ聞けば、確かに奇跡と言えよう……
が、心臓を止めねば死ぬことが出来ないというのは、
彼女は生きる限り病に蝕まれ続けるという事です。
……彼女は、痛みを外に漏らしません。
しかし、彼女は苦しんでいる、苦しみ続けている。
それが、貴方の奇跡なのですか?貴方の慈悲なのですか?
……こんな残酷な奇跡があってたまるか!!
こんな狂った慈悲があってたまるか!!
間違っている!そう、間違っている!!
主よ!これが奇跡と、慈悲とするのであれば、彼女の病そのものを消してくれ!
彼女を治す奇跡を、慈悲を見せてくれ!!」
N:アダムは吠える。
が、やはり返事は無い。
アダム:「…………。」
間。
アダム:「……ま、無駄か。
…………分かっていた事だ。人の真似事など無駄だと。
分かっていた事なんだ……。
どうすれば、彼女の苦しみを癒せるのか……。
生きている限り、苦しむ……
生きている限り……
………………。
…………。
…………そうか。
……そうする他、無い、か。」
N:アダムの目が鋭くなる。
そして、踵を返し、テレジアの部屋に足を進める。
アダム:「……?」
N:テレジアの部屋の前に人集りが出来ている。
その中に、彼の父の姿もあった。
アダム:「……どうなされたのですか父上。」
N:アダムに気付いた父は彼にどう説明すれば良いか分からず、
ただ、扉の向こうを指差した。
アダム:「……?」
N:アダムは扉の向こうを見る。
アダム:「血の匂い……?
…………。」
アダム:「………………。」
N:そこには自身の胸を短剣で一突きし、絶命したテレジアの姿があった。
アダム:「…………自殺、か。」
N:男は冷静だった。
周りにいる誰よりも、冷静であった。
冷静に状況を見やるに、他殺では無い、と断定した。
アダム:「…………。」
N:机の上に手紙がある事に気付く。
アダム:「……。
私宛て、か。」
テレジア:『私の夫、アダム・マクスウェルへ。』
N:手紙はその様に始まった。
テレジアの字だ。
テレジア:『まず、アダムとニキータを残し先立つ事をお許しください。
決して、アダムやニキータの事が嫌いになった訳ではありません。
ただ、予感がしてしまったのです。』
アダム:「……。」
テレジア:『私が死なない、正しく言えば殺されない限り死なないと分かってから貴方は
なんというか、ずっと何かを考えている様でした。
その姿に私は少し不安になっていました。
“もしかしたら私を殺そうとしているんじゃないか”、と。
それは決して殺意では無く、悪意では無く、
ただ、私を救う為に、私を殺そうとしているのでは無いか、と予感したのです。』
アダム:「…………。」
テレジア:『私の為を思っての行動、それは私にとってはとても嬉しい事です。
しかし、貴方が人を殺す、つまり貴方が罪を犯すのは、嫌でした。
だから、私、死ぬことにしました。』
アダム:「……。」
テレジア:『私は死にます。自殺、というやつです。
だから、きっと、多分、私は天国には行けず、地獄へ行くと思います。
ですが、気にしないでください。
……貴方の心を一緒に探そう、と約束したのに、
破ってしまって、申し訳ありません。
貴方とニキータを残して逝ってしまい、申し訳ありません。』
テレジア:『テレジア・クォーツ』
N:手紙はその様に終わっていた。
アダム:「……お前が謝る事は無い。
お前はただ、苦しみから抜け出そうとしただけだ。
……私の方こそ、お前に己(おの)が命を絶つ選択をさせてしまって申し訳ない……。」
N:数日後、テレジアの葬式が行われた。
本来、式司者はアダムの父が行う予定だったが、アダムの申し出により、
アダムが式司者として、葬儀を取りまとめた。
式は恙無く、何の問題も無く進む。
そして、埋葬が始まる。
アダム:「……。」
N:アダムの父がぽつりと一言零す。
──愚かな子だ、と。
これは決して彼女を見下した言葉でも、恨む言葉でも無かった。
ただ、彼らの神の教義にて、自殺が許されないが故の言葉であった。
悪意は無い、だがアダムは父に掴みかかった。
アダム:「愚かだと!?
彼女はッ!テレジアはッ!苦しんでいたッ!
死ぬことも出来ず重い病に侵され苦しんでいたッ!!
だがそれ故の呪詛を一切吐く事無く笑っていたんだぞッ!
そんな彼女が!愚かだとッ!!」
N:アダムは怒っていた。
自分の父に向かって、彼女を愚かとする言葉を許さなかった。
父は自分の軽率な発言に謝罪の意を示す。
アダムは自分が冷静さを欠いた事に気付き我に返る。
アダム:「……申し訳ありません、父上。」
アダム:なんだ……今のは……。
N:アダムは自分の行動に困惑した。
いままで自分が体験、体感した事の無いものだったからだ。
アダム:「…………。」
N:数日後、アダムは花を抱え、傘を片手にテレジアの墓前に立っていた。
アダム:「…………。
テレジア。私はお前が言った通り、お前を殺そうとした。
お前を救う為に私が殺そうと考えた、とお前は思ったようだな。
だが、違うぞ。
お前を救う為ではない。苦しむものを救う為だ。」
N:アダムは眉をひそめる。
アダム:「人を殺すと地獄へ堕ちる。
それを懸念し、自らの手で地獄に堕ちる。
悪い手では無い、だが良い手では無かったな。
……安心しろ。ニキータは元気だ。
ただ……アイツは教会に預ける事にした。」
N:返事は返ってこない。
アダム:「私は、ここを去る事にした。
言っておくが、お前が原因では無いし、ニキータの事を嫌いになった訳ではない。
私が我が神を信ずる事が出来なくなったからだ。
お前を救えなかった神に興味は無い。」
N:アダムは持っていた花を供えた。
アダム:「……なあ、テレジア、私はお前を愛せていただろうか。
お前と結婚し、お前を抱き、お前との子を成したが、結局私はなんとも思わなかった。
そんな私は、お前を愛したと言えるのか。」
N:問答を始めるアダム。
答えは返ってこないが、それで彼は良いと思っていた。
アダム:「……私は、その答えを得る為に故郷を捨て、信仰を捨てる。
お前に会うのもこれが最後だ。
……次に会うとしたら、あの世、だな。」
N:そう言って上を見やる。
アダム:「……雨が、鬱陶しいな。」
N:アダムはそう呟き、歩き出す。
N:その日一日、雨が降ることは無かった。
───────────────────────────────────────
END