中国武術、中国拳法の門派(流派)の発生!!教習法の違い!! 正式弟子(拝師弟子)と学生との差!!認識力と思考方法の継承

投稿日: 2017/07/24 7:41:29

中国武術には、多くの門派(流派)が存在します。

各門派(流派)は、同じ「戦闘法」である事は、ほとんどありません。

同じ門派(流派)や、同じ名称の武術であっても、「戦闘法」は同じではありません。

例えば、同じ「八極拳」という名前の武術であっても、系統によって違いがあり、全く別物だと言えます。

また、同じ門派(流派)や系統を学んだ人間であっても、同じ「技術」や「戦闘法」になるとは限りません。

それには、いくつか理由が考えられます。

「技術」の相違点が生まれる理由の一部ですが、考えてみたいと思います。

一つの理由は、同じ門派(流派)内でも、主に誰から学んだかです。

これは、各門派(流派)や道場、組織において、常に「師」が直接教授するとは限らず、「指導員」が教授する場合などがあります。

この場合、主に教授をした人間の影響を強く受ける事が多々あります。

これが、「戦闘法」や「考え方」の違いを生む要因の一つになります。

二つ目の理由は、「正式弟子」(拝師弟子)か、「学生」かです。この「正式弟子」(拝師弟子)と「学生」については、「教授内容」自体が違う場合があります。

昔の教授法では、「正式弟子」と「学生」では、学ぶ内容に明確な差がありました。

三つ目の理由は、学んだ期間の長さです。

この期間においては、同じ「師」より学んだとしても、学んだ期間が短い人間と長い人間では、「技術」や「戦闘法」の理解の深さは違ってきます。

四つ目の理由は、実際にどれだけ手解きを受けたかです。

これは、同じ「師」から同じ期間を学んだとしても、毎日のように「師」と顔を合わせて学んだ者と、年に1度程しか学んでいないものでは、大きな差となります。

現代では、電話、メール、インターネットなどの通信機器が発達していますが、通信教育のような状況で、学ぶ事は難しいと思います。

五つ目の理由は、訓練量や研究の度合いです。

これは、主に一人稽古などをどれだけの「質」と「量」で行ったかです。

仮に、学んだ内容が同じでも、受け取る側に差があれば、「理解力」や「技術」、「能力」に違いが生まれます。

六つ目の理由は、個人的な性格や、体格の違いです。

これは、学ぶ側の人間の体格、性格などが「戦闘法」や「技術」に影響を与えるという事です。

これらのような要因によって、「技術」や「戦闘法」に大きな違いが生まれ、教える場合の相違点ともなります。

このような事が、極端になった場合、新しい門派(流派)が誕生するのではないでしょうか。

また、二つ目の理由である「正式弟子」と「学生」の違いは、特に昔の教習では、大きな差を生みました。

この「正式弟子」と「学生」について、違いと現代における教習内容について、少し詳しく説明したいと思います。 

中国武術では、伝統的に「正式弟子」と「学生」の二種に「練習生」を分けていました。


「正式弟子」の事を「拝師弟子」という場合もあります。


日本では「内弟子」が一番近い言葉だと思います。


「正式弟子」と「学生」の違いは、色々な意味がありますが、一つの理由として「思考法」の継承が上げられると思います。


両者の学ぶものは、大きく違ったものではありません。


もちろん、昔は「正式弟子」でしか学べず、一般の「学生」には教えない「技術」「秘伝」や「秘訣」と呼ばれる技法が存在しました。


これらの技法は、昔は外部に隠して秘密裏に継承されてきたのも事実です。


しかし、現在では特に教える内容に大きな差異はありません。


また、現代では、全てとは言いませんが、多くの技法が公表されてさえいます。


ネット上を検索すれば、多くの情報を手に入れる事も出来ます。


もちろん、だからといって、これらの情報だけで「武術」を身に付ける事は難しいでしょう。


何故なら、これらはただの情報でしかないからです。


これらの情報を活用する「認識力」と「思考方法」が必要です。


例えるなら、「ハードディスク」に蓄積された情報はあっても、それを使うための「ソフト」がないようなものです。


つまり、「正式弟子」と一般の「学生」との違いは、「認識力」と「思考方法」である「ソフト」が構築されているかどうかにあります。


そのため、この両者には大きな差が生れるのです。


それは、「ソフト」の構築状態によって、同じ「技術」を学んでも、捉え方が変わってくるからです。


極論すれば、「師」から学ぶ「技術」は、一つの情報に過ぎません。これを正確に捉える「思考法」と「認識法」が必要であり、情報を運用するための「認識力」と「思考方法」こそが「ソフト」なのです。


そして、「師」から学ぶ「技術」という情報を正確に捉えるためには、「師」と同じ「考え方」、「思考法」、「認識法」が必要となります。


極論すれば、「師」と同じ「性格」「人格」の人間ともいえます。


つまり、「師」と同種の「ソフト」を持つ人間という事です。


なぜなら、「師」から学ぶ「技術」という情報は、「師」の「思考法」、「性格」を含めた「個人」が前提となって形成されているからです。


そして、「武術」の教習とは、情報を与えるだけではなく、「認識力」と「思考方法」である「ソフト」の構築も行うのです。


そして、練習者の現在の「バージョン」の「ソフト」で、処理出来るであろう情報を、教習者は選択して教習します。


多くの情報を一度に教習しないのはこのためです。


そのため、昔の「正式弟子」も、「師」と寝食をともにするなど、なるべく「師」と時間を共有する事によって、これらの「思考法」、「性格」を最大限トレースし、「ソフト」の構築を行おうとしたのだと思います。


そして、「ソフト」の構築がある程度なされた「正式弟子」は、「師」の簡単な説明からでも、普通の「学生」の何倍もの理解を示す事が出来たのです。


当然の話しですが、現代で、前述のような指導は難しいと思います。


そのため、現代の「練習者」には、学ぶための「工夫」が必要なのではないでしょうか。


また、前述したように、現代ではネットで検索すれば多くの情報を手に入れる事が出来ます。


しかし、「ソフト」の構築が出来るのは、「人」からの、直接的な教習だけなのではないかと思います。


そのため、「明師」につき、学ぶ事が必要なのです。

 






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