第一回オーディア教法会議

第一回オーディア教法会議(古理:Ordia lraddianfhion, 現理:Radierfen fon Ordi'a, ヴェ:Raddiefèhon ats Oédia)とは、紀元前ピリフィアー4456年に皇帝領オーディアで開かれた教法会議である。ここから海を隔てて逃げていったリパラオネ人を追って改宗させようとするエスネレスタニル(理:esnelestanil)の時代が始まった。

概歴

遠因

紀元前ピリフィアー4456年に諸邦の公を招集したこの会議はリパラオネ人を改宗させることが直接的な問題になったわけではなかった。紀元前4465年におけるサーム講和条約を元とするサームカールト体制は諸公国からの朝貢と隷属承認のもと、皇帝領を中心としてラネーメ圏の国際的体制を維持していた。しかしながら、アルザッツァ公国は分裂した公国を統合し、皇帝領に返還することを名目とした公国奉還主義を掲げて近隣国に対して侵略行為を繰り返していた。かといって、領地を奉還するように勧告するアレス皇帝の呼びかけに対しては、数か月も返答を待たせていた。アルザッツァの度重なる侵略行為にラネーメ圏の国際的平和は段々と険悪なものへと移行していったが、ここでアレス皇帝が呼びかけを行い招集したのがオーディア教法会議であった。アルザッツァの侵略行為は東方へ向かっていることから、東方へと領土を広げ勢力を拡大していくことが考えられて。当時の皇帝アレス・フヅミはこれによりアルザッツァが皇帝国家に対して圧力的な態勢を持つことが可能になるということに危機感を持った。また、共和関係を持つテード・ガンモーノに対して朝貢・隷属関係にある関係国が攻撃することはすなわち隷属国家の制御ができていないということであり、ラネーメ圏外にも自己の無力を晒し、圧力をかけられる危険を増やし、またラネーメ圏とメアパトロネスト圏との全面戦争も免れないという状態があった。このため、アレス皇帝はなんらかの策を講じなければならなかった。

会議

アルザッツァの東方支配圏拡大を危惧したアレス皇帝は諸邦の公国の公を集めオーディア教法会議を開いた。リパラオネ教法に基づいて次のような宣言(黒月下の宣言)を形成した。

    1. 海流しの地(レアディオやクワイエ)に対して、異教討伐遠征へ向かうこととする。

    2. 異教討伐遠征は、各国から等分の軍事力を皇帝領に対して提供する。

    3. 「正しい導き手」であるアレス皇帝が討伐地域を直接統治すること。

結果

アルザッツァは隷属国家として、また掲げている公国奉還主義の方向性としてこれに反すことはできず、またトーセテトゥンへの攻撃はこれを害す行為であると見なされ皇帝国家からの批判を受け、完全に敵とされることを恐れ、この決定に従い、近隣国への侵略をやめることとなった。この会議での決定は紀元前4455年から始まる「教法兵」によるリパラオネ侵攻を生んだ(黒月軍)