戦記Ⅰ

・典拠情報

第一章 始まり

第一節 侵攻

[CO-TST1-1-F~1] 我々の神、恵みのアレフィスの元において、私であるペアプレロは証言する。このカーイハエに我々の民族が生きて、栄えて来たという歴史は正に揺ぎ無い事実であろう。我々はこの歴史を子々孫々と伝えていかなくてはならないのであって、私はこの書を遺すことにした。この書を遺すことに賛成し、協力してくれたペアプとエルポエプには多大なる協力をしてもらった。彼らの生命・富・子孫、全てに恵みのアレフィスが触れ、全てが葛のように全て地に広がり、増えていく事を祈っている。

まず、我々の民族の一番古い記録でのことを知っておいた方がいいだろう。この世界において、我々の民族の争いの歴史は古くは13年以前から記録されていたと見られる。我々の民族の先祖が見ていた世界は大きく分けて四つあった。そこにはシクレ人とサタ人とミスレア人と呼ばれる民族が住んでいた。ミスレア人はパプナ人とアプン人に分かれ、パプナ人の先祖はメトゥロ人、グリアメルトゥ人、ユイ人であり、アプン人の先祖はリニャ人とラザー人である。パプナ人の内でもメトゥロ人とグリアメルトゥ人は少々仲悪な関係にあった。サタ人の国は世界の七割を支配して、強靭な軍隊と根強い支配を保っていた。彼らはメトゥロ人とグリアメルトゥ人とユイ人を改新しようとして逆に彼らを団結させパプナ人の連合を作らせた。また、サタ人はリニャ人とラザー人とも対立し、彼らはまたアプン人の連合となった。シクレ人はミスレア人が出現した頃に出現した民族である。彼らは世界を支配していたサタ人と対立し、滅ぼそうと画策していたが、戦争を好まないミスレア人とその行動と思想で対立を起こした。

始まりはミスレア人が何もしなかったところか、シクレ人を後ろから先導していたということで始まった。シクレ人たちは全てを支配し、膨大な富を持つサタ人に嫉妬していたのである。ミスレア人の首長であるミスレア・ピースが次のように言葉を残している。

「シクレ人が戦争を始めた理由というものは非常に不可解なものであり、ミスレア人は皆友である彼らのためにこの戦争に反対していた。」

斯くして、シクレ人はサタ人の領土に侵入して行くために進軍を始めるところから我々の民族の血を血で洗う争いの歴史が始まる。上に陳べたように、我々の民族の祖先はお互いに対立しあい、複雑な対立関係を生んでおりその対立と戦争の罪深い歴史の末に我々の民族の今の平穏があることを忘れてはならない。読者は祖先への尊敬を持って、この書を読みすすめて欲しい。

[CO-TST1-1-2^3] シクレ人はサタ人には容赦しなかった。平民をなぎ倒し、ウェールフープを使って殺した。このとき殺された平民はシクレ兵に従わなかった平民のみで、大人しく従っていれば殺されることも無かった。しかし、その日を皮切りにサタ人はシクレ人に対して、パルチザンとして立ち上がったのでシクレ人の監視の目の届いていなかったサタ人は発見次第殺されることになった。ハタ人はそうやって殺されてゆく人々を見ていくしかなかった。シクレ軍はサタ・ヴェー・トゥウゥスと呼ばれる地域をそのようにして制圧した。サタ・ヴェー・トゥウゥスはサタ人の国のなかで南方に位置する地域で、本国とは遠くに位置しており、そもそもサタ人の兵士による統制があまり強力ではなかった。シクレ人は、そのサタ・ヴェー・トゥウゥスの東方の地域に住んでいたので、サタ・ヴェー・トゥウゥスはそういう意味で最初に非常に手を出しやすかったと思われるとペアプは証言している。当時はシクレ軍は強靭な情報伝達体系を持っていたので、サタ・ヴェー・トゥウゥスが陥落した事はすぐに伝わった。シクレ軍のサタ対立軍の将軍はその知らせを聞いて、部下に小さく笑いを漏らしたということは広くこの筋の歴史識者に知られているが、実際にそうであったかどうかということは分っていない。

[CO-TST1-1-4^5] 上部の項目でも挙げたとおり、シクレ軍の情報網は非常に洗練されたものであった。シクレ人国家の一部はミスレア人の国家と隣接していたので、ミスレア人を通してサタ人国家への要求を成す事が可能であった。このような遠回りの通信過程を経ているのはシクレ人の通信役を送っても、サタ人国家では殺されるだけであったからである。ミスレア人国家は、公としてシクレ人国家の戦争を支援する事はないという立場であったが、サタ人国家がシクレ人国家と戦争を始めた頃からミスレア人国家は経済的混乱をきたしていたとペアプとエルポエプは証言している。シクレ人はここに注目して、ミスレア人を買収してシクレ軍の要求を巧みに送った。シクレ軍のサタ対立軍の将軍であるナルス・テトラ・ミーはサタ・ヴェー・トゥウゥスの陥落を聞いた直後にこれらのルートを有用に利用してサタ人国家に要求を突きつけたのである。ここまで読者に気をつけて欲しいのはシクレ軍のサタ対立軍とシクレ軍部は違う系統に属すると云うことである。サタ対立軍はサタ人国家に対立しているシクレ軍部とは別の指揮系統で独立した武力組織であって、正統なシクレ軍部とは全くの関係がないということは真に注意が必要なことである。つまるにシクレ人国家のサタ人国家への戦争開始は非常に彼らシクレ人の精神的な理由を中核としているということである。現代からみると戦争のやり方としては利益的ではないといえるだろう。

[CO-TST1-1-6^7] サタ・ヴェー・トゥウゥスが陥落してシクレ軍からミスレア人を通してシクレ人の要求を得たののは結構後であった。最初に要求を聞いたのはサタ軍部の情報を司る人間であるミルガ・ストリーであった。ミルガはサタ・ヴェー・トゥウゥスの陥落の報告を生き残ったサタ人兵士が何とか本土まで生き延びて到着したところの話を聞いていた。古典文書とペアプによるところによると生き延びたサタ人のなかでサタ人国家の本土に戻ってきたのは、全体の1割にも満たないとされており、そもそも移動手段が貧弱だったこともあり、最初に抜け出した時の一割がシクレ人に見つかって殺され、次に移動中の事故――急いで逃げるところで戦車の車輪が吹き飛び車体が粉砕されて地面に体が叩きつけられたり、川や海を渡るところで溺死したりした――で二割が死に、十分な食事が取れなかったことで飢えたり、疫病に罹ったことで三割が死に、サタ人の国家に入るところでシクレ人の襲撃と誤認して殺されたのが二割で最後まで残ったのは最初に出てきたサタ人兵士の集団の二割に過ぎなかった。これらのサタ人兵士は敵前逃亡としてサタ人の諮問機関に有罪を言い渡されたが、ミルガはこれに対して、「敵前において恐れをなし、勝てるところで逃亡する事は有罪と認められうるであろうが、但しこれらはそうではなく、シクレ人の圧倒的な攻撃の前に敗れてちりじりになった下層の兵士たちは実に何をすればいいのか分らなかった状況であるはずなのにそれを罰するとは非常に理解しがたいことだ。」と発言した事をエルポエプが証言している。ミルガの発言と兵士が抜け出した状況から生き延びてきた二割の兵士たちは特別に恩赦を受けて、罰を受ける事は無かった。こういうわけで、ミルガ・ストリーと諮問機関はサタ人国家でそれが知れまわる前にいち早くサタ・ヴェー・トゥウゥスの陥落を知っていたが、その上でミスレア人を通してシクレ人の要求を得たのはサタ人国家の中でも彼のみであった。サタ人国家の中ではシクレ人がミスレア人を通じて情報を渡しているという現実は公には情報の信用性の観点から否定されていたが、ミルガなどの一部の官邸関係の人間はこれらのミスレア・ルートを各人で別のものを持っていた。通常はこれらのルートを持っていると見なされた人物は情報漏洩、つまるところスパイの罪で死刑とされたが、ミルガはその情報を司る人間であったため自分の罪を棚上げしていた。なんといってもこれらミスレア・ルートは口述の信用性の低い情報しか送られてこなかった。しかしながら、ここでミルガが得た情報はシクレ軍のサタ対立軍の将軍であるナルスによる直筆の資料であった。緊急性を鑑みたミルガはここでこの資料を諮問機関へ送ることとした。

第二節 審議

[CO-TST1-1-8^2-2] ミルガ自身は諮問機関に咎められなかった。彼はサタ人国家の内部では数少ない情報を司る官位についていたので、処刑したり、牢獄へ入れてしまえば、この情勢でもっとも大切な戦争遂行に関して進まなくなってしまう可能性があったからであった。ミルガによる諮問官の召集はすぐさま行なわれた。幾らかの諮問官には別部署から出張してきた人間も居た。以下はエルポエプの証言による当時の諮問機関における会議に出席したと思わしき人間である。サタ・オウンという地区の管理官であるバリル・スターリ、サタ・トゥウゥスという地区の管理官であるデスト・リマーン、サタ軍の地方軍のうち飛行軍局の技師であるスト・フ・ラ・ントス、ヴェーと呼ばれる地域――サタ・ヴェー・トゥウゥスを含む――の自治を司る部署のうち、サタ・ヴェー・トゥウゥスの担当であるタ・ロメオス、そして、サタ人国家と軍隊を掌握する首長であるサタ・ナスイであった。そうして集まった諮問官の面前でミルガはナルスの直筆の要求の手紙を読み上げることとした。内容としてはエルポエプの証言によると以下の通りである。まず、制圧したサタ・ヴェー・トゥウゥス地域は人質としてサタ・オウンとサタ・トゥウゥスの二つの地域の開放を要求したことである。

[CO-TST1-2-2^5] 諮問機関はそれだけで一同が騒然となった。サタ・オウンを解放するのはダメだとか、混乱からナルスを詰っている者や暴言を吐いているものが多かったとされる。それほどの混乱を諮問機関に与えたのはサタ人国家がそれまでに長年こういった発展の流れの中で自分たちが侵攻されることは無いと言った事が長年信じられてきたからであった。ナルスの要求には条件があって、先ほど制圧したサタ・ヴェー・トゥウゥス地域は人質とすると言っていたようにこの要求が出された三日以内に要求に応じなかったり、サタ軍部が近づいた場合にはサタ・ヴェー・トゥウゥスにヴェルガナの滅びの果実をもたらすと書いてあったのである。議会はそれを聞いて更に混乱を起こした。ヴェルガナの滅びの果実はもたらされた地の地形を変えて、その光を受けた人間を消し去り、または近くに居た人間も数日以内にドルムに汚染されて死に至るアレフィスへの祈りであった。この神罰を受けた地は跡形もなく破壊され、また近づいた者でさえ殺される。蓄積される人類のドルム性を顕現させる神の怒りであるヴェルガナの滅びの果実は、ヴェルガナがその時代人間と対話して戦争を進めていたという歴史に沿っている。この神罰を受けるという事は、どこの誰でも恐れていたが、同時に彼ら民族間の抗争において大きな抑止力になっていた。

[CO-TST1-2-6^3-1] ここでナルスの直筆は終わっており、諮問機関は騒然とした。ミルガに対して多くの高官がこの文書の通りにする事を拒否した。例えば、サタ・オウンという地区の管理官であるバリル・スターリはサタ・オウンやサタ・トゥウゥスにおいては隠された火矢が存在するために解放する事は死んでも出来ないとした。サタ・トゥウゥスという地区の管理官であるデスト・リマーンもこれらに賛同した。バリルやデストが言っている隠されている軍部の火矢とはただの火の付いた矢ではない。アレフィス様への祈りによって、ヴェルガナが主となって降り注がせる鉄の矢である。この矢は地面に付いた瞬間に大きな火の柱を作り、神の怒りを降り注がせることができた。このようなことがあるのは、ヴェルガナがこの時代には争う人間の両方に立っていたからである。そうやってアレフィス様の怒りが地上に一度に落ちないようにヴェルガナが正に我等が唯一神の窓口として調節しながら人間にこれを利用させていた。しかし、アレフィス様が言っている通り、全ての人間は天の元に平等に扱われなければならなかったのでヴェルガナは決して争う片方のほうに付く事は無かった。地上で争いがあればすべての者にヴェルガナは望む力を与えた。

第三節 会議

[CO-TST1-3-2^8] これに対してサタ軍の地方軍のうち飛行軍局の技師であるスト・フ・ラ・ントスはサタ・ヴェー・トゥウゥスに対して五百のメーを落とす事を提案した。メーとは、これもまたヴェルガナによる神の怒りの火矢であった。メーは、最初はサタ人同士の争いに使われたが、最終的にはシクレ人もミスレア人もこのメーを持って争いに挑むようになった。この時代は零点五のメーから一千のメーが使われており、それぞれ力の違いが在った。というのもこのメーという存在はすなわち神の怒りを具現化させたものであるので、それを一気に地上に零しては人類が破滅してしまうというところからそれぞれメーは細分化されて地上の人間に授けられた。そのようにして地上の人間が正義を作れるように下された神の怒りの具現は、人間によって争いに使われるようになっていた。サタ・ヴェー・トゥウゥスに対してこの五百のメーを下すことに反対があったわけではない。サタ・ヴェー・トゥウゥスの管理者であるタ・ロメオスは、自らの地域の人質、つまるところ残ったサタ人をどうするのかという問題を突きつけたが、ストは、ヴェー地域の管理は国政を圧迫しているものであり、手持ちから切り離すのにいいときであるのと、戦には犠牲、捨てるものが付き物であると言う事を理由に反駁した。

[CO-TST1-3-9^10] 議会でこのように混乱が起こっている間、サタ人国家の首相であるサタ・ナスイは、次のようにいったことがペアプの証言で分かっている。「すぐに祈りを捧げよ。ヴェルガナの月は近いから、法にしたがって各地から鳥、牛、豚のつがいをすぐに集めて犠牲を捧げよ。それは次のように書かれているからである。『アレフィスのみが、汝らの主なり。主を信じた賜え』、『アレフィスはデシャワーデンに人間、犬、鳥、牛、豚の番いを地上に作った』、『あなた方は次のように礼拝しなさいと言われている。偽りの信心や他人に見せるための礼拝をしてはならない』、『万物の命がアレフィスの地にあるように祈るべし』、『教堂では週一日祈りを捧げなければならない』。議会は大体が首長の圧倒的な勢力下にあったため、その選択に背くことは国の決定に背くことになり、それはつまり重大な反逆罪として扱われたのである。そういうわけで、議会の全体はこの決定を大いに受け入れることとした。サタ・ナスイはその時、「神の人間に対する怒りを理不尽な攻撃に受けよ。ヴェルガナは完全にわれらの味方であろう」と言ったということは古典文学よりよくしられている。

第四節 報復

[CO-TST1-4-1^2] 実におもしろいことにサタ・ナスイが祈りと犠牲を捧げることを命じてからすぐにサタ軍の中にあるフィアンシャにおいては幾千人による祈りが断食とともに始まった。それは教典詩に『彼は何日も祈る事をやめなかった。誰かが食事を持ってきても、それに少しも触ることすらしなかった。集中して祈る事を続けた。祈りが二十日たった時、その願いが叶ったのだ。』と書いてあったからであった。今も昔も断食しながら祈りを捧げることは非常に重要なことであった。この祈りを先導して指導したサタ人はサタ軍における強き信仰と正義を持ち合わせたニト・メルシアンであった。彼はこのようなヴェルガナを利用した戦争を始める際には、サタ・ナスイの命令を受けた直後に、専門計画者という肩書きを得ていた。その名の通り、敵を倒すために礼拝を計画し、多くの信仰者達とともに正式な礼拝を行うものであった。ニトにはそのための知識があり、またそれでもって経験があった。ヴェルガナの力を利用した戦争を幾度となく経験してきたサタ人国家にとってはこのニトという存在が不可欠であった。鳥、牛、豚のつがいが礼拝所に連れてこられるとニトはすぐにその六匹を正式な礼拝の方法に従って屠り、アレフィスの前に捧げた。

[CO-TST1-4-3^4] ニトが数日間の祈りののち、ヴェルガナがニトの目の前に降りた。ヴェルガナはニトにしか現れなかったので、ほかのサタ人の礼拝者がニトの話を書き取っていた。「我は全地全天を統べる汝等の主であるアレフィスの窓口である神族ヴェルガナである。汝等の願いは天において認められた。それはすぐに成就するであろう。」ヴェルガナはニトから去るとニトはヴェルガナがついたために非常な疲労を感じて倒れてしまったとされる。ニトが倒れた瞬間にサタの街には酷い突風が起こり、人のいない荒れ野に巨大な火の玉が轟音と共に現れた。火の玉からは禍々しい色をした四本の火の矢が地平線へ向かって弧を描いて飛んでいった。五百のメーが地上から放たれたとき、その国民達は非常な恐怖に襲われた。荒れ野に火の玉が現れたとき、その熱が酷くて疲れ始めたから、そのまま熱病で死んでしまうのではないかだったり、火の玉が街を飲み込んですべてを破壊するのではないかだったりである。だが、アレフィスは市民に入られて言ったことが預言者によって知られている。次の通りである。「我は全地全天を統べる汝等の主である。汝等を我らが滅ぼすときは汝等が我らを正しく信仰しないときである。ドルムを増やし、我の機嫌を損ねるものである。」

[CO-TST1-4-5^8] その頃、サタ・ヴェー・トゥウゥスでは五百のメーが近づいていることが、分かっていた。シクレ対立軍のナルスは、部下から五百のメーが近づいていることを知り、直ぐに対立するメーを発射するようにヴェルガナへの祈りを命令した。ナルス自身はこういうことがあるかもしれないと考えて事前にサタ・ヴェー・トゥウゥスを襲撃する部隊の中に聖職者を入れていた。この時期の戦争はそうやってどのように神の力を得るかというところにあったからである。発射されたメーは対立するメーを発射することによって相対的に地に降りかかる前に消滅させることができた。ヴェルガナは人間に神への忠誠を確かめるためにメーが降り注ぐ少し前に教えた。アレフィスは誠に慈悲深いがそのためにヴェルガナは人間に死を教えることでアレフィスに立ち戻ることを戦いの中で教えようとしていた。そんな中、シクレ対立軍はそうやってヴェルガナを利用して、メーを撃ち落とすことに専念していた。そして、兵士たちは軍部の隊長であったキター・ジャヨー・コ・スケールを先頭として、サタ人国家に対してこの報復をするために軍備を整えていた。キターは「五百のメーなどこちらの信仰心に負けるものだ。憎きサタ人国家を皆殺しにしてくれる。」と発言していたと古典文章は証言している。

第二章 五百のメー

第一節 報復への報復

[CO-TST1-6-1^2] 祈りの結果がどうなったかというと成功したといえば、成功したといえるし、失敗したといえば失敗したといえる。というのも、ヴェルガナがシクレ人に平等に力を与えようとこのサタ人によるメーの発射を聖職者に伝えにいくところで、その月の月神族であるフィレナがヴェルガナを止めていたからであった。シクレ人はサタ人に対して恨みのみで不誠実な争いを行ったためにこの月は十月で彼女の統治下だというのに、話し合いもせず殺し合いを始めたからフィレナの恨みを買っていた。それもそうとヴェルガナは争いが自分の領域の事柄であり、アレフィスの窓口として平等に扱わなければ自分の存在が消えてしまうということをフィレナに告げるとフィレナは嫌々ながら退いていったのであった。それでヴェルガナは時間を食ってしまったために祈りを確認して対立するメーを射ったときにはすでに幾許かのメーがサタ・ヴェー・トゥウゥスに落ちてきてしまっていたのである。メーを見たシクレ人兵士は、もじ神族に撃ち落とせるのであれば信仰心の強い自分たちでさえどうにかできるのではないかと思って、弓兵たちは弓を、歩兵たちは弩をメーに向けて投じたが、メーは神の怒りの炎であったのでそれら弓はメーには届いたものの触れた瞬間火花を出して破砕した。そうしていくつかのヴェルガナに落とされなかったメーは地上に至り多くのシクレ人兵士とサタ人を殺した。メーが地上に至ったときの爆発は50ディアンに渡り、周りのシクレ人兵士やサタ人をその爆風で吹き飛ばし、25ディアン上空まで吹き飛ばしたという記録が古典文章にある。

[CO-TST1-6-3^4] そういうわけでシクレの侵攻軍列は少なくとも数千の損害を受けたとされている。しかしながら、それに巻き込まれたサタ人の死者はそれを超えており、このシクレ人とサタ人の戦争においては死者の大半を占めているとされている。ナルスはこの攻撃では死ぬことはなかったが、自軍の損害状況に甚だ怒り狂っていたとされる。ナルスは直ぐにシクレ人の本国に使者を送り、復讐をするように要求した。それを受け取ったのがテージュンを司る軍人であったジ・マールであった。ジは自軍を率いるナルスの無様さを次のように詠っている。「全くもって意味の無いことだ。全くもって理性の無いところだ。この国も目の前の地上もそして、彼が今壊したものだ、すべて」。ただし、ジ・マールは自分とナルスの上下関係から復讐を忌むことはできず嫌々と、テージュンを動かすことを考え始めたのである。テージュンはシクレ人国家の中でももっとも巨大な祈りの攻撃であった。その礼拝方式は対立軍の中でもテージュンを扱う識者しか知らず、内外でも秘密とされていた。というわけで、今私たちがテージュンを呼び出そうとしても出来ないということについてはよく分かるはずである。サタ人がそのテージュンを呼び出す礼拝方法を既に記録も何もかも焼き払ってしまったからである。

[CO-TST1-6-5^6] テージュンは識者であったジ・マールによって極秘に礼拝方法に従って行われた。シクレの礼拝所に集められた信仰深い者は五千から一万と言われており、数もよく分かっていないがとにかく多くの人間がそこに集まった。古典文章は礼拝所では一日にヴェンレンベスを数千回行ったためにシクレ人国家の国民は昼夜、仕事にも手が入れられなくなり、眠ることすらままならなかったと証言している。また、ペアプはシクレ人国家の中からはテージュンを呼び出そうとした時には全国の犠牲となる獣は、あらゆる物が品薄になってしまったとしている。そういう礼拝のなかで、ジ・マールの上にヴェルガナが現れて、地の人間を平等に扱うために汝等の祈りを受け取ったとのことをいってテージュンを現すことを契約して、ジ・マールを去った。ジ・マールはヴェルガナが去ると礼拝の疲れより一週間と7日は寝てしまっていたとされている。皆はジが死んでしまって、ヴェルガナへの祈りは失敗してしまったと勘違いしていたが、礼拝中の者たちにヴェルガナは現れて、次のようにいったとされている。「争い事で我を呼ぶ者は、我が降りるときに疲れを負う。何故なら、我は神国の性質の者であるから、汝方は地の国の性質の者であるからである。」そういうわけで、ジが倒れたあとテージュンはサタに向けて射たれた。地上の爆風と爆音はすべてのものを吹き飛ばし、地上には放射状に火のかたまりが現れた。

第二節 血の地

[CO-TST1-6-6^7-1] シクレ人の復讐はそれだけでは終わらなかった。サタ人国家に先んじて通告した通り、シクレ人兵士によるサタ人に対する虐殺や迫害が始まった。まず、ナルスはサタ・ヴェー・トゥウゥスのサタ人に対してシクレ人国家による統治を始めることを宣告した。サタ人はシクレ人国家の元で暮らすためにはサタ人税を払うように命令し、ヴェルガナの月からはそれが実行されることを宣言した。また、サタ人は統治宣言とともに行われる観閲式には必ず出席するようにと命令した。大量のサタ人の平民たちが観閲式に出席し、軍列がその間を通っていった。軍列がサタ人を確認すると、ナルスの号令から観閲式は一瞬にして虐殺の場と化した。観閲式と銘打っておいてサタ人を皆殺しにしようとする魂胆であった。こうして、サタ・ヴェー・トゥウゥスでは大量の無実のサタ人が死んでいった。その一万ディアンもの広大な地はサタ人の地で赤くなったラッダンティ・ガフダン、つまり「赤い領地」という名でしられるようになった。一方、テージュンはサタ人国家の一番端に当たるサタ・ゴイという場所に落ちた。巨大な火の玉は地上の建物や神殿をすべて吹き飛ばし、信心のある者無い者構わず皆吹き飛ばし、落ちた中心には熱くなって地が膨れて盛り上がり、大きな火の玉がさらに大きくなってすべてを破壊していた。膨れた火の玉は破裂して、天高くその溶岩が吹き上がり落ちてきた石によってまたサタ・ゴイの住人は打たれて死んだ。こうして、サタ・ゴイにいたサタ人もほぼ殺されてしまって、この地域の建物は一つも残っていなかった。

[CO-TST1-7-2^8] サタ人国家の首長であるサタ・ナスイはそれを許すはずもなかった。そして、サタ・ヴェー・トゥウゥスから逃げてきた少数のサタ人から街の状況について話を聴き、シクレ人がどれだけ極悪非道なことをやっていたのかを知った。サタ・ナスイは激怒し、自分の民族の犠牲者のために泣いた。サタはゲテペと呼ばれるサタ人の支族を呼び出すことにした。ゲテペはサタ人国家の内陸部の産地に住んでおり、非常に武芸に長けていたことから非常時になると首長から直接戦闘の命令が降るほど信頼された支族であった。そのうちのゴイと呼ばれる村からサタは人間を選出してシクレ人国家のジージュと呼ばれる地に向かわせた。殺されたサタ人の復讐をシクレ人にするためであった。ゴイのゲテペ人はシクレのジージュまで船で付くと近くにいた農家の家に入り込んで主人とその妻を殺して、馬を奪って、家に火を放った。そういう手順で海沿いの家を襲って行き、ゴイのゲテペ人の部隊は大体が馬や戦車を装備することに成功した。この中で、逃げてきた海沿いの人間は一人もいなかったが、海岸線は放火された家によって一直線に光っていたといわれる。そうやって装備を揃えたゲテペ人部隊は早速その晩にジージュまで進軍し、殺戮と陵辱と略奪という悪の限りを尽くした。シクレ軍の兵士は反乱と勘違いして自分の国の人間を見境無く殺し、そのままゲテペ人部隊の奇襲によって殆どが殺された。このようにしてジージュもサタ・ヴェー・トゥウゥスのように地上は地で染まった。

第三節 ジージュ

[CO-TST1-7-1^8-8] シクレ人のジージュに向かった正規軍は悲惨な状態を目の当たりにしていた。サタ人のいきなりの襲撃によってそこら中が血にまみれていたからであった。そして精錬されたシクレ人の軍もサタ人の戦闘の精鋭であるゲテペ人に対しては敗戦一方であった。街は破壊され続け、ジージュに向かった部隊は逃げることもままならず殆どの兵士は爆弾を持って自決した。兵士の殆どは最期まで自らの民族の国の首長であるミーキに忠誠を誓って自爆してゲテペ人に対して攻撃を行った。これに対してはゲテペ人も止める術を知らずに数百人の損害を出したとされている。ただ、ゲテペ人の部隊にとってこの損害は予想の範囲内の損害であったために直ぐに態勢を持ち直して対するシクレの正規軍から贈られた部隊を壊滅させた。しかしながら、こんなところで空から数個のメーがジージュにもたらされた。メーは地上に着くと小規模な爆発を起こして人を吹き飛ばした。ゲテペ人でもシクレ人でも構わず落とされたメーは両者に壊滅的な損害を与え、ジージュにいる人間と建造物は執拗にまでメーで破壊され尽くされた。見るも無残になった地上には死体と壊れた建造物しか存在しなかった。古典文書によるとここで死亡した人数はサタ・ゴイの四倍であったとされている。

[CO-TST1-8-9] ジージュにメーを落としたのはミスレア人国家であった。首長であるミスレア・ピースはシクレがサタに対して侵略を始めてからはサタ人がまた戦争を始めたのだと思っていたからである。しかしながら、ミスレアの部下たちはシクレ人がミスレア・ルートを通してサタを侵略していることを知っていたのでとりあえずミスレア人の地に近いジージュの街を攻撃したサタ人もシクレ人も一掃してしまえと思ったのである。ミスレア・ルートはミスレア人の高官にとっては国内の情報管理の問題としては、非常に微妙なところであったが、ミスレア・ピースはそういった行動を嫌っていた。清廉潔白で遵法精神が強く、信心深いのが彼の者の特徴ではあったものの様々な民族の連合であったミスレア人国家において、またその微妙な機微を鑑みて施政を行なう立場としては少しばかり戦略力の足らない人物であると思われており、部下はその聖人性を認めてはいたもののその戦略性の無さを鑑みて自ら高官の会議を複数回行い、ミスレア・ピースのもとに国民が統一的に平和を保っている限りには彼女を騙してても国の運営を続けていくことがミスレア・ピースという人物が首長として出来るだけ長く居られる方法であると考えてた。

第三章 対立と告知

第一節 ミスレア人

[CO-TST1-10-1^6] シクレ人国家の中枢部としては首長がジージュに居たとされている。ジージュは海岸線にあり、海洋国家として拡大していたシクレとしては命令の中枢として好都合であった。拠点には首長であるミーキが居た。部下たちはサタ人ごと巻き込んでメーを降らして攻撃したのはミスレア人ではなくサタ人自身であると思っていたので、これからも直接的で壊滅的な攻撃が続くと思っていた。部下たちはそのことをミーキに伝えて、元々占領済みでサタ人の手が届かなくなったサタ・ヴェー・トゥウゥスに移動することを考えていた。シージュがほぼ壊滅した処からミーキはサタ・ヴェー・トゥウゥスへ移動した。一方サタのサタ・ナスイは攻撃されたのがミスレア人の仕業であるのが分かっていた。ただ、シクレ人側に対してはこれを悟られないように自国の縄張り領域を広げていった。シクレ人国家と同じように次の攻撃が来るかと思ったので広げた縄張りの辺境部の警備を強めた。

[CO-TST1-10-7^10] ミスレアのミスレア・ピースはサタやミーキの考えていた通り、さらなる攻撃を考えていた。ミスレア人はジェムセという地域に集まった。聖職者が集まって、会議を始めていた。ミスレア・ピースは既にサタ人が悪者であると思い込んでおり、ミスレア人という民族集団自体がサタ人によって虐げられた民族であるというところからサタ人に復讐する好機を狙っていた。それまでにミスレア人にとって自分を高貴で清廉潔白な人間であることを思うように自身の表面を見せかけることを心がけてきた。ここまでミスレア人は自国を強靭にして、教養ある国家にするように育ってきた。ただし、ミスレア・ピース自身はその生涯をサタ人を滅ぼすことに費やしてきた。彼女はそういうところでここから自分はこの目的の最終段階を行なう時宜に相応であろうと思ってた。というわけで、ミスレア・ピースはミスレア人をジェムセに集めた。ジェムセで犠牲を捧げて、パプファというヴェルガナの力を得ることで人間が空を飛びながらサタ人国家の縄張りに侵入して、侵攻しようとしたのであった。羊などの犠牲を捧げ、公開礼拝を始めたために他のミスレア人も集まって総勢が化なり大きくなったと古典文書とペアプが証言している。礼拝と断食の声はミスレア中に広がり、間もなくしてヴェルガナが礼拝を司る長に降りて、契約を行ない。ミスレア人の兵士に力を与えたのであった。

第二節 アウジャーギュ

[CO-TST1-11-1^13-4] ミスレア人の攻撃を予測していたサタ人の兵士はすぐにミスレア人兵士が攻めてきたことにたいして、格好の獲物として空へメーを放つようにラ・ストスが命令していた。数十の飛空兵に対して幾万ものメーが放たれたのでミスレア人兵たちはここでは殆どが討たれて、芳しい戦果を挙げられなかった。その中のクッというミスレア兵は所属していた隊の隊長が討たれて落下してゆくのもその目に焼き付けていた。彼にとって隊長や同僚の兵士は家族のようなものであったので、彼はとても悲しんでいた。幾つもの同僚が戦果も挙げられず墜ちていくのを彼はメーを回避しながらただ見ることしかできなかった。ついに一人となり、方翼を撃たれたクッは大量にそのヴェルガナに貰った力を使って地上にメーを放って地面に墜ちていった。メーに撃たれて火の玉となった彼の同僚と彼のはなったメーは地上に建てられたサタ人達の礼拝所を幾つか破壊していった為に地上では数多くのサタ人が死んだ。サタ人兵士はラ・ストスにそれを報告すると、すべてのミスレア人を殺したということも報告した。地上で死んだのはミスレア人よりサタ人の方が多かったということは古典文書によることだが、これについては確かだと思われているが、サタ人国家の集合的に考えるとそれほどのダメージでは無かっだろうと考えられる。

[CO-TST1-13-5^14-9] 一方方翼を撃たれて堕ちたクッは生きていた。あの高さから落ちて生きているものは居ないと言われているが、クッだけは生きていた。なぜなら彼は類まれなる信仰を持ちながら生きていたから、慈悲深い偉大なるアレフィスは彼を生かしてやったのである。アレフィスは何と慈悲深くこの世界に出来ないことはない偉大なる神であろうか。クッはサタ人のアウジャーギュ・スピーレの家に匿われていた。彼女は空から落ちてきてそれでも息があるクッをアレフィスの加護がある人間であろうと考えていた。スピーレはその弟であるカーイにクッが起きたら伝えることを言われていたのでクッが起きるとカーイは姉を呼んだ。スピーレは倒れていたところを助けたと説明し、クッは自分が敵国の兵士であるのに助けたというそのスピーレの心に感動した。スピーレ自身はサタ人国家が戦闘狂であると考えていてサタ人国家を好まなかった。スピーレとクッはすっかり息が合って、お互いにサタを嫌っていることを確認してここでサタ人国家の政治から脱却するために暴動を起こそうと画策した。スピーレはその時から豹変し、性格は最初の静寂なものから過激になっていったと古典文書には書かれている。

第四章 思考と反乱

第一節 アウジャーギュの反乱