義の詩篇

義の詩篇(理: Acirlon fua plergal)は独立国家戦争時代前期の1620年から、ユーゲ人の叙事詩(正義ある処 / Bwa H'ansum Ro'raaos)が元となってデュイン・シェルケン政権で変質した古典リパライン語による叙事詩が口承されていくうちにユナ・リパライン語化したものである。

本編

1. 「正義ある処」 リパライン語翻訳版

1. 1 ler 64te leiju

2. 古詩篇

3. 中期詩篇

4. 現代詩篇

成立まで

「正義ある処」の成立とデュイン・シェルケン政権の拉致

義の詩篇の成立までにはそれから600年以上遡ることになる。カラムディアのシャスティであったレイトル=クントイタクテイが成立させたユーゲ人の民族叙事詩「正義ある処」に由来している。この作品ではレイトルは歴史学者や作家としてトイター歴530年(ピリフィアー歴967年)に起こったマフ=スカルムレイ暗殺事件以降のアッタクテイ派とクントイタクテイ派などによる初期トイター教の宗教対立の戦いを詩っている。

一方、ファイクレオネのXelkenは卓越したウェールフープ学的進歩によって他のウェルフィセルを理解しており、古典リパライン語話者を増加させるためにファイクレオネ外に活路を求めるようになっていた。ピリフィアー歴807年にXelken.valtoalはデュインに侵入することによってデュイン・シェルケン政権を成立させる。反乱も受けながらもシェルケン政権は着実にデュインに根城を作り上げ、それから800年程経った1620年からはユーゲ平野からユーゲ人の拉致をハフリスンターリブと協力して行うようになっていった。

「古詩篇」の成立

ユーゲ人はフォルシンソ計画に従って教育後に様々な都市に送られたが、ユーゲ人の拉致だけが増加していくうちに一つのフィオンにおいて複数人のユーゲ人が集まるようになった。フィオンにおいてはシェルケンによるリパラオネ教信仰の強制が行われていたが、ユーゲ人たちは秘密裏に自らの信仰を保とうと地下組織的にトイター教の宗教活動を行った。その中では教理概念の教育も重要ではあったが、それと同等かそれ以上にトイター教の歴史としてのユーゲ平野の歴史が重要視され、拉致される際に「正義ある処」の文書を持ち込んでいた一部のユーゲ人はこれを伝えることとなった。

Xelkenによるトイター教地下活動の禁止はすぐに始まり、トイター教徒たちはこれに対抗する必要に駆られることになった。長い間に渡るシェルケン政権下での古理語化、書かれる上ではシェルケンに感づかれないためにリパラオネ教やシェルケン的でそれを識者が伝える際にだけ読み替えて使っていたという内容の暗号的変質によって文章の上で義の詩篇の最初の形態としての「古詩篇」(理: Penul acirlon)が生まれた。

「中期詩篇」の成立

リパラオネ教的に暗号化された古詩篇を読み替えて、トイター教徒の歴史を伝えていた識者が死に絶え、文書だけが残るとユーゲ人のトイター教徒の減少も伴って内容に疑問を抱く者が増えるようになった。写本が写されていくうちに、写本の製作者がリパラオネ教的な価値観にそぐわない部分を勝手に改訂するようになり、更に内容が変質した。こうして出来た中期詩篇(理: paltauxiaven acirlon)は支配者であったシェルケンにさえ良質なリパラオネ教叙事詩であると受け取られるようになり、デュイン全体に広がることになった。

「現代詩篇」の成立

Xelkenがハタ王国の存在を伝えた結果に生まれた伝説の専制国家としてのスカメイ伝説は基本的に民衆には創作として受けいられた。Xelken自体は、古理語を称揚する主義主張と共にウェールフープ研究(有名なウェールフープ研究者であるシェルケン・スカーナもXelken.valtoalの出身である)や文学・芸術運動をそのコミュニティで推進していたために、そういった延長上にあるものであると誤解された。しかし、伝説は流行し、これをモチーフにした冒険文学が流行することになる。このような状況下で中期詩篇は受け入れられることになるが16~17世紀の間あまり日の目を受けることはなかった。しかし、現代化に向かって突き進む政治情勢に反して18世紀に入ると内容のユナ・リパライン語化と共に流行するようになっていくことになった。戯曲化や小説のモチーフとしても積極的に利用され、当時の伝統的文学運動を受け継いだ文学的潮流に乗って大衆化を果たした。こうして成立したユナ・リパライン語による叙事詩がユエスレオネ人が一般に見る「義の詩篇」であり、またこれを「現代詩篇」(理: Novilen acirlon)とも呼ぶ。

主な版の一覧

  1. 古詩篇

    1. 古詩篇スタンダート版(2003)……デュイン戦争後にデュイン・シェルケン政権の事務所で発見したもの、恐らく地下活動中のユーゲ人から取り上げられたものであるとされており、加速器質量分析法による14C年代測定では1610年代~1712年頃に相当する結果が出ている。

  2. 中期詩篇

    1. 中期詩篇スタンダード版(2011)……デュイン・アレス独立戦争の終戦後に倒壊した建物の下で見つかった。内容の変化からして中期詩篇として扱われている。

  1. 現代詩篇

      1. デーノ版(1782)……書かれた年代は不明、ラネーメ共和国で発生したラメスト同時多発テロの後に倒壊した建造物の下で見つかった。

    1. キャスカ批判版(1899)……王朝歴史学者・燐帝字母研究者であるキャスカ・ファルザー・ユミリアによるデーノ版の批判校訂版で、現代詩篇の最も一般的なバージョンである。本編ではこれを扱う。

特徴