Phil.2003、ユエスレオネ革命において会長であるLexerl J. ivaafisが革命に巻き込まれることによって急死、会長の弟であるLexerl J. iurleafisが公認を担うようになった。iurleafisは急進的なリパラオネ主義者であり、この年にCUFLは内部の組織改革によって、リパナス主義が綱領に取り上げられ反する活動家を排除した。このCUFLのリパナス主義化のために活動が過激化、ラネーメ主義への対決姿勢、対外排除姿勢を強め、インターナショナルスクールでの誹謗中傷活動や生徒への傷害事件や脅迫を繰り返し、ユエスレオネ連邦から極右組織と認定された。
Phil.2003.7.6、フェーユ・ハタ国際高等学校WP学科
において広報活動と称して生徒の下校中にCUFLが誹謗中傷をしていたが、それに対抗するために集結した数名の生徒が同盟員をWPで殺害、近くにある事務所を襲撃組織員を全員殺害する事件が発生する。これによりCUFLは活動が活発化、ハタ系への排外活動が活発化、デュインにまでついで進出したがユエスレオネ連邦の決定によってCUFLの健全化、再教育が強制的に実施され、本部をデュインに移動させ国外追放とした。この後にDAPEがおきることになるが、DAPEにおいてCUFLはシェルタスャートゥンデに集結していた。この後のシェルタスャートゥンデ空襲の影響で構成員がほとんど死亡してしまい生き残ったCUFL構成員はユエスレオネに戻りリパナス党に入党したためCUFLはリパナス党に飲み込まれ消滅した。
Phil.2002にLexerl J. ivaafisによって設立された組織であり、当初は移民に存在するとされる不公正な優遇に対する訂正を求めてデモを行った。当初あったユエスレオネのハタ王国に対する大幅関税緩和などを激烈に批判し、これを撤回させたなど一定の成果を上げることが出来た。ivaafisは、リパラオネ主義者であったが、ユエスレオネの経済を破壊するというこれらの政策を批判し、この組織をそのためのみに動かした。
民族保守運動(cesnertust fon lani'ar)とは、ユエスレオネに存在した市民団体である。通称はCUFL。ユエスレオネに存在するとされる移民問題に対して警告を成し排除するように呼びかけることを綱領として設立された。