レタジャハル(レタジャハル集団迫害)とは、ケートニアーへの集団迫害のことをいう。またそれによって起こったハタ王国の紛争についても説明する。
ゼースニャル・ウ・デゥ・ミトの考案から数年たったハタ王国では政治的変容により右翼派閥の過激な動きが市民間でありこれがユエスレオネでは抑えきれていたもののハタ王国では右翼派閥の過激出版を統制し切れておらず市民の極右思想化が強くなっていった。
ここから、数ヶ月経ったphil.1470.5.2にハタ人がユエスレオネ連邦へXelkenの厳罰化を求めるデモを開始する、これを特別警察テロ対策部が強制排除に出た。(「レタジャハルの始まり」と称される事件)
これを見て報復としてユエスレオネ国内のアンデルフィアンにてハタ系過激派が暴動を起こす。これに便乗したデュイン極右勢力も参戦し暴動の被害はアンデルフィアンにとどまらず社会票地域に侵入、定住しているハタ系、デュイン系の支持を得てそれらの民族のケートニアーがユエスレオネ人ケートニアーを連続して殺害する事故を起こした。
デュイン、ハタ王国でもユエスレオネ系の店が襲撃、ケートニアーの殺害などが発生した。
その中でユエスレオネではユエスレオネ主義最右翼グループが共産党から分離、悠里青色戦線(Jurli Stoxiet FontElm/JSFE)を結成する。青色戦線はハタ王国での差別的な襲撃を行っているのを止めるためにハタ王国へ入国し戦線を結成した。青色戦線はハ タ王国内での襲撃事件に出動し襲撃者を排除、最悪の場合殺害した。これらの惨事にも拘らず、デュインにもデュイン青色戦線ができ同じようなことを繰り返し ていた。
連邦の介入よりハタ王国に社会主義の考えが広まり、スカルムレイ崇拝などがあまり行われなくなり王国のトイター教政治が弱化した。これに反対し た過激派はスステ政治とトイター教中心政治の再興を目指して王国を変えようとするアインスステ派に変容し、王国でテロや特殊攻撃を繰り返すことになる。アインスステ派はウェールフープをこれらの攻撃に流用し、ペーセ国から国家の半数の人間がアインスステ派に移動して攻撃に協力、ハタ王国ではペーセ人とユーゲ人の対立の構図が色濃くなった。
一方スカルムレイ家ではカリアホ=スカルムレイが死去、パーナル=スカルムレイが即位するが早いうちにこの世を去ってしまう。その娘ペーセ=スカルムレイが後を継ぎ、レタジャハル事件は一応の終結を得る。しかし、アインスステ派はこれを好機にペーセ人勢力と公式に協力関係を結び、ペーセ・アインスステ連合軍(PAE)を組織し王国政府への攻撃を開始する。ユエスレオネ政府は即座にペーセ国と会談。ハタ王国におけるこれらの攻撃に対してサニス条約が適応されることを宣言。王国もそれを承認することによって連邦・王国・ペーセ連合軍(FNPE)を形成。PAEの大都市スケニウへの攻撃がなされ、首都ネステルへの進撃を認めたFNPE艦隊がマズブーメホ海峡を横断最中のPAEを発見し、海戦に持ち込まれ、最終的にPAEは大敗を喫した。