[台本]水に絵を描く
※私作「絵が描けない絵描き」、「折れた絵筆の様に」を読んでいただくと、より理解がしやすいかもしれません。
・衝羽根 煌子(つくばね こうこ)
24歳、女性
色々あり芸術系の大学に進学できず、何も上手く行かず、諦めた女性。
かつて祖父に言われた言葉が頭から離れず、常にイライラしているが、表に出さないように努めていたが暴発し、何もかも駄目になり、絵を描くのを辞めた。
プライドが高く、自分を良く見られたい性格で、優雅でカッコイイ自分を演じていた。
今は普通の会社員をしている。
・御召御納戸 いろは(おめしおなんど いろは)
24歳、男性
絵を描くのが好きで芸術系の大学に進学したが、何の成果も出せず、大学を辞めた。
内気で自分の事が嫌い。
今はフリーターをしている。
・衝羽根 煌子 ♀:
・御召御納戸 いろは ♂:
↓これより下が台本本編です。
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いろは:“水に絵を描く”って知ってますか。
煌子:“水に絵を描く”、それは、
水に絵を描いたところで、すぐに流されて形が変わり、最後には消えてしまうところから、
“無駄な苦労”の意。
煌子:「嗚呼……まさに──」
煌子:これは、似た者同士の──
いろは:鏡合わせの物語。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~画材屋~
煌子:「……。」
間。
煌子:「……すいません、これ、ください。」
◇
(煌子、ベンチに座って項垂れる。)
煌子:「…………はぁー……何買ってんだ、僕……。
もう絵、描かないのに……。」
煌子:きまぐれ、いや気の迷いだった。
仕事の帰り、いつもと違う道で帰っていたら画材屋が目に入った。
何も考えずに入り、何故か筆を数本、絵の具を数種買った。
煌子:「買ってどうすんだ……はぁー……」
いろは:「あの、大丈夫です?」
煌子:「え?」
(煌子、声の方を向く。)
煌子:声をかけてきたのは、隣のベンチに座っていた死にそうな顔をしている男性だった。
…………どこかで、見た事があるような気が──
いろは:「……?」
煌子:「あ、えっと、大丈夫ですよ、ハハハ……」
いろは:「…………そうですか、いやはや、
まさか同じ理由で項垂れている人が居るとは思わなかったモノで……」
煌子:「同じ理由……?」
いろは:「ええ……僕も使わないのに画材を買ってしまったクチで……」
(いろは、持ってるレジ袋を自分の顔の位置まで持ち上げる。)
煌子:「……。」
いろは:「……。」
煌子:「あ、ははは……」
いろは:「ははは……」
煌子:「何やってんだ僕……」(同時に)
いろは:「何やってんだ僕……」(同時に)
間。
煌子:「っぷ……ははは……あっはっはっはっは……!」
いろは:「……ふふふ。」
煌子:「あっはっはっは……あはは……どうやら、僕たちは似たもの同士みたいだね。」
いろは:「そうみたいですね。」
煌子:「あ……おっと、すまない。馴れ馴れしかったかな。」
いろは:「いえ、構いませんよ、そのままで。」
煌子:「そうかい?ありがとう。あ、そうだ。僕は衝羽根 煌子(つくばね こうこ)だ。
よろしくね。」
いろは:「ツクバネ コウコ……」
煌子:「ん?」
いろは:「あ、いえ。僕は……いろはです。よろしく、ツクバネさん。」
煌子:「……ああ、よろしく、いろはくん。
ところでいろはくん、君は何を買ったんだい?」
いろは:「アクリル絵の具を数種と油画(ゆが)用の絵の具と油、彫刻刀、ですね。」
煌子:「お……おお……色々買ったんだね……」
いろは:「ははは、本当に、色々買ってしまいました。」
煌子:「……君は、絵を描いてた頃は何を専門にしてたんだい?」
いろは:「……。
特別専門、と線引きはしていませんでしたが、そうですね……。
強いて言えば油画(ゆが)、でしょうかね。」
煌子:「ほう、油画(ゆが)……油絵か……どんな感じなんだい。」
いろは:「どんな感じ……ですか。
んー………………くさいですね。」
煌子:「……っぷ、はははははははは!!
そうか!くさいか!そうだな!実は僕、油絵は臭いが無理でやらなかったんだ!
ふふふ、いろはくん、君面白いねー」
いろは:「恐縮です。
まあ、真面目に答えるなら、
時間が掛かるけど厚みを出すのに向いている画法……ですね。」
煌子:「なるほど。
僕はもっぱらアクリル画だったよ。
せっかちなもんでドライヤーを片手にキャンバスに向き合っていたよ。」
いろは:「ははは、分かります。
アクリル、水彩、岩絵具は気が早ってしまって重ね塗りをしてしまうと
失敗しちゃう事ありますよね。」
煌子:「そう!そうなんだよ!!
けど稀にそれが良い方向に作用する事もあるから
偏に悪いとは言えないんだよなー。」
いろは:「ふふふ……」
煌子:「ははは……」
間。
煌子:「………………僕さ……絵を描かなくなって2年が経ったんだ。
理由は…………まあ、うん、置いとこう。
2年も絵を描いてなかったのに、なんだか絵を描きたくなってきたよ。」
いろは:「それは、素晴らしいですね。」
煌子:「ははは、全く、単純なもんだよ。
けど、家に帰ったら、多分描かない。」
いろは:「……。」
煌子:「ああ、うん、描かないと思う。
絵を描くのは嫌いじゃないが、絵を描く自分が……、……。」
いろは:「……ねえ、ツクバネさん。」
煌子:「ん、なんだい?」
いろは:「せっかくですし、絵、描きません?」
煌子:「……?」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~どこかのカフェ~
煌子:「喫茶店……?」
いろは:「ええ、ここ、僕の家なんですけど、色々あってカフェになったんです。
今はやってないですけどね。」
煌子:「その色々が気になりすぎる……。」
いろは:「この奥です。」
煌子:「……。」
煌子:彼が案内した部屋。そこは沢山のキャンバス、スケッチブック、画材、石膏、彫刻、
教本、資料、その他もろもろ、が置かれた部屋だった。
その有り様は、そう──
煌子:「アトリエ……?」
いろは:「はい。僕が学生時代に使ってたアトリエです。
どうです、ここなら、こういう雰囲気なら絵を描いちゃうんじゃないんですか。」
煌子:「……。ハハハ……これはこれは……もしかして僕は凄い人と話していたのかな?」
いろは:「そんな事はないですよ。
僕はただのフリーターですよ。」
煌子:「…………ま、いっか。
せっかくだ。描いてみるよ。」
いろは:「はい。
もう貼ってるキャンバスを使っても良いですし、
プライヤーも水貼りテープもあるので自由に使ってください。
僕は珈琲でも入れてきますね。」
煌子:「うん。」
間。
煌子:「……とは言ったものの……何を描こうか。」
煌子:「…………。」
(煌子、アトリエの外、いろはの方に向かって大声を出す。)
煌子:「ねえ!エスキースしたいのだけど!使って良い紙とかあるかーい!」
いろは:「右の棚の、一番右のスケッチブック、
何も描いてないハズなので好きに使って良いですよー」
煌子:「え?新品を……?
んー……少し気が引けるが……ありがたく使わせていただこうかな……
ありがとー!」
いろは:「は~~い」
間。
煌子:「さて……何を描こうか。」
煌子:別に描きたいモノがあったわけじゃないから、鉛筆が動かない。
だって、僕はただ、描きたいな、と思っただけだから、どうしても……
煌子:「……いや、そんなもんか。
“描きたいモノ”なんて、大体“描きたい”という衝動の後から顕(あらわ)れるもんだったな。」
間。
煌子:「…………。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いろは:「…………。」
(煌子、アトリエから出てカフェの部屋に入る。)
いろは:「おや、どうしましたかツクバネさん。」
煌子:「いや、なんだ。久しぶりだとどうも何を描けば良いのか分からなくてね。」
いろは:「ふふ、そうですよね。
そうだ、珈琲、ちょうど出来たところですよ。
今飲みます?」
煌子:「ああ、頂くよ。」
いろは:「分かりました。」
(いろは、珈琲をコーヒーカップに淹れる。)
煌子:「……おや、サイフォンコーヒーかい。」
いろは:「はい、僕この淹れ方が好きなんですよ。」
煌子:「へぇー拘ってるね。」
いろは:「恐縮です。
さ、どうぞ。」
煌子:「ん、ありがとう。」
(煌子、珈琲を飲む。)
煌子:「…………。
ふぅー……フルーティーで飲みやすい……。
香りも上品で……いろはくん、美味しいよ。」
いろは:「ありがとうございます。」
煌子:「初めて飲んだ味だ。この珈琲はなんて言うの?」
いろは:「え……」
煌子:「ん?」
いろは:「えー……っと……その……」
煌子:「……何を勿体つけてるんだい?」
(いろは、少し恥ずかしそうにしていたが、観念して口を開く)
いろは:「スゥーーーーーーーーーーーーーー……“いろはオリジナルブレンド”……です……」
煌子:「……。」
いろは:「……///」
煌子:「え!?これ!いろはくんのオリジナルなの!?」
いろは:「ま、まあ……」
煌子:「凄いじゃないか!え!オリジナル!
ちゃんと美味しいよ!全然お店で出して良いと思うよ!」
いろは:「ははは、恐縮です……
でもまあ、別に栽培した訳じゃないですし、
如何にも美味しそうな比率で配合して挽いて淹れただけですし、
誰でも出来ますよ。」
煌子:「おっとぉ、僕が何も知らないと思って適当を言ったねぇ?
その“美味しそうな比率で配合”ってのがそもそも難しいじゃないか。
君、中々の珈琲通、或いは試行錯誤を沢山していたね?」
いろは:「ははは、実はそうなんですよ。バレちゃいましたか。
……絵も、そんな感じですよ。」
煌子:「え?」
いろは:「試行錯誤です。
最初はどんな珈琲を作れば良いか分からなかったですが、
とりあえず色々試してみました。
何を描けば良いのか分からない時は、絵も同じだと思うんです。
色々試してみてはどうですか。」
煌子:「…………。
ふふ、それもそうだね。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~いろはのアトリエ~
煌子:「…………色々、か。」
いろは:『……絵も、そんな感じですよ。』
煌子:「……。」
いろは:『何を描けば良いのか分からない時は、絵も同じだと思うんです。
色々試してみてはどうですか。』
煌子:今更思い返す。
僕は“色々試していた”だろうか。
煌子:「……。」
煌子:思い出す。
僕が賞に作品を出していた頃を。
間。
煌子:「…………。」
間。
煌子:自分勝手で自惚れていた自分を、思い出す。
(煌子、蹲る。)
煌子:「うぅ……ぐっ……」(吐きそうになる。)
いろは:「大丈夫ですか。」
煌子:「え……?」
(いろはが心配そうに煌子の顔を覗き込む。)
煌子:「あ……いろはくんか……すまないね……大丈夫だよ……。」
いろは:『“水に絵を描く”って知ってますか。』
煌子:「──ッ!」
(煌子、立ち上がる。)
いろは:「……?」
煌子:「……少し、昔の事を思い出していてね。
それがあまり良い思い出で無くてね。」
いろは:「……そうですか。」
煌子:「…………。
……ねえ、”輝く星の絵画、御召御納戸(おめしおなんど)大賞展”って、知ってるかい。」
いろは:「…………はい、知ってます。」
煌子:「僕さ、あれに何度か……いや、何度も作品を応募していたんだ。
あれに拘ってたのには理由があってさ……
理由って言っても、おじいさまに言われた言葉が
気に食わなくて仕方なかっただけなんだけど。」
いろは:「…………。」
煌子:「……そんなのが原動力だったからなのかな。一度も、入選した事が無かったんだよ。
それをさ、全部、人の、何かの……とにかく、自分以外の所為にしてさ。
……そうやって何かの所為にしてた時は、ずっと、ずっとずっと足掻けていたんだ。
けど、ある時、なんだか、何かが切れたみたいに止まっちゃったんだ。」
いろは:「……。」
煌子:「その時に気づいたよ。
“嗚呼……誰かとか何かとか……星とか……
そんなんじゃなくて自分の所為だった”んだなって……
そうしたらあら不思議、ずっと続けていたのに、
絵を描くのを辞めていたんだよ。」
いろは:「…………ハハハ、なるほど……
本当に……どうやら、僕たちは似たもの同士みたいですね。」
煌子:「……そうかい、やっぱり、そうなんだね。」
いろは:「…………僕も、ある人の言葉がトリガーで、描けなくなっちゃったんですけど、
本当は、別のところに理由がありました。
それにしたって、自業自得でしかありませんでしたから。」
煌子:「はっはっは、なんだろうね。あるあるなのかね。」
いろは:「どうでしょうね。こんな事あるあるであって堪るかって感じですケド。」
煌子:「それは違いない。
……君はもう絵は描かないのかい。」
いろは:「どうでしょうね。
けど、僕は相変わらず作品作りをしていますよ。」
煌子:「おや、そうなのかい。」
いろは:「ええ、珈琲を作ってます。」
煌子:「…………っぷ、はははは!そうきたか!
確かに、立派な作品だ。いいね。」
いろは:「ははは、ありがとうございます。
……“水に絵を描く”。」
煌子:「……。」
いろは:「知ってます?このことわざ。」
煌子:「…………ああ。知っているとも。
水に絵を描いたところで、すぐに流されて形が変わり、
最後には消えてしまうところから、
“無駄な苦労”の意を持っている……
……そ、それが、どうしたんだい。」
いろは:「本当にそうかな、と思ったのが、始まりだったんです。」
煌子:「…………。」
いろは:「“水に絵を描く”方法。
いくらでもあります。それこそ、水槽に水性の絵の具を垂らしたり、
石や砂などの固形のものを沈めたり、そして、水そのものに色を付けたり。」
煌子:「……!」
いろは:「僕が作った“水に描いた絵”は味覚で楽しむ作品です。」
煌子:「…………。
なるほど、流石だね。
ああ、プレゼンテーションも完璧だ。説得力がある。
ああ、本当に、流石は“御召御納戸(おめしおなんど)”家当主の嫡男様だ。」
いろは:「気付いてましたか。」
煌子:「ああ、なんとなく、その“いろは”って名前には覚えがあったからね。」
いろは:「そうですか。」
煌子:「面白い……数奇なもんだ……
僕が一方的に片思いしていた賞を支援しているとこの
お坊ちゃんと一緒にいるなんてね……。」
いろは:「……。」
煌子:「ああ……本当に……面白い……!」
いろは:「っ!」
煌子:「いろは君!君のおかげで良いインスピレーションが浮かんだよ!
ありがとう、いろは君、やっと、やっと君の言葉の意味が分かったよ。
……やっと、描きたいモノが見つかった。」
いろは:「……そうですか。では、完成、楽しみにしてますね。」
煌子:「ああ、完成した暁には、是非とも批評してくれたまえ。」
いろは:「ふふふ、了解致しました。」
(いろは、アトリエから出る。)
◇
(煌子、地べたに座りエスキースをする。)
煌子:僕は前にいろは君に会ったことがある。
その時にも、彼に問われた。
いろは:『“水に絵を描く”って知ってますか。』
煌子:いろは君に会ったのは”輝く星の絵画、御召御納戸(おめしおなんど)大賞展”の講評会でだ。
彼は審査員の教授様の助手として、僕の作品に批評した。
その中での問が、“水に絵を描く”を知っているか、だった。
煌子:「……。」
煌子:僕は、なんと答えただろうか。
正直言って、ちゃんと、しっかりと覚えているわけじゃない。
彼の言葉も、その問いかけしか、まともに覚えていない。
描いた作品は覚えている。
F50、1167ミリ×910ミリのキャンバスに、星を描いた。星空を描いた。
制作時間は二週間程度、計40時間。一番最初の、応募作、初めての失敗作。
煌子:「…………我ながら天邪鬼だったな。」
いろは:『その通り、ツクバネさんが言った通りの意味を持ちます。
しかし、本当にそうかな、と僕は疑問です。』
煌子:「……ハハハ、少し思い出した。思い出したが、あまり言っている事変わらないな。」
いろは:『確かに教授が言う様に、始めるのが遅いが故に技術は拙いと思います。
作品の構想も浅慮。経験が少ない。一目で失敗している事が分かります。
入選出来ないのも無理もないでしょう。』
煌子:……そうだ。彼に酷評されたんだった。
それは……少し、覚えている。
審査員の言った言葉をより詳しく、鋭利にして突き刺してきたんだ。
……けれど──
いろは:『──けれど……作品に掛けた時間が、無駄な苦労だと思いません。
きっとツクバネさんにとって、
制作時間は正に、“水面に筆を動かし続けている”感覚に陥っていたと思います。』
煌子:嗚呼、その通りだったとも。
当時の彼に、僕は全てを見透かされていた。
いろは:『それでも、自分の中で作品と認められる程度の区切りを付け、ちゃんと応募した。
この、“水に絵を描く”行為を無駄だとは僕は思いません。』
煌子:…………。
そう、言ってくれたんだ。
そう、言ってくれていたのに、僕は自分を刺した酷評にばかり囚われ、
彼の本当に伝えたい事を聞き逃し、忘れ、また彼自身も忘却したんだ。
煌子:「だから、入選出来なかったんだぜ……コウコ……。」
煌子:改めて、己の愚かさを実感させられる。
いろは:『──ツクバネ コウコさん。
僕は貴女の絵、強い執念……恩讐と言っても良いかもしれません。
それが感じられるので好きです。なので、
次に貴女の作品を見れる時を楽しみにしています。』
煌子:「本当に、ありがとう、いろは君……。」
(煌子、鉛筆を置き、立ち上がりキャンバスに向かい合う。)
いろは:『……そうですか。では、完成、楽しみにしてますね。』
煌子:「嗚呼!楽しみにしていてくれたまえ!!」
いろは:彼女は筆を取る。
何かに突き動かされる様に手を動かし、キャンバスに色を重ねる。
丁寧に、丁寧に、丁寧に、
無心に、けれどもらった言葉を忘れない様に。
煌子:「…………。」
いろは:ふと、思い立つ。自分の手を塗料バケツに突っ込み、キャンバスに色を飛ばす。
そうやって、一時間、二時間、三時間……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いろは:朝が来ていた。
(いろは、アトリエに入る。)
煌子:「ん。いろは君起きたのかい。おはよう。」
いろは:「おはようございます。
……もしかして、徹夜で?」
煌子:「ああ、どうにも高揚してしまっていてね。
寝たくても眠れなかったんだ。」
いろは:「ははは……それはそれは。
…………星空、ですか。」
煌子:「うん、まだ完成してないけどね。
いろは君、“またか”って思ったかい。」
いろは:「……まあ、そうですね。
ツクバネさんは本当に星が好きなんですね。」
煌子:「うん、大好きだとも。
けど、今回はそれだけじゃないんだ。」
いろは:「……?
………………。(キャンバスをまじまじと見る。)
なるほど、海ですか。」
煌子:「おっと、よく分かったね。ちょっとびっくりだ。
そう、海だよ。
今回は、“海に描いてみた”よ。」
いろは:「……へぇー。
キャンバスのサイズはF100号……でかくて大変でしょうね。
描いているモノも手伝って、完成にもきっと時間が掛かりそうですね。」
煌子:「そうだね。僕もそう思うよ。
だから、しばらく厄介になると思うけど、良いかな。」
いろは:「ええ、構いませんよ。」
煌子:「ありがとう。
厄介になるついでに、珈琲の淹れ方も教えてくれないかい。」
いろは:「…………え、どうしてです。」
煌子:「君のいろはオリジナルブレンドが気に入ったからだよ。
僕にも作り方を教えてくれよ、サイフォンコーヒーの使い方とかも含めてさ。」
いろは:「……まあ、別にいいですけど。」
煌子:「ふふふ、ありがと。
じゃ、僕は一旦、仕事に行ってくるよ。また夜、よろしく頼むよ。」
いろは:「え、それは良いんですけど、寝なくても大丈夫です?」
煌子:「何、気にすることは無い。
明日は休みだから、夜に存分に寝るさ。」
いろは:「ああ……。…………?
うちで寝るんです?」
煌子:「そうだとも?何か不都合があるんなら辞めておくけど。」
いろは:「いえ、特には……じゃあ、お布団用意しておきます。」
煌子:「ははは、そこまでしなくて良いよ。
改めて、また夜にね。」
(煌子、去る。)
いろは:「…………まあ、楽しそうだし良いか。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いろは:そして夜。
煌子:「こんばんは!いろは君!」
いろは:「こんばんは、ツクバネさん。」
煌子:「今日は中々に良い星空だよ!ここ、屋上とか無いのかい!?」
いろは:「あ、ありますケド。」
煌子:「よし、じゃあ屋上でご飯を食べよう!」
いろは:「……ふふ、良いですよ。
珈琲淹れてから行きます。」
◇
(いろは、屋上の扉を開ける。)
いろは:「……おお……凄い……。」
煌子:「そうだろうそうだろう……!
いやはや、こんな街中でこんな満天の星たちを拝めるとは思っていなかったよ!」
いろは:「そうですね~
ツクバネさん、珈琲です。」
煌子:「ん、ありがとう。
……。(一口飲む。)
ふぅー……美味しい……。……実は、久しぶりに星を見たんだよ。」
いろは:「え……?」
煌子:「星が好きなハズなのに何故久しぶりなのか、って思っただろ。
妥当だ。僕でも多分、そう思うからね。
確かに、星が好きだ、大好きだ。けれど同時に、大っ嫌いでもあったんだ。」
いろは:「…………その感覚、分かる気がします。」
煌子:「君なら、そう言ってくれると思ったよ。
……おじいさまに、憧れの人に言われたんだ。
"お前はどんなに努力しても大成出来ない星のもとに生まれている。"ってね。
当時の僕は愚かでさ、この言葉を字面通りにしか捉えられなかったんだ。」
いろは:「……。」
煌子:「おじいさまの言い方に問題は大いにあったと思うんだけどさ、
おじいさまが言いたかった事って、
“成功しないのはお前の所為じゃない”って事だったんだろうなって思うんだ。
もうおじいさまはいないから確かめることは出来ないけど、
多分そうだと思う。」
間。
煌子:「励まし、慰めだったんだ。
けど、当時の僕には分からなかった。
僕にとっておじいさまは星だ。憧れだ。
その星に否定されたと思って、星を憎んだんだ。」
いろは:「けど、やっぱり星が好きだった。」
煌子:「ああ、その通りだとも。
あの時の僕はまだまだ若かったな、と改めて思うよ。」
いろは:「…………。
良いですね。“星”とは、そういうモノなんでしょうね。
僕も、そうです。憧れの人に……否定されたけれど、嫌いになれなかった。
嫌いになれたら、どれだけ楽だっただろうか、そう、何度考えたものか。」
煌子:「そうだね。
“嫌いだけど、好き”、ってのは中々に苦しいよ。」
いろは:「そうですよね。」
煌子:「けど、僕は、いろは君、君のおかげでまた“好き”になれたよ。ありがとう。」
いろは:「…………それは、良かったです。」
間。
(煌子、いろは、空を見上げる。)
煌子:「……はぁ~~……あの時、君がいてくれたら、きっと僕は大成してたんだろうなあ。」
いろは:「どうでしょうねー……」
煌子:「していたとも。確信したよ。
僕に必要だったのは、君だったんだよ。いろは君。」
いろは:「……それはそれは。」
煌子:「そして、君にも、僕が必要だったんだ。」
いろは:「ははは、大きく出ましたね。
…………けど、そうですね。そうかもしれません。
僕には友達がいませんでしたから、色々と失敗したところはありますので。」
煌子:「ははは、そんなところも似ているね。
……まあ、僕の場合は自業自得だけども。」
いろは:「僕だって自業自得ですよ。
けど、その自業でツクバネさんに会えましたから。」
煌子:「……そうか。それは……まあ、悪くない気がしてしまうな!」(はにかむ様に笑う。)
いろは:「ははは……
……君って本当はそんな感じなんだね。」
煌子:「え……?
あ……そ、そんな感じ、とは?」
いろは:「明るいな、と思って。
そうやって笑うんだね。良い笑顔だ。」
煌子:「…………。
あ、あんまり見ないでおくれよ。」(顔を隠す。)
いろは:「……あ、すまない。」
煌子:「……。」
間。
煌子:「なあ……君は、僕の事を覚えていてくれたのかい……?」
いろは:「……。」
煌子:「覚えていてくれたから、僕に──」
いろは:「──話しかけた訳じゃないよ。偶々さ。」
煌子:「そうか……。」(少し残念そうに)
いろは:「けど、君の名前は覚えていた。
ツクバネ コウコ、初めて人を批評する立場に立ってモノを言った相手。
綺麗な星月夜(ほしづきよ)をテーマにしているのとは裏腹に、愛憎がよく滲み出ていた。
良作、とは言い難かったけど、初めての出品であれは、素直に凄いと思ったよ。」
煌子:「……そうか。」(少し嬉しそうに)
いろは:「……。」
(いろは、夜空を見上げる。)
煌子:「……。…………。」
(煌子、いろはを見て夜空を見上げる。)
間。
いろは:「星が綺麗ですね。」
煌子:「おい、せっかく砕けた喋り方だったのに直すなよ。」
いろは:「……ふふふ、分かったよ。」
(煌子、再び夜空を見上げる。)
煌子:「だが、そうだね……星が綺麗だ。」
いろは:「きっと良いモノができるよ、ツクバネ。君になら。」
煌子:「ああ、大いに期待していてくれ。いろは。」
煌子:「描いてみせるよ、この星月夜(ほしづきよ)を……!
君との輝かしい日々の始まりを!!」
いろは:星は楽しそうに輝く。君は僕の憧れだ。
煌子:珈琲は暖かく美味しい。君は僕の憧れだ。
いろは:嗚呼──
煌子:君みたいに──
いろは:人に希望を魅せられる様になりたい。
煌子:優しさで人を包み込める様になりたい。
いろは:僕が持っていない煌きを持つ君だけど──
煌子:それでも、似た者同士だったら良いな、なんてわがままな事を思う。
煌子:「いや……そうである様に頑張ろう。彼に追いつく為に。」
いろは:「そうやって、自分を焚き続けよう。彼女に負けないように。」
いろは:これは、似た者同士の──
煌子:鏡合わせの物語。
───────────────────────────────────────
END