めぐみ・6
土曜日。
とうとうその日がやってきた。文字通り、期待と不安が交互に押し寄せる。
メールの着信音。
『いまインターを出ました』
あと5分で彼女が現れる。家の前で待つ。ちょっと多すぎる荷物。あれこれ心配で不要なものまでいっぱい詰め込んでしまった。
車が到着。今日の彼女は黒のジーンズのショートパンツに黒のオーバーニーソックス。ちらりと見える太もも。
またしても、ぼくは彼女の肢体に見とれてしまう。長さのせいで細く見えるけれど、実際は肉感的な彼女の太もも。どこまでも長く長く伸びるオーバーニーソックスに隠された足首とふくらはぎ。ヒールも3センチ位ついたエナメルの36センチの黒いパンプス。両脚のその壮大な長さとボリュームを見せ付けるファッション。上半身も薄手の長袖セーターで
胸の膨らみもしっかりと強調されているのだ。抱きつきたくなる衝動を抑えるので精一杯のぼく。トランクを開けると、彼女も一泊にしては余りに多すぎる荷物。彼女と顔を見合わせ、少し笑う。
「だって、私、大きいから荷物も多くなっちゃうんです」
いつものようにナビの設定をする。今日はいつもと違う方向。
「関越かな?」
めぐみさんは言う。
黙っているぼくに、さらに
「温泉かな?」
と聞くめぐみさん。するどい。でも最初の目的地は上信越道。
「軽井沢だー!」
うれしそうなめぐみさん。
「でもめぐみさんのことだから、もう、行ったことあるんでしょ?」
「ええ、でも教会とか古い建物が好きで、ショッピングセンターもあるから、また来たいなーって思ってたんです」
渋滞もなく順調に到着。快晴の軽井沢。
まずは駅前のショッピングモール。アウトレットと、ショップが立ち並ぶ。駐車場に着き、狭い車内から、体を屈め、
ゆっくりと立ち上がるめぐみさん。
今回のファッションは特に脚の長さが目立つ。壮大に長い黒の厚手のオーバーニーソックス。
ソックスとショートパンツの間に見えるどこまでも白く艶かしい太もも。目立ちたがり屋でないめぐみさんがぼくのためにがんばってくれたに違いない。
いつまでもいつまでも眺めていたい。でも、めぐみさんは日に日にスキンシップの要求が激しくなり、デートの間は、常に手をつなぎっぱなしなのだ。今日も素晴らしい肢体をじっくり眺める間もなく手をつなぐ。
運転中も市街地を出ると長い長い腕がニューッとぼくの前に現れ、
「手、いいですか…」
と一言いって手をつなぐことを要求するのだ。どこまでも細く長い指、広い手のひら、静脈がうっすらと見える甲、そして全体の柔らかくもちっとした肌触り。ぼくはつないだ手を目元に持ち上げ飽きることなく眺めてしまうのだった。
でも、歩くときはめぐみさんの姿を眺めたいのに、すぐに手をつながなくてはならず、少し欲求不満になるのだった。
はるか上空にあるめぐみさんの顔。やっぱり見上げなければよく見えない胸元、そんな死角にいつもつなぎ止められてしまうのだ。身長差がありすぎて、ぼくたちは、歩きながら肩を組んだり、腕を組んだりは絶対に出来ない。
でも、今日は目線の範囲内にめぐみさんの太ももがある。ちょっとうれしい。前後に揺れ動く白く覗く太もも。
ショッピングセンターを離れ、芝生が広がる緑地を歩く。
「あなたと二人で、こうやって一緒にいるなんて、本当に夢のようです」
「わたしこそ、今、普通にデートしてるなんて信じられないです」
幸せな気分に浸っているのはもちろんだったが、内心では、ぼくは、夜のことで頭がいっぱいだった。
期待ももちろん大きいけれど、それよりも不安が気持ちの大きな位置を占めていたのだった。やさしいめぐみさんのことだから、どうなっても、決して愛想をつかしたりはしないだろうけれど、これから永く供にしたいと、心から思う女性とのはじめての夜、経験のないことをこれほど悔やんだことはなかった。
スムースにことを進められるだろうか。
「田中さん、どうしたんですか?」
上空からめぐみさんの声がする。
「あ、いえ、なんでもないです」
こればかりは相談できることではないのだ。
次に訪れたのは、林の中にある、大きな古い教会。高い高い天井もめぐみさんが現れるとなんだか低く感じられる。ステンドグラスも手が届きそうだ。
「雰囲気があっていいですね」
「ええ、恵子と来た時も式を挙げるなら絶対ここでしたいね、なんてはなしてたんですよ、ふふ」
めぐみさんの暖かい視線がぼくに注がれる。夜の心配は、彼女のこの笑顔で、ほとんど消えてしまった。
「今日、軽井沢に田中さんが案内してくれて、ビックリしたんです。なんでここまで
私の気持ちがわかるのかなって…」
軽井沢の名所をいくつかめぐって、いよいよ今日の宿に向かう。超奮発して最高級の温泉宿に予約してあるのだ。
「うわー!ここですか!大きい。温泉広そうですねー!」
車寄せには和装の仲居さんが出迎える。
「すごーい!高くないんですかここ!」
ものすごく喜んでもらえたようだ。
事前に彼女の身長のことを相談して、寝具が用意できる宿をあたって、ようやく何とかなったのがこの旅館だったのだ。
もちろん、相当な料金がかかるが、それはもう、どうでもいいことだった。
彼女と最高の状態で一夜を迎えたい、その気持ちだけなのだ。
「伊香保なんて泊まったことないんです。高級旅館街って聞いてたから…。でも本当にすごいですね!」
和風のロビーは物凄いと言うほかない位に広く、天井も高い。室内に川が流れており、その上に橋がかかっているのだ。旅館の人たちは礼儀正しく、事前に彼女の背丈のことを相談してあったからだろう、スタッフの誰一人として彼女の肢体について必要以上に関心を向けず、スムースにチェックインは済んだ。
椅子やテーブルでは何かと窮屈な思いをしてしまうめぐみさんには、きっと和室のほうがいいと思って温泉宿を片っ端からあたって、この宿にたどり着いたのだ。さすがに事前に下見ができず、不安もあったが、ここにしてよかったと思った。
「食事は2時間後だから、まずは温泉にいこうか」
ぼくが聞くと、彼女は
「あの、田中さんに見てもらいたいものがあるんです。ちょっと準備が必要だから
10分ぐらい待ってて貰っていいですか?」
なんだろう? プレゼントなら渡すだけなのに…などと思う。
めぐみさんに、部屋を追い出され、しばらくみやげ物屋を覗いたり、ロビー脇のソファーで新聞を見たりしていると、
『準備できました。来て下さい』
とメールが届いた。
一体なんだろうと、気構えて部屋に戻る。ドアを開け、靴を脱いでふすまを開けるとめぐみさんは二部屋ある奥の部屋から、
「ちょっと見てほしい服があって…」
と小さい声が聞こえ、ふすまがゆっくり開いた。ふすまの上三分の一にかかる大きなめぐみさんの手。
肩から上は鴨居に隠れて見えない。欄間からめぐみさんの笑顔がちらと見える。奥の部屋に近づくぼく。
めぐみさんは後ずさりして、気をつけの姿勢で立つ。
彼女は会社の制服を着ていた。深いグリーンの制服、袖なしのベストに開襟のブラウスとスカーフ、
そして、膝丈のスカート。
よくある会社の女子社員の制服。でもめぐみさんが身に着ける制服はもちろん、完全オーダーメードの、すべてのパーツが大きく作られたものなのだ。見慣れたタイプの制服のはずなのに、そのためにかえって違和感が大きく感じられてしまうのだ。
「就職決まったんです! 春から勤め始めます。」
新しいスーツを着て、飛び上がりそうに喜ぶめぐみさん。でも実際に飛び上がると天井にぶつかってしまう。
「よかった。おめでとう。」
シックな制服に包まれためぐみさん。ぴったりしたベストにはずらりとボタンが並ぶ。めぐみさんのやや豊かな上半身の曲線、ぴったりとしたベストはそれをあらわにしてしまう。視線に気づいてか、
「ちょっときつすぎるんです。ボタンも普通の人より3つも多いし…
でも…」
「すごく似合ってますよ。かっこいい」
「ホントですか! うれしい、もって来てよかったー。実は、こんなのも持ってきちゃったんです!」
彼女は部屋の横にあるクローゼットから巨大なものを取り出した。それは彼女の背丈に合わせた通勤用のコートだった。明るいグレーの実用的なコート。かといって男性用の地味な生地のものに比べておしゃれだ。
しかし、なによりもその壮大な大きさ、長さがぼくを圧倒した。クローゼットの中で三分の一はすでに床についてしまっているのが見えた。
ゆっくりと袖を通すめぐみさん。制服姿もいいがコート姿もたまらない。壮大に長い肢体と、体に比べると余りにも小さいめぐみさんの顔のアンバランスさが、本当に際立ってしまうのだ。
「高かったんですよー。フルオーダーのコートなんて、誰も作らないでしょう?
お父さんも、泣く泣く就職祝いだからって作ってくれたんです」
くるりと一回転するめぐみさん。コートは豪快にひるがえり、ぼくは包み込まれそうになる。
「それ、ぼく着てもいいかな?」
「え、着たいんですか」
「はい、すごく」
「しょうがないですね…」
当然、子供が大人のコートを着た図、になる。袖も1/3、裾も1/3は通せずに、ダブダブになる。
「うれしいですか?」
「はい」
偽らざる気持ちだ。
「…やっぱり、長身好きの人の気持ちはわかりません」
呆れたような、でも、なんとなくほほえましいような面持ちなので、そんなに嫌ではないのだろう。と思う。
ロビーで待ち合わせて、食事前の温泉に二人で向かった。
続く