劈掛掌の技術と套路(型)、刀法と剣術。劈掛刀(劈掛単刀)、劈掛雙刀(劈掛双刀)、苗刀。苗刀の歴史
投稿日: 2016/11/07 4:34:56
劈掛掌という武術は、八極拳と相性が良く、弊習される事が多い門派(流派)です。
当流でも、八極拳とともに練習します。
この劈掛掌では、刀法の技術が多く伝えられています。
当流の劈掛掌では、劈掛刀(劈掛単刀)、劈掛雙刀(劈掛双刀)、苗刀の三種の刀法が伝えられています。
この三種の内の苗刀とは、倭寇が使った日本刀、もしくは大太刀をもとに明の時代から製造されている「倭刀」で、これらを使う中国の兵器術の事を言います。
長さがあるわりに細く、軽量に作られているため、「苗」のように細長い刀という意味で、「苗刀」と呼ばれています。
明の時代の中国では、倭寇が明の軍隊を苦しめた要因が、日本刀や日本の剣術であると考え、倭寇の撃退に成功した明の将軍であった「戚継光」が、対倭寇戦で得た日本の剣術の「陰流」の目録を研究し、「辛酉刀法」を著したとこらから始まっています。
この刀法のもとになった「陰流」は、「愛洲移香斎」を流祖とし、後に剣聖と呼ばれた「上泉伊勢守」(上泉信綱)や、「無刀取り」で有名な「柳生石舟斉」(柳生 宗厳)に伝えられ、「柳生新陰流」という日本の剣術、古武術に大きな影響をあたえた名流の元にもなった流派です。
また、中国武術としての苗刀は、1621年に「程宗猷」が「単刀法選」を著したことに始まり、彼は、日本の剣術を学んだという「劉雲峰」より学んだといわれています。
そして、1644年に著された「単刀図説」と共に、この二冊の内容が現在の苗刀の技法のベースとなっているといわれています。