八極拳には、六大開拳と呼ばれる套路(型)があります。基本的には、開門法を練習する套路(型)だと言えます。
六大開拳の練習法
六大開拳の形態や、技の運用理論は、どちらかと言うと、制敵法の意味が強いと言えます。
厳密に言うなら、この六大開拳の練習過程で学ぶ、開法原理と、套路(型)の勢法を結びつけていく事が、六大開拳の本来の練習だと言えます。
六大開拳に必要な劈掛掌の技術
六大開拳に含まれる、多くの技をまとめ、運用するためには、劈掛掌(劈掛拳)の技術が、必要不可欠です。例えば、劈掛掌(劈掛拳)の基本とも言える、陽鞭手の中に内在する、技術がなければ、六大開拳に含まれる、多くの技は、使いものになりません。つまり、この技術とは、被身捶です。もちろん、この技術は、陽鞭手だけに内在する技術ではなく、八卦掌の手法などでも練習ができます。しかし、伝統的な教習では、劈掛掌(劈掛拳)の陽鞭手で練習します。
劉雲樵の技術
このような技術を、劈掛掌(劈掛拳)の陽鞭手で練習するのは、八極拳の名人であった、李書文の最後の弟子であり、当流の先々々代である劉雲樵が、この陽鞭手という技を、得意技としていたと言われているためです。
八極拳の「六大開拳」の形態は、系統によって様々です。当流の、台湾より伝わった「八極拳」の「六大開拳」には、「猛虎硬爬山」と「按掌寸捶」と呼ばれる技法が含まれています。この2つの「套路」(型)の形態には、「寸勁」(寸捶)が含まれています。上記の「套路」(型)で運用する「寸勁」(寸捶)という「打法」は、「拳」を短い距離から打ち出す形で表現しますが、この技には、いくつかの打ち方が存在します。個人的に知る限りでは、3種類です。これは、ある意味では、「寸勁」(寸捶)の打ち方の、技術的な「段階」だとも言えます。最初に練習する「寸勁」(寸捶)の打ち方は、一度打ち出した「拳」(突き)の状態から、肩と腰を、引き戻してから打ち出します。つまり、一度、体幹部を引いて、「タメ」(蓄勁)を作ってから打ちなおすのです。この段階の初期では、やや大きなモーションで引き戻して、力を蓄えます。ある程度、熟練すれば、「タメ」(蓄勁)の動作が、小さなモーションになり、連続的に打ち出す事が出来るようになります。しかし、この段階の打ち方は、たとえモーションが小さくなったとしても、初級者レベルの打ち方に過ぎません。後の2種類の打ち方は、「身体」の内部で、威力を発生します。つまり、「運気」によって威力を発生します。そのため、外形的には、ほとんど「タメ」(蓄勁)の動作を見る事はできず、むしろ「技」の形態自体が「タメ」(蓄勁)を含んでいるとも言えます。難しい、言い回しをするならば、「発勁の中に蓄勁が内在している」という事です。このように、「寸勁」(寸捶)に限らず、同じ「技」であっても、練習者のレベルによって、「質」が変わってきます。
八極拳には、六大開拳と呼ばれる套路(型)があります。この套路は、開法原理を訓練します。つまり、制敵法や開門法の訓練であり、術者の八極拳の戦闘スタイルを決定付ける套路が、六大開拳だと言えます。
六大開拳と六大硬架拳
当流には、六大開拳とは別に、六大硬架拳という套路も練習します。六大硬架拳とは、他派の八極拳における、六大開拳の戦闘原理を持つ套路です。これは、当流の六大開拳が、他派の六大開拳の技法とは異なっているからです。
李書文八極拳の六大開拳
当流の六大開拳が他派と異なっているのは、一説では、八極拳の名人で、神槍とも呼ばれた李書文が、晩年に六大開拳の戦闘法を再構成したからだと言われています。また、この再構成された六大開拳の構成には、八大招式との関係が深く関わっています。
中国武術の「字訣」
中国の武術では、套路に内包されている技法、戦闘法を漢字一字で表す場合があります。門派や系統にもよりますが、一般的にこの事を「字訣」と呼びます。門派や系統によって多少のバラつきはありますが、一般的な八極拳門派の六大開拳の開法原理を表す「字訣」は、「頂、抱、弾、提、股、纏」です。当流の六大硬架拳でも、同じ「字訣」により訓練しますが、六大開拳の「字訣」においては、一部同じ部分はありますが、全く違った「字訣」、戦闘法で構成されています。これは、前述の通り、李書文の工夫によるものだと言えます。
武壇八極拳との違い
当流は、李書文の晩年の技術を継承している、武壇の系統ですが、蘇昱彰派の系統と言えます。武壇の系統の一部において、六大開拳の「字訣」を「靠、弸、捅、搨、欄、撲」で表すことがあります。この「字訣」は、少なくとも、蘇昱彰派の六大開拳の開法原理を示す「字訣」ではありません。昔の武壇において、六大開拳の教習初期に、形や勢法をイメージするために、「字訣」のようなものが活用されたと聞いた事がありますが、そこから派生して、字訣化したものだと思われます。開法原理を示す「字訣」ではなく、形態を作る「字訣」といった感じでしょうか。
「字訣」の重要性
「字訣」とは、技術の中核になるものであり、研究のスタート地点だと言えます。あたりまえの話しですが、これが異なっていたり、間違っていれば、結果を出す事は出来ません。
八極拳には、挑打頂肘という技があります。頂肘(頂心肘)と呼ばれる、肘打ちの形態をとります。この挑打頂肘という技は、八極拳の六大開拳という、開法原理を練習する套路(型)の一つです。
六大開拳の一段階
六大開拳の挑打頂肘の1段階の形態は、前述のとおり、頂肘の形です。2段階以降の形態では、頂肘の後に欄捶という、左右に移動しながら拳を打ち出す技が入ります。当流と同系統で、武壇と呼ばれる団体が台湾にありますが、現在の武壇の系統では、初めから欄捶を行う系統が多いようです。当流は、同じ武壇の系統ですが、蘇昱彰系となります。少なくとも、この系統の考えでは、厳密に言うと、挑打頂肘の1段階において、欄捶を練習するのは、間違いだと言えます。
挑打頂肘と欄捶
現在では、挑打頂肘の技術を欄捶を中心に考える門派が多いようですが、これは、挑打頂肘の本来の技術ではありません。欄捶は、あくまで挑打頂肘における開法原理を示す技術の変化でしかないからです。普通に考えれば、当たり前の事ですが、もし欄捶の形態が、技術の中心であるならば、頂肘の形態は必要ありません。また、技名も欄捶となっているはずです。六大開拳の中で、挑打頂肘という技名があり、形態として頂肘がある限り、この頂肘の形態が技術の中心だと言えます。
開法原理を導く形態
挑打頂肘を練習する場合、肘打ちの形態を持つ、頂肘から、開法原理の技術の、研究と抽出を行わなければなりません。そうでなければ、本来の挑打頂肘の開法原理を、導き出す事は難しいといえます。ただ、前述した台湾の武壇の創設者である、劉雲樵は、この挑打頂肘の技術において、欄捶の形態で運用する方が得意だったようです。その為、多くの練習生が、それを真似したようです。
李書文の最後の弟子、劉雲樵の技
前述のように、八極拳の名人である、李書文の最後の弟子であった劉雲樵は、欄捶の方が得意だったようです。これは、李書文と劉雲樵の特質の違いによります。つまり、李書文から学んだからといって、得意技が同じになるわけではない、という事です。そのため、劉雲樵は、欄捶を重視しました。ただし、劉雲樵は、あくまで頂肘の形態での練習を、究極的に行った上で欄捶を得意としたのです。いきなり欄捶のみを重視するのは間違いです。当流では、前述の通り、挑打頂肘を頂肘の形態から練習します。そのため、六大開拳の1段階の形態では、欄捶を行いません。
八極拳には、「六大開拳」と呼ばれる套路(型)が存在します。これは、開法原理に基づいて構成された套路です。
六大開拳の初歩的な捉え方
一部の「六大開拳」の解釈では、八極拳の「発勁」(発力)や力の方向性を6種類に分類したものとして解説されています。確かに、当流の八極拳の「六大開拳」の教習においても、初期段階では、「発勁」(発力)や力の方向性、身法や力の配合の教習から始めます。しかし、これは、練習初期の内容に過ぎません。本来、当流の八極拳において、このような「発勁」(発力)や力の方向性などの練習は、「小八極拳」の練習に分類されます。
六大開拳の字訣
「六大開拳」では、このような「小八極拳」レベルの初期段階の練習を示す「字訣」を、「靠、弸、捅、搨、欄、撲」の6種類で表します。しかし、当流では、上記を重視しません。前述したように、「六大開拳」と呼ばれる套路は、開法原理を内包した套路だからです。この上記の「字訣」は、本来の開法原理としての「六大開拳」の解釈としては、間違いだと言えます。もちろん、開法原理を示す「字訣」は、他に存在します。上記の「字訣」は、初心者レベルの各招式の解釈だと言えます。
六大開拳の技術レベル
「六大開拳」の練習をする場合、上記の「字訣」を元に練習しても、開法原理には辿り着けません。つまり、「六大開拳」の練習では、自身がどのレベルの内容を練習しているかの、明確な把握が必要だという事です。
八極拳には、六大開拳と呼ばれる套路(型)があります。この六大開拳は、開法原理を練習する套路だと言えます。
六大開拳の性質
当流で練習している、李書文の晩年の八極拳では、この六大開拳を、本当の意味で継承する事は、極めて困難な事だと言えます。これは、六大開拳が、通常の套路とは、違った性質を持つ套路だからです。前段階で練習する、小八極拳や大八極拳などに関しては、套路を学び、訓練すれば良いと言えます。しかし、六大開拳に関しては、学んだだけでは機能しません。
六大開拳を学ぶための能力
六大開拳は、学ぶ側にも能力を、要求する套路だと言う事です。もちろん、この能力に関しては、一定期間学んでいれば、身につくものです。しかし、現在では、この能力を継承し、伝えられる人間は少ないようです。この能力を持たず、六大開拳を学んだ者は、六大開拳に内在する技術を、真に理解する事はできません。
六大開拳の理解力
六大開拳の技術力は、学ぶ側の能力によって、バラつきが出るという事です。
六大開拳を、学ぶ能力を持たなければ、各招式(技)の、威力や用法(単純な使い方)、手法などの、程度の低い理解で終わってしまいます。
六大開拳の継承方法
六大開拳を、学ぶ能力を持たない者の六大開拳は、前段階で練習する、小八極拳や大八極拳の内容と、大差ない内容で終わってしまいます。六大開拳に限らず、真に武術を理解するためには、能力の継承が必要だと言えます。