中国武術、中国拳法の用語の解説

投稿日: 2018/01/08 7:10:06

中国武術、中国拳法で用いられる用語の解説をまとめてみました。当道場、八極八卦練技拳社で練習している八極拳bajiquan(李書文系、李氏八極拳)、太極拳taijiquan(陳式太極拳、楊式太極拳)、八卦掌baguaszhang(宮宝田系)、形意拳xingyiquan(河北派)、蟷螂拳tanglangquan(秘門蟷螂拳、八歩蟷螂拳、七星蟷螂拳、六合蟷螂拳)、劈掛掌Piguazhang(劈掛拳)、兵器術(槍、剣、刀、暗器)などの技術や武術に関係が深い用語を優先的に掲載しています。参考にして下さい。また、下記の解説は、当道場で練習している武術の考え方が反映されています。その為、一般的な解釈と異なる場合があります。

「武術」

武術(wushu)は中国の伝統体育運動、戦闘術を示す言葉です。武術は「踼(蹴る)」「打(打つ)」「摔(投げ技)」「拿(掴む)」「撃(打つ)」「劈(切る)」「刺(刺す)」等の動作などを含んだ、一定の運動に照らして徒手や、器械(武器、兵器)の動作を組み立てて行う形態のことを言います。武術運動は、心身の鍛練、体質増強、自己防衛などが目的といえます。武術は長い発展の歴史を持ちますが、時代とともに違う呼び方もされてきました。春秋時代は「武芸」。戦国時代には「技撃」。漢代は「技巧」。明代は「技芸・技勇」。明国時代は「国術・国技」とも呼ばれていました。

「国術」

中国武術の別称。1927年3月に中央国術館が成立して国術と言う名前が正式に使われるようになったようです。

「技撃」

現在では実戦武術の事を指す言葉のようです。また「武術」の別称でもあります。技撃の言葉が最初に出てくるのは春秋戦国時代です。

「功夫」

武術のことを指す言葉。中国以外の国では、武術を称して「功夫」と呼びます。または、.学問などの技術に深く達していること。武術の技術レベルの到達の程度を表す場合もあります。また、.武術に費やされる時間、時間と精力などにも使われる言葉。

「南拳北腿」

南方に伝わる武術は、拳を多く使い、北方の武術は腿法を多く使うというような意味。

「拳法」

武術の総称、攻防格闘技術の「拳勢」「招法」の通称、一般的な徒手武芸を指し、主に、武術の中の素手の技術を示す言葉。

「拳術」

中国武術中の徒手技術(素手の技術)の総称。各門派(.長拳、太極拳、南拳、形意拳、八卦掌、通背(臂)拳、劈掛掌、八極拳、翻子拳、戳脚、蟷螂拳、象形拳等)などの各拳類、拳種、流派に属する套路、招式、散手、推手、対練、などを言う。

「散手、散打」

現代中国武術の対抗試合や自由に打ち合う練習法で、一定の規則の下で行われる格闘競技。散手(散打)競技によって訓練水準を向上させ、同時に勇気、決断力、機知、敏捷性、意志力などを育てる目的で練習します。古代に擂台で行われていた試合が、現代の散手(散打)競技の発端になっていると考えられます。基本的な散手(散打)では摔、打、踢、拿、等の技術を用います。現代の競技の様相としては、キックボクシングに投げ技、関節技などを加えた形式が近いのではないかと思います。1952年に「天津市民族形式運動会」で散手(散打)が競技種目になり体重別三階級でおこなわれてから現在につづいているようです。

「対練、対打」

武術の練習形式のひとつ。俗称で「対打」と呼ばれます。二人(或いは二人以上)で、あらかじめ決めてある武術の攻防動作にあわせて、攻撃、または、防御で構成した套路(型)を仮想の実践としておこなう。対練には徒手対徒手、器械対器械、徒手対器械などがあります。

「武術分類」

武術の内容に合わせての分類方法。主要の分類には「地区による分類」と「技術による分類」があります。一般的に採用されているものは、後者で明代には長拳、短打という分類がありました。近代では長兵、短兵、徒手。現代では拳術、器械、対練などがあります別の分類では套路、散打。功法という分類も有る。

「内家拳」

武術の分類法の一つで、中国国内に広く広まっている。内家とは外家に対して称される。内家の別名は「南宗」「武当派」とも呼ばれる。源自黄宗義作【王征南墓志銘】の中で「墓誌銘・いわゆる内家は、宋代の初め頃、張三峰が起こした」とあります。現代では、主に、太極拳、八卦掌、形意拳の三派を指す言葉として使われる事が多い。

「短打」

古くは拳術の一つの名前である。明代の程宗猷著【耕余剰枝・問答篇】によると、長拳の創始は温家の類に有り、短打は綿張任家の類に習うとされています。短打に対して長拳の名前があります。また、拳種の名前としても使います。その中には「綿張短打」「任家短打」「六路短打」などがあります。門派(流派)によっては、打撃部位を、短い距離から打ち出すことを指す場合もあります。

「南派」

一般的に長江流域の南側の各地に伝わっている拳種、門派(流派)を南派と呼びます。

「北派」

一般的に長江流域の北側の各地に伝わっている拳種、門派(流派)を北派と呼ぶ。

「少林拳」

武術の門派(流派)の一つ。名前は河南地方嵩山少林寺に由来し、古来の健康法の上に、各種の武術技法を広く取り入れた武術。数ある武術の中でも、もっとも影響のある武術の一つでもあります。その源流は、達磨が作った十八羅漢手が、後世の少林拳の始まりだと言われています。明代、倭寇に対抗するため、名将兪大猷は、戦いの中で得た実践的な棍術を少林寺に伝えた。そうして、少林武術は諸流派の長所を取り入れ短所を補い、相互に促進し代々研鑽を繰りかえし次第に発展していった、その結果、少林武術は拳法、兵器など多種の内容へと体系が完成し、少林拳は、套路(型)は巧みで完成度の高い武術の流派になっていったと言われています。少林武術の内容は小洪拳、大洪拳、羅漢拳、楼洪拳、炮拳、長拳、梅花拳、朝日拳、通背四路、七星拳、関楽拳、龍拳、虎拳、豹拳、蛇拳、鶴拳、六合拳、閃戦移身把、心意把、虎撲把、遊龍飛歩、丹鳳朝日、十字乱把、老君抱葫芦、金糸纏法、迎門鉄扇子、抜歩炮等百余種などがあると言われています。また、気功では、少林易筋経、小武功、混元一気功、陰陽気功などがあります。兵器(器械)では、刀、槍、剣、棍、長短軟鞭など十八般兵器、その中でも棍術がもっとも有名です。また、少林拳は俗称として外家拳と呼ばれる事もあるようです。

「少林功夫」

少林寺に伝わる各種類の武術を指す言葉。内、外、硬、軽、気の五種類に分かれる。内功には洗髄経、易筋経などがあります。硬功は「鉄布衫」「紅砂手」「一指禅」「上缶功」「石柱功」「排打功」等があり、主に身体各部の打撃に対する抵抗力を強くする。軽功は跑墙(堀の上を走る)及び遊墙(堀の上をブラブラする)などがある、主に軽業と跳躍などの隔たりを超える能力を練習する。気功は養気と練気があり、養気功には主に座禅などの静功が有り、調息に寄り精神力、精力を養う。

「南拳」

武術流派の一つ。あるいは、主に中国南方の地方に伝わる武術。現在では、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシア、など東南アジアの国に伝わり広まり、多くの愛好者がいます。南拳の内容は広まっている地域、門派などによりそれぞれ異なります。下記は、代表的な南拳の門派(流派)です。洪家拳、蔡家拳、李家拳、莫家拳、蔡李佛拳、詠春拳、練歩拳、練手拳、刁家教、鶴拳、後祖拳、太祖拳、羅漢拳、硬門拳、黒虎拳、金剛拳、岳家拳、峨眉拳、白眉拳兵器術(器械)は、大杆、四門刀、梅花刀、合仔刀(双合刀)、双刀、三尖叉、単锏、双锏、柳公拐、斧、矛、盾、钯などもあります。秤棒対板凳」などがある。

「門派」

拳種と拳派の合わせた名称で、日本の武術で言う、流派の事。一般には拳理(門派独特の理論)、套路、器械、勁力の特徴など合わせ持ちます。いくつかの近い拳術を練習する者は同じ名称の門派を名乗る事があります。「少林派」「武当派」「南派」「北派」等。しかし、同じ名前の武術であるからと言って、同じ技術、戦闘理論とは限らない。

「外功」

武術や、気功の用語。主に、人体の外部の機能(骨格、筋肉、筋腱、皮膚など)を鍛練する事。

「機械」

古く兵器を広く指す言葉。兵器術全般をさす場合もあります。

「本門」

伝統の用語。自己の門派の武術の事。

「同門」

伝統の用語。同じ門派、あるいは、同じ老師(先生)に武術を学んだ者。

「訣」

簡単な言葉で言うならば、コツ・妙法・秘伝などが近い言葉かもしれません。武術には、「拳訣」「字訣」「口訣」「要訣」「歌訣」があります。字訣は、漢字一字で技術の内容を表したもの。口訣は通俗的で、比喩が多いもの。要訣は練り上げられた簡単な言葉で深い意味が含まれています。歌訣は韻を踏んだ表現があります。

「要訣」

大切な意味を含んだ重要な言葉。簡単な言葉で深い意味が含まれている事が多くあります。

「拳歌」

歌に拳芸の言葉を反映させたもの。発、重厚で、覚えやすい、「拳訣」と合わせて伝わっている。

「拳訣」

拳理を暗記しやすいように書き記した物。各拳種にそれぞれ拳訣があります。

「拳譜」

拳勢の名称と用法を記録したもの。

「口訣要術」

武術の神髄、要点を表した、簡潔な言葉。

「拳理」

武術、拳術の理論。

「技法」

技撃方法、各種の武術技術を指す言葉。

「打法」

一般的に攻撃と防御方法の名称を「打法」と称する。あるいは、武術の打撃技法の打ち方や、威力の出し方などをさす場合もある。

「靠」

身体に張り付けて打つ打法。解かりやす言葉で表すと、体当たり。肩、背、胯、臀で後ろまたは側面に向けてぶつかる技。八極拳、心意六合拳などで多用します。

「拿法」

擒拿とも呼ばれます。逆関節の原理と経絡学説で拿はその一つ。

「陰陽」

古代陰陽の観念は【周易】を源とします。陰陽という言葉を用いて、自然界の対立する両者のお互いの消長する物質、勢力を表します。

「両儀」

周易には、天地または陰陽を指します。是を武術の理論に応用し、太極拳や八卦掌でよく使われる言葉です。

「三才」

周易によれば、三才とは「天、地、人」の事と記述されています。これを転じて武術家は人体の「頭、手、足」とし、「上盤、中盤、下盤」の事をさします。

「四象」

周易の言葉。両義より生まれると言われています。四象とは、震木、離火、兑金、坎水を、それぞれ主とする。武術家はそれを引用し、武術の理論に応用させています。主に、八卦掌にて多用される言葉。

「五行」

五行とは水、火、木、金、土の五種類の物質を指す。武術家はそれを引用し、武術の理論に応用させています。主に、形意拳、八卦掌、太極拳、八極拳などで使われる言葉。

「八卦」

【周易】八卦には「陽爻」と「陰爻」の符号があり、この二つの符号を組み合わせて八種類の基本図形を作ります。「乾」「坤」「震」「巽」「坎」「離」「艮」「兌」です。古代の武術家が拳理の解釈によく用いました。主に八卦掌や太極拳で使われています。王宗岳の太極拳経・太極拳解の十三勢の内の八法の「棚、将、擠、按、採、例、肘、靠」は、この八卦に対応しています。

「太極図」

現在よく使われるものは、二匹の魚型の半円形を組み合わせた円形で、中は陰陽を表している図。これ以外にも、いくつか種類があります。

「剛柔」

伝統武術では「剛柔」を対立と統一の矛盾したものとして用います。「剛中寓柔、柔中寓剛」「剛柔相済」を重んじます。

「剛柔相済」

剛勁と柔勁を交互に用いることを称して「剛柔相済」と呼びます。

「虚実」

技に用いる力や意念の多少、開合など相互対立と統一の双方の意を持ちます。

「動静」

運動と静止の事。色々な意味で使われます。

「四正」

東、西、南、北の四つの方向。あるいは自身の前、後、左、右の四方向。太極拳の用語では棚、将、擠、按を四正手と呼びます。

「四隅」

東南、東北、西北、西南の四つの方向。あるいは自身の左前、左后、右前、右后の四方向。太極拳の用語では採、挒、肘、靠を四隅手と呼びます。

「八門五歩」

主に楊式太極拳や、その系統の言葉。太極拳の八門の勁と五種の歩法。八門の勁とは、棚、将、擠、按、採、挒、肘、靠。五種類の歩法とは前進、後退、右顧、左眄、中定を指す。

「八門」

人体の打撃に用いられる部位。頭、肩、肘、手、尾、胯、膝、脚。あるいは「八拳」「八体」とも呼びます。形意拳、八極拳などでよく使われる言葉。

「三盤」

武術において人体を上、中、下の三盤に分ける言葉。上盤は胸より上部、中盤は腰と股の間、下盤は両足を指す。

「拗歩」

順歩に対する反対語。手足が反対に前方に出た状態。右手と左足が前に、あるいは左手と右足が前に有る歩型を拗歩と呼びます。

「順歩」

拗歩に対する反対語。同じ方の手足が前方に出た状態。右手と右足が前に、あるいは左手と左足が前に有る歩型を拗歩と呼びます。

「套路」

武術の主要な形式。古くは「套子」あるいは「套」と呼ばれていました。空手などで言う、型の事。

「招法」

招法は、古くは「着法」または「行着」「行著」とも呼ばれていました。広義ではすべての打法はみな招法で、数多くの方法があります。

 

「活架子」

八卦掌の特徴的な拳架の練習。この練習は、中級クラスの鍛錬方法。

「変架子」

八卦掌の運動規律を掌握し、変化を行う拳の練習を指す。この練習方は高級な段階の練習法。

「定架子」

八卦掌の動作規格練習のきまった練習を指す。最初は八卦掌時の練習法。

「大架」

姿勢の伸びやかさや、運動の幅度が大きい武術を指す言葉。あるいは、応用変化や、用法などを練習する套路などにも使う場合がある。

「小架」

姿勢の制御が小さく、運動の幅度が小さい武術の事を指す言葉。あるいは、武術の基本練習を行う套路などで、使う場合もある。八極小架など。

「絶招」

極めて高い技術を持つ招法。あるいは技。絶対破ることの出来ない招法をさす場合もあります。解りやすい言葉で表せば、必殺技などがイメージしやすいかもしれません。

「収勢」

武術套路の最後の姿勢。流派により収勢は異なります。収式とも言う。

「起勢」

武術套路の開始の姿勢。流派により起始はそれぞれ違います。起式ともいいます。

「出勢」

武術套路の起勢時の姿勢。本来は、極めて深い意味をもつ。

「功力」

或る専門の能力、または専門の技能の到達程度を指す言葉。または、技の威力の程度を指す場合もあります。

八極拳」bajiquan

八極拳は、古名を把子拳とも呼ばれ、18世紀に清代の中国河北省滄州の回族の居住地であった孟村で発達した中国伝統の武術の一つです。河北省滄州の回族の居住地である、孟村の呉鐘(ごしょう)がこの武術を授かったとされています。後に、漢族の住む羅疃へも伝わりました。李書文や、馬英図などが有名です。また、近年、南京中央国術館が、正課としたことにより、中国全土に普及し、軍隊にも採用されました。

李書文

八極拳の名人で、槍術の名手でもありました。神槍の異名を持ちます。李書文は比武(決闘)を好み、激しい気性の人物だったとも言われています。この、神槍・李書文の活躍によって、八極拳は、有名になりました。彼は、黄四海、張景星、金殿臣より八極拳を、黄林彪より劈掛掌を学びました。

徐紀

徐紀は、中国上海生まれの武術家です。その後台湾に移住し、神槍とも呼ばれた、八極拳の名人として知られる、李書文の弟子であった、劉雲樵の高弟の一人となりました。また陳式太極拳の名人と呼ばれる杜毓沢から古伝の太極拳も受け継ぎました。それ以外に、形意拳・八卦掌・蟷螂拳・劈掛掌・迷縱拳・査拳なども学びました。後に、「台湾武壇国術推広中心」の総教練も勤めました。1978年からはアメリカに移り住み、止戈武塾を開設しました。現在は台湾台北市にて、武術の指導をしています。

松田隆智

松田 隆智は、愛知県岡崎市出身の中国武術研究家です。台湾武壇(武壇国術推広中心)の蘇昱彰の正式弟子(拝師)になり、後に、中国本土で通備門の馬賢達に拝師しました。自伝でもある、『謎の拳法を求めて』などの著作が有名です。中国武術漫画『拳児』の原作もつとめ、大ヒットしました。また、合気や発勁などの古来秘伝であった技を、わかりやすく伝えました。かれが学んだ武術は、以下の通りだと言われています。剛柔流空手、極真会館の大山道場、示現流剣術、新陰流剣術、大東流合気柔術、八光流柔術、浅山一伝流坂井派、陳家太極拳、蟷螂拳、八極拳など。また、メディアにも多く露出し、「ひらけ!ポンキッキ」で「カンフーレディー」という曲の映像に出演をしました。当時、陳家太極拳、忽雷架、螳螂拳の套路・力劈拳、崩歩拳などを映像公開しました。武田鉄矢が主演した映画「刑事物語」シリーズにおいても、演技指導を行いました。漫画では、『男組』や、前述した、『拳児』を原作しました。

長春八極拳

長春八極拳は、滄洲(そうしゅう)の羅堂出身で、八極拳の名人である、神槍・李書文(しんそうりしょぶん)の開門弟子の霍殿閣(かくでんかく)が伝えた八極拳です。清朝最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)の護衛兼武術教師を務めた霍殿閣(かくでんかく)が、中国東北の長春(当時の新京)に伝えた事で、長春八極拳と呼ばれるようになりました。長春八極拳には、派手な動作は少ないですが、切れ味鋭く強力な発勁(はっけい)で瞬間的に技を決める短打(接近戦)が特徴の拳法です。

霍殿閣

霍殿閣(1886-1942)。河北省南皮県小集出身。神槍「李書文」の開門弟子であり、李書文直系の弟子として八極拳を学びました。溥儀の護衛として、甥の霍慶雲とともに、天津で雇われました。霍殿閣を溥儀に推薦したのは、李書文と親交のあった李景林提督と許蘭州将軍だったといわれています。甥の霍慶雲とともに、清朝最後の皇帝、溥儀の護衛官兼教師をつとめ、 溥儀とともに新京(長春)に移り八極拳を広めました。溥儀自身も霍殿閣の李書文系八極拳をたしなんだと言われています。後に、自分の部下が、日本兵といさかいを起こし免職がもとで憤死しました。彼の八極拳は、現在の長春にて、譚吉堂を長老として多くの人間に広まっています。

猛虎硬爬山

八極拳の技の一つ。八極拳の名人、神槍・李書文の得意技であったと言われています。八極拳の套路、六大開拳、あるいは、八大招式の一つに数えられます。

貼山靠

貼山靠は、鉄山靠とも呼ばれ、八極拳の技法の一つです。基本的には、肩部や背面部を、相手にぶつける、体当たりの形態をとります。また、六大開拳と呼ばれる、開法原理や制敵法を内包している套路(型)として学ぶ場合もあります。

八極小架

八極拳の套路の一つ。小八極拳(小八極)とも呼ばれ、八極拳の基礎を作る套路。

大八極拳

八極拳の套路の一つ。単に八極拳とも呼ばれます。一般的には、八極拳の攻防技術を練習する套路といわれます。八極対接と呼ばれる、二人で演じる対打も練習します。

六大開拳

八極拳の套路の一つ。主に、八極拳の開法原理を練習する套路です。門派によって、形態が大きく異なります。

八大招式

八極拳の套路の一つ。八極拳の絶招を練習します。

「七星螳螂拳」

螳螂拳の一種。別名では「羅漢螳螂」とも呼ばれます。山東登州で作られた。「七星歩」はこの拳の基本的な攻防の形です。

八卦掌」baguaszhang

武術の門派のひとつ。別名は「八卦拳」「遊身八卦掌」「連還八卦掌」とも言います。清代中葉河北文安県朱家坞人「董海川」が作ったといわれる。19世紀半ば北京、天津一帯に広く流行し、八卦掌の構成は多彩な掌法を取り入れています。

董海川

董海川は、八卦掌の創始者と言われています。幼い頃から武術に長じていたと言われ、羅漢拳を中心に、練習していたとも言われています。後に、黄冠という道士に出会って、武術(走圏、身法、歩法)と内丹術を学び、八卦掌を創始したと言われています。彼は、清朝の粛親王府で、武術教官を勤めました。弟子には、尹福、程廷華、劉鳳春、李存義、張占魁などが有名です。

「九宮八卦掌」

八卦拳の套路、技術の一つ。八卦掌の走圏の他に、古代の五行の説による独特な九宮図を合わせ持つ。九宮八卦掌を練習するとき、まず木の柱を九本、九宮図に従い並べて立てる。練習者は中央に立ち、九本の柱の中を縦、横に行き来しする、歩法は八卦掌の走圏をくり返す。

「大成拳」

意拳とも呼ばれ、1940年代、王芗斋が新しく創作した武術。王芗斋が北京において、形意拳、太極拳、八卦掌、少林拳の立禅などを取り入れ「大成拳」を作ったと言われています。

「六合拳」

満州属の佟忠義とその娘佟佩云に受け継がれた武術。1928年以降佟忠義は上海に住み六合拳を指導しました。

「六合螳螂拳」

螳螂拳種の一つ。別名「馬猴螳螂」とも呼ばれる。動作の勁法は柔らかく「軟螳螂」とも称される。六合螳螂の拳理に有る内三合と、外三合の要領を取り入れる、勁力は剛、柔、明、暗、滑の五勁に分かれる。

「心意六合拳」

形意拳の一種とも言われます。形意拳は三百年以上前から伝えられています。各地域でそれぞれ特徴が有り、各地で違う名前で呼ばれています。河北、山西一帯では「形意拳」、河南、陕西、四川などの地区では「心意六合拳」と呼ばれる事が多いようです。また、形意拳の源流という説もあります。

太極拳」taijiquan

武術拳種の一つ。太極拳の起源は多くの説が有り一つではありません。一つの説は唐代に、武当山の道志張三豊が作ったとされます。しかし、現在では、太極拳は明代末から清代初めの河南温県陳家講の陳王廷(陳式太極拳老架式の創始者)が作ったと言う説が有力だと考えられています。太極拳は、発展の過程で、陳式、楊式、呉式、武式、孫式の五代流派が徐々に形作られていきました。各派それぞれ特色と風格が違いますが、基礎となる技術構成規範は大同小異ともいえます。中華人民共和国建国以来、国家体育委員会が、体質増強に有効な手段として、広範な大衆、特に中老年の比較的体質の弱い人たちにもできるとして、押し進めました。

少林拳

武術の拳種。始まりは嵩山少林寺でその名前が付きました。代々伝わる少林拳は中国禅宗の創始者、菩提達磨が造ったと言う説があります。南北朝と隋唐の時代に、大勢の少林寺の僧が古代の健身術の基礎を研究し、その上に色々な武術の長所を広範囲に吸収し、総括し特色のある拳術を生み出したと言われています。少林拳は長期の研練の結果、次第に発展し、拳法、器械などの体系が完整して、巧みな武術流派になりました。少林拳には多くの套路が存在し、単練には、少林五拳、大小洪拳、羅漢拳、老洪拳、炮拳、長拳、梅花拳、朝陽拳、通背拳、長護心意門、七星拳、関東拳、青、龍出海拳、護身流星拳などがあります。対練には六合拳が有ります。器械には十八般兵器があり、その中で棍術が一番有名です。また、明代末、清代初め、福建、広東の南少林寺に武術を伝え、少林拳は南派と北派に分かれる。河南嵩山少林寺の一派を北派、福建、広東少林寺一派を南派とする。北派は剛に重きを置き、南派は柔に重きを置くとも言われます。南派少林拳の主要な門派には、洪家拳、劉家拳、蔡家拳、莫家拳、咏春拳、白鶴拳、南派螳螂拳、佛家拳、潭家三展拳などがあります。

長拳

伝統武術の門派の一つ。伝わるところでは宋の太祖趙匡胤が伝えたとされます。それ故に別名「太祖拳」とも呼ばれます。伸びやかで、動作が活発、スピードと力があり、リズムがハッキリしている武術です。定式姿勢が多いのが特徴です。中華人棍共和国成立後、査拳、花拳、炮拳、紅拳などから、基本動作を選び出し、それを規格化して編集し、新に現代長拳を作り出しました。現代長拳の動作は伸びやかで、関節の動作の活動範囲が大きく、青少年が練習するのにふさわしいと言われています。

尹派八卦掌

八卦掌の種類の一つ。八卦掌の創始者、董海川の弟子の尹福が伝えたためこの名前が付きました。尹式八卦掌とも呼ばれる。

尹福

尹福は、八卦掌の名人の一人です。八卦掌第二代嫡伝弟子です。弾腿や羅漢拳にも長じており、後に、董海川から学び、八卦掌の真伝を学び終えました。宮中に迎えられ、総管太監や光緒帝にも武術を教えました。

宮宝田

宮宝田は、八卦掌第三代嫡伝弟子です。尹福から、八卦掌を学び始めました。師である、尹福の後を継いで宮廷の護院に入り、高官(四品帯刀護衛)となりました。清朝が倒れた後、張作霖の部隊の武術教練や、彼のシークレットサービスとして仕えさせました。

「龍形八卦掌」

八卦掌の種類の一つ。著名な武術家である黄柏年が作りました。黄は李存の学校で幼年期より形意拳、八卦掌を学び、四門龍形掌の全てを学びました。また、独自に工夫うして「龍形八卦掌」を作りました。

「劉派八卦掌」

八卦掌の一つ。董海川の弟子劉風春が伝えたため、このように呼ばれる。劉派八卦掌は八卦大掌の代表です。

「地趟拳」

武術の拳種の一つ。別名「地功拳」とも呼ばれています。この拳術は「酔拳」「八仙拳」に少し似た所があり、特徴的な動作には、上体で地面を転げ回り、両足を空中で回して挟みこみ、上は敵の頭や胸、中は敵の腰、下は敵の足を打つなどの技法を使うと言われます。

「孫式太極拳」

太極拳五大流派(陳式・楊式・呉式・孫式・武式)の一つ。孫禄堂が創始しました。孫禄堂は、形意拳、八卦掌、太極拳を合わせて孫式太極拳を造ったと言われています。

楊式太極拳

太極拳五大流派(陳式・楊式・呉式・孫式・武式)の一つ。河北永年県の楊露禅が創始しました。後に、孫の楊澄甫が編纂し現在の楊式大架子太極拳ができました。楊澄甫が、南京、上海、杭州、広州、武漢などの地で指導を行い、大都市で楊式太極拳が広まりました。

楊班侯

楊班侯は、中国武術である太極拳の楊式太極拳の第二世です。中国河北省永年県広府鎮の出身で、子供には兆鵬がいます。長兄楊鳳侯の子楊兆林にも太極拳を指導しました。幼少より、学問より武術を好み、父親である、楊式太極拳の創始者である楊露禅より、太極拳を学びました。楊 班侯は、父親の楊露禅が一を教えると、三を理解したと言われています。そして若くして楊露禅の家伝を受け継ぎました。父に随い北京に出向き、17歳以後より「雄県劉」「万斤力」などの名だたる武術家を打ち破ったと言われています。楊 班侯の活躍により、楊式太極拳の不敗の評判は、清朝廷より中国全土に広がりました。彼の、代表弟子として、白忠信がいます。北京の弟子としては、凌山、呉全佑などです。全佑は満族人で楊式小架太極拳を学びました。全佑の子の呉鑑泉は、後に姓を呉に改め、呉式太極拳を創出しました。

楊澄甫

楊澄甫は、楊氏三世です。中国武術である太極拳の楊式太極拳中興の祖と呼ばれています。北京出身で、祖籍は河北省永年県です。本名は楊兆清と言います。字は澄甫。子に楊振銘(守中)、楊振基、楊振鐸、楊振国がいます。親戚の趙斌、傅鍾文にも武術を教えました。父親である、楊健侯に幼い頃より武術を教わり、後年には祖父の「小架子」、父が改良した「中架子」に、さらに健康への要求を考慮した「大架子(楊露禅の108式に対し、一般に85式と呼ばれる)」を完成させました。また、「十三要點」も残しました。父健侯と共に北京で指導し、健侯の死後は、武漢、南京で武術を教えました。1912年頃に許禹生からの要請もあり、北平体育研究社で指導しました。1928年には張之江から強く要請され、南京中央国術館の武当門長に就任し、その後も、杭州、上海、広州などで指導しました。各地へ出向いて楊式太極拳の発展に尽力し、現在の世界規模での普及の基礎を作ったと言えます。現在の制定拳の簡化24式、48式、88式太極拳は、楊澄甫の楊式太極拳を基礎に陳式、呉式、孫式などの太極拳の特長を付加して、中国体育教育のために、整理創作されたものです。楊澄甫の著書には「太極拳体用全書」(1934年)があります。

陳式太極拳

太極拳五大流派(陳式・楊式・呉式・孫式・武式)の一つ。陳式太極拳は三つに分類されます。老架(陳氏老架太極拳)、新架(陳氏新架太極拳)趙堡架(忽雷架)などです。

陳式老架太極拳

太極拳の一種。明代に河南温県にて陳王廷が創始しました。現在に伝わる物は一路(十三勢)、二路(炮捶)です。架式が広く、低く沈め、運行は螺旋纏绕、剛柔相済、勁力綿綿、剛快発勁、震脚などの動作があります。

陳式新架太極拳

太極拳の一種。陳有本が創始したといわれています。

「武式太極拳」

太極拳五大流派(陳式・楊式・呉式・孫式・武式)の一つ。清末時代、武禹襄が陳式老架太極拳と陳式新架太極拳をもとにして作られたと言われています。

鄭曼青

鄭曼青は、楊式太極拳の名人、楊澄甫の弟子です。台湾では、五絶老人とも呼ばれ、詩、画、書、医、武に優れていました。簡易37式太極拳を創始しました。後に、ニューヨークに移住し、太極拳を教授していたことから主に欧米人の間で普及されました。彼の太極拳を、鄭子太極拳とも呼びます。

羅漢拳

福建南拳の拳種とも言われています。福州、連江、長東一帯に広まっています。主な套路は、六十八羅漢、一百霊八羅漢などがあります。羅漢拳は、基礎の功夫ともいわれます。指手を正し、身を正し、馬歩(騎馬式)を正します。これを良く練習すると能力を高めることが出来ると言われています。

金剛拳

少林拳の一つ。言い伝えによると少林寺の八弟子達が作ったとされ、合わせて八大金剛の数になると言われています。そのため、金剛拳と呼ばれます。八極拳にも影響を与え、八極拳の套路の、金剛八式の元となったと言われる武術です。

「刀」

現在に伝わる代表的な刀は、柳葉刀と呼ばれ、刀刃が柳の葉の様に細く反りった形状です。長さは、全長は80~100cm。 手で持つ部分の柄ぶは、下に向けてやや湾曲しています。また、日本倭刀を元にして変化した刃の長く、刀柄が短く、両手で持つ刀などもあります。現代に伝わる刀の種類、套路は数多くあります。一般的によく見られる刀は、大刀、柳葉刀、苗刀、朴刀、八卦刀、太極刀、胡蝶刀、南刀、環刀などがあります。中国の「刀法」を紹介した専門書には、明代・程冲斗【耕余剰技・単刀法選】、明代・戚継光【辛酉刀法】等があります。

苗刀

日本で出来た刀のことを言います。別名で倭刀とも呼ばれます。刀身は長く幅が狭い形状となっています。

「槍」

武術兵器(器械)の一つ。長兵器類に属します。矛が発展して、槍が出来たと言われていあます。杆の長短により、短槍、大槍、花槍などの種類があり、六合大槍が日本では有名です。

「大槍」

槍の一種。長さは一尺二寸(約 4m )より長い。大槍の動作は比較的簡単ですが、攻撃力が強く実用に長けています。八極拳などで主に練習します。

「剣」

武術兵器(器械)の一種。平らで真っ直ぐ、細くて長い。両側に刃が付いている短兵器です。一般には、20~40cm程度の長さのものが多いようです。

「拳」

手型の一つ。「拳頭」「捶」「捶頭」とも呼ばれます。

拳児

拳児は、小学館の週刊少年サンデーにて連載されたマンガです。原作・原案などは、武術研究家である、松田隆智。作画は、藤原芳秀です。中国武術をテーマとした作品で、格闘シーンも登場しますが、主人公の拳児の成長を軸に、中国武術の技術論や思想・哲学などを描いた物語です。ストーリーは、フィクションですが、現実の武術史、実在した過去の武術家に関するエピソードが多数紹介されています。また、実在の武術家がモデルとなったキャラクターも数多く登場しています。なお、主人公が主として学ぶ武術は、神槍とも呼ばれた、名人として知られる、李書文の伝えた、八極拳(李氏八極拳)です。





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