八卦掌の名人、尹福と宮宝田の略歴!!八卦掌の系譜
投稿日: 2016/10/15 11:04:03
八卦掌の名人と言われる尹福は、八卦掌第二代嫡伝弟子です。
尹福は、1840年、河北冀県に生まれました。八卦掌に出会う前には、弾腿や羅漢拳に長じていました。
尹福の父親が護城河で偶然に董海川に出会い、その紹介で、北京での開門弟子になりました。
20歳ころから董海川に学び始め、真伝を学び終えました。
弟子達の中で最も長く董海川の指導を受けて、掌門大師兄の敬称を受けていました。
尹福は、宮中に迎えられ、総管太監や光緒帝にも武術を教えました。
1909年に、69歳で亡くなったと言われています。
宮宝田は、八卦掌第三代嫡伝弟子です。1871年、山東省牟平県に生まれました。
元々、身軽であったようで、猴宮などとも称されていました。
13歳の時に北京に出て来て、米屋に勤めていました。
初め、兄の宮宝山が、尹福から学んでおり、その紹介で、同じく尹福から、八卦掌を学び始めました。
23歳の頃には、高い功夫を得ていたと言われています。
その技法は、快歩が特徴的で、変化が多かったと言われています。
1897年には師である、尹福の後を継いで宮廷の護院に入り、高官(四品帯刀護衛)となりました。
清朝が倒れた後、1905年に、故郷に帰って隠棲しました。
その時期の1911年に、盗賊を撃退したことで、その武名が知られるようになりました。
1922年に、張作霖が、武術教練として迎えました。
しかし、宮宝田の実力が、余りに高いので、自分のシークレット・サービスとして仕えさせました。
1928年に、張作霖が、関東軍に爆殺された後、再び、故郷に帰りました。
牟平県青山村には、兄の宮宝山の弟子が多くいましたが、宮宝山が亡くなってからは、宮宝田にあらためて、学んだ人も多かったそうです。
この宮宝田の八卦掌の技術は、甥の宮宝斎が、よくその技を受け継いだと言われています。
また、台湾の八極拳で有名な、劉雲樵も一時期、宮宝田から、教えを受けました。
宮宝田は、1943年に亡くなりました。